4.
腕組みしたまま黙っていた旭は、その声に反応してゆっくりと周囲の面々を見渡す。
「ん……ああ、そうだな。まあ俺には難しい事は分かんねえんだけどよ。ステーキホルダーってのが何なのかも分かんねえし」
「ステークホルダーだバカ。ステーキをホールドしてどうすんだよ」
神部の突っ込みを受け流し、旭はまず鈴華の父親に向き直って頭を下げた。
「周りが勝手に話を進めちまうもんで、ご挨拶が遅れました。俺は旭って言います。トラックの運転手で、昨日から娘さんのボディーガードやらせてもらってます。親父さんには、いっぺんちゃんとスジ通さなきゃいけねえと思ってました」
話の流れを完全に無視して自己紹介を始める旭に戸惑つつ、父親は「娘から伺っております。この度はどうもご迷惑を」と応じる。
旭はそんな父親を真っすぐに見つめて言った。
「俺がこの場で言いたい事は一つだけです。この話、そもそも工場の従業員の皆さんはご存知なんでしょうか」
「従業員?」
本当に話の流れを完全無視である。
しかし旭はそれが当然と言わんばかりに、力強くうなずいた。
「そうです。鈴華……お嬢さんから聞いた話だと、おたくの工場には色々と事情を抱えた人達がたくさん勤めてるって話でした。足に障害持ってるおじさんだとか、シングルマザーのおばさんだとか。そういった人たちは、お嬢さんが工場継続のために政略結婚するって話を知ってるんでしょうか」
「いや……従業員には特に何も。そもそも公にできるような話でもありませんし」
旭はうなずいた。
「だと思いました。こんな話、工場の皆さんが賛成するわけがねえ」
父親と田村は不思議そうな顔をする。
「なぜそう言い切れるんです?」
「お嬢さんの話では、工場の人達はみんなお嬢さんのことを可愛がってました。それぞれ事情を抱えながら、ちゃんと真面目に働いて自分で自分の生活を支えてる、真っ当な人達でした。そんな人達が、お嬢さんが自分たちを守るために望んでもいねえ結婚させられるって聞いて、賛成なんかするわけがねえです。少なくとも俺だったら、もしうちの社長がそんな寝ぼけた話してきたら、ブチ切れるからです」
「ブチ切れ……いや、それはまた、なぜ」
「俺のことバカにしてんのかって思うからですよ。いい歳こいた大人が、たかだか十七、八の小娘にテメエの生活守ってもらうなんざ、こんな恥ずかしい話はありません。だったら別の運送会社でも、どこへなりと転職して、テメエの食い扶持くらいテメエで稼ぎますよ」
気まずそうな顔をする田村は無視して、旭は父親だけを真っすぐに見つめる。
「社長さん、あんたは立派な人だ。社長の責任を果たそうと自分の娘まで差し出そうとするなんざ、誰にでもできる事じゃねえ。けどですね、あんたは従業員のことを、守ってやらなきゃいけねえ相手だとしか思ってないんじゃありませんか?」
父親は意表を突かれた顔をする。
「下の者だって、会社ではしがない従業員でも、家に帰れば一家を支える大黒柱です。その責任を全うし続けてきたプライドってもんがあるんです。それなのに十七、八の小娘にテメエの生活守ってもらうなんざ、屈辱以外の何モンでもありゃしません。真っ当な大人だったら、普通はそう思う」
「しかし大黒柱であればこそ、職を失うのは困るはずではありませんか。ましてや、うちには先ほどあなたがおっしゃったように、うちくらいでしか雇われないような者もいるんです。そういった従業員の生活を守るためには、やはり」
旭はうなずいた。
「ええ、ええ、社長さんはそう思うでしょう。でも、それを当人たちに確かめたことは無いんでしょう? 俺が聞きたいのは、その人たちが本当に、社長の娘さんを犠牲にしてでも自分たちの生活を守ってほしいと思ってるのかって事です」
父親はとっさに反論できなかった。
確かに、そこまでは分からない。話していないから。彼らがどんな反応をするかなど分かるわけがない。
『従業員を守らなければならない』と頭から思い込んでいた。
職が危ういとなれば、従業員は何とかしろと怒り狂うに決まっている。だから何とかしなければならない。それが社長としての責任だと。
しかし今、この旭と名乗るトラック運転手は、自分が疑いもしなかった部分に疑問を投げかけてきた。「その前に、そもそも彼らはそこまでして守られたがっているのか?」と。
沈黙する父親の背中を押すように、旭は言った。
「ねえ社長。まずは従業員の皆さんに、話してみちゃあどうですか。彼らは保護しなきゃいけねえ存在じゃねえ、あんたと一緒に仕事をやっていく仲間だ。なのに大事なことを伝えずに自分たちだけで勝手に決めちまって、仲間外れは良くないですよ」
「仲間外れ……そんなつもりでは」
「社長さんが彼らを必死に守ろうとしてんのは、本当に頭が下がります。けど、それが逆に従業員の皆さんのプライドを、傷つけることになりゃあしませんか。必死に自分で自分の人生を積み上げてきた、彼らの誇りを傷つけることに、なりゃあしませんか」
話し合う。従業員と。
現状を包み隠さず話し、彼らに是非を問う。
仲間。
そんなこと、今まで考えもしなかった。
