5.
二人が構えると同時に八人の半グレたちは一斉に襲いかかってきた。
旭は正面の一人に頭から突っ込み、ぶちかましで弾き飛ばす。いちはやく包囲から逃れると、すかさず右の敵に渾身のパンチを叩き込み、向かってきた別の男の腹に横蹴りを入れる。
向こうが十数人なのに対してこちらは四人、圧倒的に不利である。
まずは敵の頭数を減らさなければならない。それには初動が肝心だった。最初の激突でどれだけ正確な攻撃を叩き込み、敵の出鼻を挫くかが重要であった。
包囲されてはならない。背中から羽交い締めにでもされて、動きを封じられたら終わりだ。動き回れ。足を止めるな。
月城もそれは分かっていたようだ。掴みかかってくる敵に対し、タイミングを計って地面を転がる。意表をついた動きに相手は対応できず、月城の体に足を取られ、つんのめって倒れる。包囲を逃れた月城は素早く立ち上がり、近くにいた男の大腿めがけて切れ味鋭いローキックを叩き込む。そして足から崩れるその男には目もくれず、背後からタックルしようと迫っていた別の男にカウンターの後ろ蹴りを叩き込む。
「どっ、せええええええいっ!」
旭が組み付いてきた敵を、柔道の大腰の要領で地面に投げ倒す。
踏みつけで止めを刺してやろうと足を振り上げるが、そこへ別の敵からタックルを食らってしまう。片足では為す術もなく倒され、さらに悪いことにマウントポジションを取られてしまった。
や、やべえ!
慌てて顔面を守ろうとするが、しかし攻撃は来なかった。月城が背後からその男の後頭部に、容赦なく回し蹴りを放ったのである。
つんのめって倒れ込んできた男の上体を受け止め、旭は体を入れ替えて上を取る。何が起こったのか分からない顔をしている男が正気づく前に、その顔面に全力の拳を振り下ろした。
「くそっ、礼は言わねえからな!」
「いるかバカ、さっさと立て!」
再び乱闘に身を投じながら、旭は不思議な感覚を味わっていた。
あまり背後の心配をせずに済むのである。
これだけの人数差なのだ、もっと背中からの攻撃が来るはずなのに。
振り返るとその理由が分かる。そこに月城がいるからだ。
「お前なんで俺の後ろに居るんだよ、気持ち悪ぃから離れろ!」
「貴様が俺の後ろに来ているんだろうが! 貴様こそ俺の後ろに立つな!」
それもお互い、何度も離れようとしているのに、である。
戦っているうちに自然とそうなってしまう。
なぜそうなるのか、考えられる理由は一つだけだった。
そこにいれば背後からの攻撃が来ないから。即ち、そこが一番戦いやすいからだ。
こんなことは鉱山労働者だった時代、数人の同僚と街でチンピラに絡まれたとき以来であった。でもあれは、普段から一緒に仕事をして気心の知れている仲間たちだったから出来た事である。
月城とは今初めて、しかも成り行きで、たまたま共闘しているだけなのに。
それが何で、こうも息が合うのか。
こいつと組むと、戦りやすい。
お互いに認められない事実であった。
気が付くと人数もだいぶ減っていた。
これマジで行けるんじゃねえのか? 勝利を実感し始めていた、その時だった。
「おじさん!」
必死の声にハッとして振り返る。鯖尾が身動きの取れない鈴華を引きずり、格納庫から逃げ出そうとしていたのだ。
今の今まで戦いに夢中で気付かなかったが、外からバタバタと空気を叩く激しい音が聞こえてくる。
この音。まさか!
鯖尾が大扉を開け放つ。一瞬、外の光が溢れて何も見えなくなった、その向こう。
高速でローターを回し、離陸準備の整ったヘリコプターが待機していた。
「ま、待ちやがれ!」
旭はまぶしい光の差し込む大扉へ向かって、全力で駆け出した。
/
ドアが閉じられると同時にヘリは飛び立つ。
鈴華を座席に座らせてシートベルトで体を固定すると、鯖尾は床にあぐらをかいて座り、歯をむき出して笑った。
「ふー、ここまで来れば一安心だ。何だあのオッサン、年寄りのくせに喧嘩強いんだな。ちょっと焦ったわ」
鈴華が身じろぎするとカチャカチャと金属音がする。後ろ手に手錠で拘束され、何も出来ない状態だったが、それでも気丈に相手を睨みつける。
「おうおう。一生懸命に威嚇して可愛いもんだ。東京まで一緒なんだから仲良くしようや」
ヘリはすでに空高く舞い上がっていた。
さすがに飛行機ほどではないが、窓の外に見える街並みはミニチュア模型のようであり、行き交う車はアリのように小さい。
「にしても、何だその格好。コスプレか? あのオッサンの趣味か? 大正浪漫ってやつか」
鯖尾は無遠慮に鈴華の体を眺め回す。
貸衣装屋で試着していたところを攫われたせいで、今の鈴華は袴姿であった。
和装に身を包んだ、無抵抗状態の女子高生。しかも邪魔が入る可能性は一切ない状況。鯖尾の顔が下卑びた笑いに歪む。
「まあ爺さんに買われた後は、こういうことも増えるだろうしな。予行演習だと思えばいいんじゃないか。お前も災難だなあ、せっかくそんな可愛い顔してるのに、変態ジジイの餌食になってしまうってわけだ。あーカワイソ。自分が何されるのか本当に分かってるのか?」
