3.

全員が入室すると、月城の取り巻き二人がドアの両側に立つ。さながら門番といったところだ。神部が危惧した通りの展開である。

「困りますよお嬢様。もうちょっと立場を考えて頂かないと」

そして着席するなり、田村はなりふり構わず鈴華に向かって苦情を吐露してきた。

「月城様もお困りです。もう高校生でしょう、家出なんて子供じみた事はやめて下さい。それで周囲にどれだけ迷惑がかかるか分からないんですか」

「私、そんなにおかしいこと言ってますか」

「おかしいです。ええ、おかしいですとも。いいですか、これは会社と会社のれっきとした契約です。厳正に、滞りなく成されなければならない契約なんです。お嬢様にはまだ分からないかも知れませんが、子供の我が儘で振り回されていいようなものでは、断じてないのです。あなたは仮にも社長のご令嬢なんですよ、自覚を持ってもらわねば困ります」

「何が自覚ですか」

冴木がそれに真っ向から反論する。

「そもそも大人の都合に、鈴華ちゃんが巻き込まれていること自体がおかしいんです。失礼ですけど、おたくの経営が傾いているのは、あなた方経営陣の責任では? それを子供の我が儘だの社長令嬢の自覚だの、責任転嫁も甚だしい。あなた自分で言ってて恥ずかしくないんですか」

「部外者は黙っていて頂きたい。あなた方のような会社に雇われているだけの平社員には分からないでしょうが、われわれ経営陣には社員の生活を守る責任があるんです。だからこそ社長も、ご自身の身を切る思いで今回のご決断をなされたんです」

「いきなり人を平社員呼ばわりですか。まあいいでしょう。確かに社長の心中はお察し致しますよ」

「ええそうでしょうとも。ご自分の愛娘を差し出すなど、どれほど辛いことか。でもやらなければならない。それが責任というものです! われわれ経営陣とて断腸の思いなんだ。それを何の責任も持たず言われた事だけやっていればいい平社員に、とやかく言われる筋合いはない!」

熱弁をふるう田村を、冴木は鼻で笑う。

「まるで自分が身を切るみたいに言いますね。確かに社長はお辛いでしょう。でもあなたは? 鈴華ちゃんが政略結婚の生贄になったところで、あなたには何の痛みもない。違いますか」

「それは。……いや、今は個人の話をしているのではない、組織としての意思決定の話をしているんだ!」

「ごまかさずに質問に答えて頂けますか。鈴華ちゃんが政略結婚の生贄になったところで、あなたには何の痛みもない。違いますか?」

田村は勢いで乗り切ろうとするが、冴木にそんな稚拙な手は通用しなかった。

今、この男は誤魔化そうとした。

社長の苦渋の決断を、まるで自分を含む経営陣がそうしたかのように騙った。

そこを指摘すると、田村は簡単に言葉に詰まる。

「……た、確かに私の私生活に影響はないかも知れん。しかしこんな取引に応じなければならない事が、経営陣としてどれほど屈辱的なことか……!」

「あなたの屈辱が何だって言うんですか。鈴華ちゃんは人生を狂わされるんですよ? あなたはせいぜいその屈辱とやらに、プルプルしていればいいだけじゃないですか。経営陣の責任が聞いて呆れますね」

「なっ、無礼な!」

「あなた今、私達のことを平社員呼ばわりしましたよね?」

冴木の冷静な返しに、田村はいとも簡単に感情的になり始めた。顔を真っ赤にして、鬼のような形相で睨みつけてくる。

もともと冴木は口喧嘩には強い。言葉の切り返しや煽りは一流で、ふだん旭らもよくやられている。しかし仮にも社長の右腕を務めているような人間が、こんな煽りひとつで簡単に平常心を失うとは呆れるばかりだ。

「おや、この取引は御社にとって屈辱的なものだったのですか? 私は両者快諾しての取引だと聞いているのですが」

月城がとぼけたようにそう言った。

すると田村は慌てたように取り繕う。

「いえ! 今のはその、言葉の綾というものでして。もちろん当方は、ゴールドプレート様の傘下のもと、今後ますますの相互発展に尽力する所存でございまして」

「そうでしたか、安心しました。くれぐれも会長の前でそのような失言は慎んで下さいよ? あの人は気難しい御方だ、いちど心証を悪くすると私でもフォローできる保証は致しかねる」

