5.

エントランスのロビーで鈴華を待つ。

「へへっ。何だかんだで親子水入らずの時間を作ってやるんだからな。良い奴じゃねえか、月城さんよ」

「貴様はしゃべるな。黙っていろ」

からかうような旭の言葉に、月城は苛立たしげに吐き捨てる。

期せずして月城と一緒に過ごす時間である。当然、向こうは望んでもいないひとときだろうが。ちなみに田村はソファーの隅で、青い顔をした置物と化していた。

「そういや、ゆうべはドブさらいご苦労さん。車のキーは見つかったかい?」

「黙っていろと言っているのが聞こえないのか。貴様に話すことなど何も無い」

「旭さん、面白半分に人をからかうのはやめて下さい。小学生じゃないんだから」

「そうそう。せっかくの時間なんだ、もっと有意義に生かそうぜ」

冴木と神部が旭をたしなめ、月城に向き直る。

「話すのは初めてですね。私、冴木と申します。ゆうべはちょっとしたすれ違いがあった様で、お互い不幸だったと思っております。よろしければ、そちらがあんなに強引な手段を用いてでも鈴華ちゃんを連れ戻そうとする理由を、お聞かせ願えませんでしょうか」

「嬢ちゃんはさ、帰らないって言ってるんじゃないんだ。少し羽根を伸ばしたら、ちゃんと帰って結婚するって言ってるんだよ。あんたそのことは分かってるのかい?」

「……それは、把握している」

「だったら何だって、騒ぎ起こしてまで連れ戻す必要があるんだよ。あんたらだけじゃねえ、俺らも含めて、ここにいる誰か一人でも警察にパクられて事態が明るみに出たらマズいんだろ? そんな危ねえ橋を渡ってまで、なんでたった三、四日が待てねえんだよ」

「私は上からの命令で動いているだけだ」

「なあ月城さん。俺はあんたのこと、そこまでバカじゃねえと踏んでるんだ。上から言われたからってだけで自分じゃ何も考えずに動くような、無能なロボット上司じゃねえってな。何か待てない理由があるんだろ?」

「聞かせてもらえないでしょうか。もしかしたら、理由次第では私達が協力し合える事もあるかも知れません。私達だって、そちらと対立したいわけじゃないんです」

月城は一瞬だけ冴木と神部を交互に見やった。

それから溜め息交じりに言葉を吐き出す。

「協力も何も。そちらが素直にお嬢さんを解放してくれれば、それで済む話ですよ」

話は終わりだとばかりに、腕組みして黙り込んでしまう。

「ほらな。どうせしゃべるわけねえんだよ。からかって遊んでた方が、なんぼかマシじゃねえか」

「だからそういう子供っぽいことやめて下さいってば」

「わざわざ煽るんじゃねえよ。バカかお前」

場が沈黙に包まれる。

さてこの空気をどうしようかと考え始めた時、ロビーに鈴華がやってきた。

「早かったな。もういいのか」

「うん。とりあえず認めてもらった」

まあ予想通りだった。

あの父親なら許すだろうと思っていた。

「お父さん、おじさんのこと誉めてた。裏表がなくて信頼できそうな人だって」

「そうか? へへへ、なんか照れるなぁ」

「単純バカで分かり易いって言われてんだからな、お前」

神部が何か言った気がするが、聞かなかったことにする。

「それでね、お父さんがおじさんと話したいって」

「俺と?」

「うん。だから呼びに来た」

これは予想外だった。思わず神部や冴木と顔を見合わせる。

「旭さんだけ? 私達もついて行っていいのかしら」

「おじさんとしか言ってませんでしたけど、多分みなさん来てもらった方がいいと思います。私がお世話になる人達に挨拶したいって話だと思いますから」

「なるほどね。じゃあこちらも改めて挨拶させてもらうとするか」

三人で席を立つと、そこへ月城が割って入った。

「そういうことなら私も同席させてもらいましょうか」

「なんでだよ。お前は呼ばれてねえだろ」

「言ったろう、こちらはステークホルダーだ。この異常な状況の継続を里見工業所の社長が認めるとは、これは由々しき事態だ。ましてやお前達と社長が接触するとなれば、どんな情報がやりとりされるのか確認する必要がある」

「情報ってな。当たり前の挨拶するだけじゃねえか」

「お前たちはともかく、社長の意図は不明だ。同席させてもらう」

「チッ、勝手にしろ。おい行こうぜみんな」



鈴華と共に再び先ほどの部屋に戻る。

父親は入ってきた面々を確認すると、立ち上がって旭に歩み寄った。

「正直、未だ迷っております」

複雑な表情を浮かべて言う。

「遠く離れた土地に娘を一人置いて、連れ戻しに来たにも関わらず手ぶらで帰るなど、私は親としての自覚に欠けるのではないかと……いや、欠けるのでしょう。そもそも今どき、親の都合で娘の結婚を勝手に決めること自体が、親として失格です。そんな私が娘のやる事に口を出すなど……しかしそれでも……」

「当然だと思います」

旭はうなずいた。

「ましてや娘を預けるのが、こんな見ず知らずの四十過ぎたオッサンどもじゃ、不安で仕方ないでしょう。こんな事情でなけりゃ、何が何でも連れて帰るのが筋なんだと思います。でも、どうかご安心下さい。俺は天地神明に誓って、社長さんの信用を裏切るようなことは絶対にしません。お嬢さんに目一杯楽しんでもらって、花火の後、必ず無事に東京へお送りします」

両手でガッチリと握手を交わす。

父親は苦笑を浮かべる。

「妻に何と言われるか、今から頭が痛いです。……さっきのあなたの言葉は、私も考えさせられました。確かに会社全体の問題なんです、社員全員の意見を聞くべきだったのかも知れません」

「ええ、ぜひそうして下さい。おたくの社員さん達は、ちゃんとした立派な大人が揃ってるって、俺は信じてますから」

父親は神部や冴木にも握手を求め、二人も鈴華を無事に送り届けることを約束する。

月城が厳しい声音で言った。

「社長。これは本社に報告させて頂きますが、構いませんね」

それは警告だったのだろう。

娘を自由にさせるだけならまだしも、その保護を月城ではなく旭らに任せると言うのだ。ゴールドプレートに対する里見工業所の背信行為と受け取られても仕方がない。

父親は渋面を作りながら、それでもこう言い返した。

「単に娘の意思を尊重しただけです。わざわざ報告を上げるほどの事でもないかと思いますが?」

「それはこちらが判断する事です。僭越ながら、あまり道理に合わない事はなさらない方が、御社のためと申し上げておきます」

「ご忠告いたみいります。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、ほんの数日の子供の我が儘ですので。なにとぞ大目に見て頂きたいと、お伝えください」

よくぞ言い切ったと思う。

その手を見れば、握った拳がブルブルと震えている。

鈴華は父親のことを「ケンカなんか全然できない」と言っていた。もともと温厚な性格なのだろう。今のセリフ一つだけでも、娘のために精一杯ゴールドプレートに抵抗したのだと察せられる。

経営難にあえぎ、自分の工場とは比べものにならない圧倒的な巨大企業に目を付けられ、果ては娘を差し出す約束まで無理やり結ばされて。

それでもまだ、弱々しくも抵抗する。まだ心は完全に折れ切ってはいない。

「社長さん。わざわざ福岡まで来られた記念と言っちゃあ何ですが、ひとつ俺からお土産があります」

そう思ったから、旭は父親に言った。

「景気づけに一発、俺の顔でもブン殴ってから東京に帰りませんか」

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