鈴華が黙っているのをいいことに、鯖尾は一人でベラベラと饒舌に喋る。
「なにせ現役女子高生だもんなぁ。制服着たままプレイは当然あるだろうな。先生と生徒か、あるいは痴漢プレイなんてのもアリか。先生ダメです、とかセリフ言わされるんだろうなぁ。メイド服着せられて、ご主人様にご奉仕なんてのもあるか。ジジイの足下にひざまづいて、くわえさせられるとかな。あるいは今みたいな、袴とか着物とか着せられて」
そこで鯖尾はズイッと身を乗り出した。
頬が触れ合わんばかりに間近に迫られ、鈴華は反射的に顔をひきつらせてのけぞる。
「そういや前から不思議だったんだが。なんで袴って、ここに隙間あいてるんだろうなぁ」
鈴華の腰部に手を這わせ、袴のスリット部分に指をかける。
「まるでここから手ぇ入れて下さいと言わんばかりじゃないか。胸元とかもそうだし、和服ってけっこうエロい造りしてると思わないか。若い娘にこんな服着せるとか、最初に和服のデザインした奴って相当な変態だと思うぜ。隙間フェチって言うかさぁ」
「…………っ!」
スリットから侵入してきた手が太股を這いずり、あまりの気色悪さと悪寒に鈴華は声にならない悲鳴を上げる。身動きできない獲物が怯える姿に、鯖尾はますます気を良くして、
「どうせ東京に戻ったらジジイに食われちまうんだろ。その前にちょっとくらい味見したって構わないわな。東京まであと何時間もあることだし」
舌を伸ばして鈴華の顔を舐め上げようとした、その時だった。
突如、爆発音にも似た凄まじい轟音が響き渡った。
それはヘリのドアがいきなり全開になり、それまで遮られていたプロペラが空を叩く音だった。一瞬にして強烈な突風が荒れ狂い、激しいローター音が耳をつんざくばかりに機内に響きわたる。
そして。
「ああああああああ! 死ぬかと思ったぜ!」
轟音にも劣らぬ大音声と共に、ダン、と力強く足をかけ。
旭が機内に乗り込んできた。
「おじさん!」
鈴華の歓喜の声は騒音にかき消され、
「マジかよオッサン……イカれてんぜ」
ひきつった笑みを張り付けたまま、鯖尾は呆然と呟いた。
それも当然だろう。
現在の高度は約五百メートル。当然ながら落ちれば即死。空を飛ぶヘリコプターの外に、命綱もなしで今の今まで取り付いていたというのか。到底、正気の沙汰とも思えない所業である。
「鈴華返せや、このクソ野郎が!」
驚きで硬直している鯖尾に、旭は鬼の形相で襲いかかった。
渾身の力を込めて振るった拳がまともに入り、吹き飛んだ鯖尾はさらに座席の背もたれに頭をぶつけ、苦悶して床をのたうち回る。
何とか対処しようと起き上がりかけるが、完全な奇襲となった態勢は容易に覆せるものではなかった。満足に体勢も整わない鯖尾に、さらに追撃の一発。鼻を押さえて転がったところを、ガラ空きの腹に一発。
鯖尾は無我夢中で腕を振り回し、たまたまその一発が旭の横っ面を張る。しかし旭は動じない。怒りの形相を浮かべ、相手の手首を掴んで床に押しつけ、その手をめがけて拳を振り下ろした。拳破壊だ。鯖尾は悲鳴を上げ、潰された手を押さえて床を転げ回る。
そして旭は鯖尾に覆い被さり、素早く馬乗りになった。マウントポジションだ。
後は一方的だった。鯖尾が下から上へパンチを一発出す間に、旭は上から下へ三発打ち下ろす。
散々に顔面を打ち据えられ、やがて鯖尾は床に両手を投げ出して昏倒した。
「ふざけやがって」
相手が完全に意識を失ったのを確認してから、旭はようやく馬乗りの体勢を離れた。
鈴華のシートベルトを外してやる。その両手に手錠がかかっているのに気付いて鍵を探すと、鯖尾のポケットからすぐに見つかった。
手錠を外してやる。両手が自由になった瞬間、鈴華はその両手で旭の首にしがみついてきた。
「お、おお……怖かったか。すまねえ、来るのが遅くなっちまった」
その体がガタガタ震えているのに気が付き、旭は背中を叩いてなだめてやる。
「悪いが、ちょっと離れてくれ。もう大丈夫だ。こんなヘリからはすぐに脱出だ。な?」
そう言っても鈴華はなかなか離れようとせず、なだめるのにしばし時を要した。
なんとか元通り席に座らせ、手錠を使って今度は鯖尾の両手を拘束する。脅威を完全に取り除いてから、旭は操縦席に近づいた。
「よぉ、運転手さんよ」
「ひいっ……!」
操縦桿から手を放せないパイロットの首に後ろから腕を回すと、パイロットは情けなく悲鳴を上げた。
「俺たちゃ途中下車だ。今すぐ下に降りろ。運賃はそこに転がってるサバ野郎に請求してくれや」
腕に少し力を込めて脅してやると、一もニもなく頷いて、直ちに下降を始める。
着陸できそうな地点を探すことしばし。
やがてヘリが降り立ったのは、山の上にあるゴルフ場であった。
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