「も、もちろんでございます」

月城に向かってペコペコする、その様でおおよその事情が察せられた。

神部が小さく舌打ちする。

そしてその音に振り返った田村を正面から睨み、前屈みになって口を開いた。

「なるほど。田村さん、だっけ? あんたは嬢ちゃんをスケープゴートに差し出す気満々ってわけだ。他人の娘だからって簡単なもんだなぁ」

その声には静かな怒りが込められていた。

「胸糞悪ぃな。俺が一番嫌いな人種だ。あんたみてぇな人間をもう見たくねえから、トラックの運転手になったんだけどな。まったく何の因果なんだか」

「何だ君は」

「さっきから見てたが、あんた一体どっちの味方なんだ? 月城の顔色ばっかり窺って、社長さんは置いてけぼりじゃねえか。あんた社長さんの補佐役じゃねえのか、なんで社長さんを助けようとしねえ」

「しているだろう。だからこうしてお嬢様の説得を」

「あんたさっき、それすら社長さんに投げたじゃねえか。それでうまく行かなけりゃ、今度は嬢ちゃんに責任転嫁だ。ひょっとして今のが、あんたの言う『説得』か? だとしたら無能すぎる。工場の経営が傾いてんのって、あんたみたいな無能が経営陣にいる事が原因なんじゃないのか」

田村が拳でドンとテーブルを叩く。

「無礼な! これだからトラック運転手などという低学歴の連中は」

「低学歴? 俺、京国大学卒だけど。そう言うあんたは、どこ大学出身だよ」

「京国大学? ……あの京国大学? 京都の、あの?」

自分の思惑が外れたのを隠そうともしない間抜け面。

「学歴くらいしか自慢することがねえ新卒の新入社員じゃあるまいし、いい歳したオッサンが学歴マウントなんてやめましょうや、恥ずかしい」

神部は煩わしげに顔をしかめて続ける。

「経営陣の責任とか言いつつ、あんた人ん家の娘を身売りさせてゴールドプレートに媚び売って、自分がさっさと面倒事を片付けて楽になる事しか考えてねえじゃねえか。無能で無責任、下の者や弱い者に負担を押し付けて、長いものに巻かれるだけの事なかれ主義。あんたみてえなの、何人も見てきたよ。ホントどこにでもいるもんなんだな」

「もういい、お前らは出て行け! 部外者が首を突っ込んでくるな!」

普段、この男がどんな仕事ぶりなのかがよく分かる。

従業員が総務部長という役職名を尊重して命令に従っているのを、自分の実力と勘違いしている典型的なバカ上司だ。

癇癪を起こして叫ぶ田村に、しかし神部は眉一つ動かさずにあっさりと頷いた。

「そうそう、俺もそれが疑問だったんだよ。何で俺らみたいな部外者がゾロゾロと、この部屋に集まってんだろうってな」

「分かっているなら、さっさと」

「この場の当事者は社長さんと嬢ちゃん、この二人だけの筈だ。俺らといい、月城といい、そしてアンタといい、なんで外野ばっかりがペチャクチャ喋って、肝心の当事者二人が黙ったままなんだろうってな。一緒に出て行こうぜ、部外者の田村さん。よそ様の家庭の問題に俺らが首を突っ込んでること自体、そもそもお門違いなんだよ」

またしても意図していなかった事を言われ、ポカンと間抜け面を晒す田村。

いい加減、その無能ぶりに嫌気が差したか、月城が苛立たしげに舌打ちしながら言い返した。

「そうは行かない。ステークホルダーとしての立場があるものでね。里見工業側に問題があるようなら、我々としては事の推移を注視する必要がある」

「だから会社の都合を持ち込むから話がややこしくなるんだよ。これ要するに結婚の話だろ? だったらまず親子で話つけて、契約だの何だの会社の話はそれからだろ。分かんねえ奴だな」

神部は呆れたように首を振り、そして隣に座る旭に振り返った。

「おい旭、お前も何か言ってやれよ。なに黙ってんだ、らしくもねえ」

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