「……彼らの、誇り……プライド……か」
父親はうつむき、深く考え込む。
「ええい、ここまで来て話を混ぜっ返すのはやめろ! ここまで進めるのに、私がどれだけ苦労したと思ってる。ろくに事情も分かってない奴が、横から知った風な口を叩くな!」
社長の心が揺らいだのを敏感に察知した田村が慌てて怒鳴り散らすが。
「だから、あなたの苦労なんて知った事じゃないんですって。どうせ自分の生活を守るために他人の娘を生贄に差し出す、ろくでもない苦労のくせに」
「苦労が無駄になることなんざ、現場じゃ日常茶飯事だぜ。朝七時までにどうしてもって言うからこっちは三時起きで配送したってのに、着いてみれば事情が変わったとかで水の泡、なんてよくある話だ。あんたみたいな名前だけの無能な経営陣様は知らねえだろうがな」
すかさず冴木と神部から二人がかりの反撃を受ける。
「くそっ、どうして私がこんな目に……! それもこれも社長、おたくの娘さんの教育がなってないせいですよ! ゴールドプレート様にこんなにもご迷惑をおかけしてしまって、この責任をどう取るおつもりですか!」
そして最後には顔を真っ赤にして鈴華の父親に詰め寄り始めた。
「なんかさ」
そんな田村に、旭はしみじみと言った。
「カッコ悪ぃな、あんた」
「何!?」
「見たところ、あんた俺らとそう歳変わんねえみてえじゃねえか。何であんた、そんなカッコ悪ぃ大人になっちまったんだよ。仮に鈴華のやった事が迷惑だったとしてもだ、子供が大人に迷惑かけるのなんざ当たり前じゃねえか。それをフォローすんのが大人の務めってもんだろ。そんなの俺みてえなバカでも知ってるぜ」
「ええい黙れ、低学歴で低収入のトラック運転手が何を偉そうに! 俺は事務部長だぞ、底辺のブルーカラーに格好悪いなどと言われる筋合いは無い!」
まるで絵に描いたような職業蔑視の発言であった。
神部は白けた顔をし、冴木は「こんなセリフ言う人、ホントにいるんだ……」と呆れている。
旭はポリポリと頭をかく。
あからさまな侮辱だったが、むしろ憐れむように続けた。
「あんたさ、ちょっとガキの頃を思い出してみろよ。カッコいいってどういう事だった? 金持ちをカッコいいと思ったか? 権力者をカッコいいと思ったか? ぜんぜん逆だろ。自分は貧乏でも他人に施しを与える男、権力者が相手でも誇りを失わず勇敢に立ち向かう男、そういう男をカッコいいと思わなかったか?」
田村は怪訝な顔をする。
「あんた自分の子供に、今の自分の背中を見せられるかい」
「……背中?」
「子供にはな、目指す背中ってやつが必要だ。あの人みたいになりたい、こんな時あの人ならこうするだろうって、道しるべになるような大人の背中がな。あんたは今、自分の子供に自信をもって背中見せられるかい」
「………………」
「思い出してみろよ、俺達がガキの頃がそうだったじゃねえか。憧れるような大人がいたか? 追いかけたいと思える背中があったか? 俺にはそんなもん無かった。目指せる背中もなく、何の道しるべもなく、いつだって手探りで生きてくしか無かった。あんただってそうだろ」
神部が低く笑い、
「俺達にとっての大人と言やあ、勉強でも就職でも大して苦労したこともねえ、働けば働くほど見返りのあった、人生イージーモードの団塊バブル世代だもんな。憧れる要素がねえ」
と皮肉を交えて口添えする。
それを受けて旭は言い募った。
「今のガキだってそうなんだよ。追いかける背中が無ぇんだよ。今の大人の生き様がカッコ悪いからだ。ガキどもにとっちゃ、俺達の背中なんざ見るに値しねえって事なんだよ」
「ふん、さっきからカッコいいだの何だの、なにを子供じみた話を」
田村が虚勢を張って話をやりすごそうとした瞬間、旭は怒りの形相を浮かべた。
テーブルに拳を叩きつけて叫ぶ。
「これでいいのかって言ってんだよ、ご同輩の田村さんよぉ! てめえんトコの大将を守りもせず、月城なんぞにヘコヘコ尻尾振りやがって、てめえの生き様それでいいのかって言ってんだよ! 大人だろ、男だろ! 男の生き様なんざ、カッコつけてナンボだろうが!」
室内がシンと静まり返った。
田村はしばらく口をパクパクさせた挙句、
「話になりませんね。まったく話にならない。これだから、まったくこれだから」
しきりに眼鏡を扱いながら、旭から目を逸らして、意味を成さない言葉をブツブツと呟き続ける。分かりやすい負け犬の遠吠えであった。
神部が仕切り直すようにパンパンと手を叩いた。
「さ、もういいでしょう。外野の場外乱闘はこれくらいにして、当事者のお二人にゆっくり話し合ってもらいましょうや」
その言葉にうなずき、旭らは立ち上がる。
月城も舌打ちしながら席を立ち、いまだにブツブツ言っている田村に小声で「さっさと立て。……この、役立たずが」と囁く。田村は真っ青になってそれに従っていた。
「おじさん」
呼びかけてきた鈴華に、
「ゆっくり話しな。外で待ってるからよ」
旭はそう言って笑いかけ、部屋を出て行った。
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