14.

「ま、待て! ちょっと待て、よく考えろ! お前いいのか、こんな勝ち方で本当にいいのか? お前の人生ホントにそれでいいのかよ!」

旭は必死に訴えた。

しかし鈴華には通じなかった。

「いや、オセロで人生語られても」

「あーっ!」

無慈悲な一手が打たれ、盤面が全て黒一色に染まる。

黒一色である。もちろん旭が黒ではない。

あろうことか、ついにコールド負けであった。

「だあーっ! やめだやめ、もうやめだ! 今日は調子が出ねえ!」

後ろにひっくり返り、ベッドに大の字で寝そべってしまった旭に鈴華は苦笑する。

「おじさんって」

「やめろ、何も言うんじゃねえ。俺ぁもうこのまま、指一本だって動かさねえぞ。この意志は鉄より固ぇ……」

凛々しい声で駄々をこねる四十三歳。

どうしたものかと鈴華はしばし考えていたが、パッと何かを思いついたように笑顔を浮かべた。

「指一本動かさないんだ?」

「おおよ」

「動かないでよ。絶対だよ」

鈴華はベッドを降りて枕元側に回ってくると、旭の腕をペタペタと触り始めた。

「お、おい、何やってんだ」

「触ってみたくなったから触ってる。動かないんでしょ?」

咎めるように言われ、唸ることしか出来なかった。

いったい何のつもりなのか、鈴華は腕回りの筋肉に「おー」とか言ったり、手のひらを広げて「へー」とか言ったりしている。

ち、小せえ手だな。

腕を這い回るむずがゆい感覚。旭は笑い出しそうになるのを必死に堪えた。

そして、ふと気付く。

……あれ、何かこれヤバくねえか?

ホテルの密室で女子高生と二人きり。しかもベッドの上である。

これ、もしかしてヤバくねえか? てか、もしかしなくてもヤバいだろ。何で今ごろ気付くんだよ俺、バカじゃねえのか。オセロなんかやってる場合じゃなかったんだよ! 神部、冴木、早く帰ってきてくれ……!

本当に今さらであった。

「も、もういいだろ!」

くすぐったさに耐えきれなくなった風を装い、寝返りを打って鈴華の手から逃れる。

「動いた。嘘ついた」

鈴華は不満げだ。

「こそばゆいんだよ。で、どうだよ。入念に調べて何か分かったか」

「うーん、そうだな。これがお父さんより強い腕かー、って感じかな」

意味不明なコメントである。

「親父さんは弱かねえぞ。俺が一回ダウンしたの、お前も見てたろ」

「おじさんが手加減してたからじゃない。もし普通にやってたら、絶対におじさんが勝つでしょ?」

「そりゃあ……まあ、それはなぁ」

鈴華の父親には申し訳ないが、確かにそれはそうだった。

正直、十回やっても一度も負ける気がしない。

「でも、そういう問題じゃねえんだよ。お前の親父さんは立派だ、俺ぁそう思ってるぜ。もうそろそろ東京に着いた頃じゃねえか?」

「もう少しだとは思うけど。いま静岡に入ったくらいじゃないかな」

「そっか静岡かー。明日からは東京で大暴れして、いっちょ月城の野郎をギャフンと言わせてほしいもんだぜ」

「大暴れするお父さんなんて、ちょっと想像つかないけど」

鈴華は苦笑しながら言う。

それからふと、思い出したように表情を曇らせて声を落とした。

「明日もやっぱり来るのかな、月城さん」

「そりゃ来るだろうよ。安心しろ、何度来たって俺が追っ払ってやるからよ」

「なんか、やだな。月城さん昔は良い人だったのに」

旭は首を動かして鈴華を見やる。

そういえば鈴華は、最初から月城を知っている様子だった。

いい機会なので訊いてみることにする。

「昔って何だよ。あいつのこと昔から知ってるのか?」

「うん。月城さんて、ずっと前からうちの工場によく来る人だったの。営業っていうの? 私が小学校五、六年の頃にはもう来てたかな。お土産によくケーキ買ってきてくれてて、それが楽しみだったから良く覚えてるの。私、心の中でケーキのおじさんって呼んでた」

「ケッ、あの野郎がケーキのおじさん? ずいぶん可愛いこったな。次に会った時はそう呼んでやるか」

「その頃はお父さんとも仲良かった。お父さんが『今日は月城君と飲んできた』って酔っぱらって帰ってきたことが何度かあったから」

「マジか。それが今じゃ人攫いかよ。ガキの頃から知ってる娘を攫おうたぁ、どういう神経してんだあいつ。イカレてやがる」

「うん。だから私も最初に月城さんが結婚の話を持ってきた時は、何の冗談だろうって本気で思ったもん」

鈴華は悲しそうにうつむいていたが、「そういえば」と思い出したように顔を上げた。

「お父さんに聞いたことあるんだけど、月城さんって政治家を目指してるんだって」

「政治家ぁ!?」

予想外の単語に、旭は思わずベッドから身を起こした。

「と言ってもずいぶん昔の話だけど。ええと、私が中学生の時くらい。お父さんが酔っぱらって帰ってきた時に、そんなこと言ってたのを聞いた覚えがあって」

「お前が中学って、まだ二、三年前だろ。つい最近じゃねえか。あいつが政治家? そんなご大層な奴が、ますます何やってんだって感じじゃねえか。さては、悪い奴に何か弱みでも握られてんのか?」

「分かんないけど」

「やべえ、面白ぇ。あいつをいじるネタがどんどん出てくるじゃねえか。もっと他に何かねえのか?」

「面白がらないでよ」

そのとき、鈴華のスマホが鳴った。

「あ、お父さんから。……あれ?」

画面を眺めて、鈴華はすぐに首をひねる。

「どうした」

「いや……お父さんが何か、おじさんに見せなさいって」

スマホを渡されたので見てみると、メッセラインにPDFファイルが上げられていた。続いて「これを旭さんに見せなさい」とメッセージがある。

疑問に思いつつ、言われた通りファイルを開いてみた。

「こいつは……!」

一目見るなり、旭はすぐに自分のスマホを手に取った。

「おい神部、まだバーか? ちょっと今すぐ上がって来い。冴木もそこに居るのか? 一緒に来い。鈴華の親父さんが面白ぇもん送ってくれたぞ、一緒に見よう」

PDFファイルに目を走らせながら、旭は悪党のような笑みを浮かべるのだった。

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