三日目

1.

時計の針が午前九時を差し、大時計の鐘が華やかに打ち鳴らされた。機械仕掛けの人形達が動き出し、どこかで聞いたことがある曲が奏でられる。

翌朝、旭たちは新幣町に来ていた。中心街の一角にあるアーケード通りである。

大きな鐘や人形に向かって、鈴華がスマホのシャッターを切りまくっている。その後ろで調べものをしていた神部が、スマホを覗き込みながら感心したように言った。

「ほー。この曲、ベートーベンらしいぞ。よろこびの歌だってさ」

「紅白のラストで流れるやつだよな。これ聞いてると年末気分になっちまうぜ」

「第九ですよね。旭さん知ってます? 年末に第九を流すのって、日本だけの風習なんですよ」

冴木の言葉に旭は振り返る。

「そうなのか? じゃあ他の国は年末に何流すんだよ」

「さあ。マイケル・ジャクソンとかですかね。アメリカだと」

「この大時計、メルヘンチャイムって名前なんだとさ。平成八年にできて、日本一の大きさらしいぞ。今はどうだか知んねえけど」

「へー。でけえ時計だし、観光客ウケしそうだなとは思ってたけどよ。そこでまんまと写真撮ってる奴みてえに」

鈴華はムッとしたように振り返った。

「そりゃ撮るよ。せっかく来たんだし、いちおう記念に」

もちろん、ただ観光に来たわけではない。ここが待ち合わせ場所なのだ。

まもなくその相手がやってきた。

「よお、おはようさん」

「番場さん、おざッス。知ってました? この時計、日本一でけえらしいッスよ」

「そうなのか? まあどうでもいいやな」

番場は特に興味もない様子で、おざなりにそう返す。いかにも地元民らしい淡泊な反応である。

全員揃ったので、本日の目的地である貸衣装屋へと向かうことにする。

いよいよ明日に迫った花火大会のために、鈴華の衣装をあつらえに行くのだ。

「しかしよぉ、たかが花火を見に行くのに、なんでよそいきの格好しなきゃいけねえんだ?」

道を歩きながら首をひねる番場に、冴木が呆れたように言う。

「きのう話したじゃないですか。そういうイベントだからですよ」

「おう、何か聞いた気はするが忘れた。酒も入ってたしよ」

「あのですね」

人の話を聞いていない、典型的な老害である。

冴木は溜め息をつきつつ、昨日と同じ説明を繰り返した。


福岡・中国工蘇省 友好提携三十周年記念 ドリームベイ弦海花火大会。

福岡市と中国の工蘇省が姉妹都市となって三十周年の記念に、百道浜のビーチを会場に、対岸の海の中路から花火が打ち上げられるイベントだ。

そして限定二十組、抽選で選ばれし者達が、福岡海浜タワーの展望室という特等席でこれを鑑賞するのである。

アジアの玄関口を自負する福岡市の渾身のイベントとあって、格式が求められるのか、タワーに招待された二十組にはドレスコードが課せられていた。


「というわけで、今からその衣装をレンタルしに行くんです。分かりましたか?」

「おう、まあ分かったけど。貸衣装屋なんてこの近くにあったか? このへん良く来るが、見たことねえぞ」

「ありますよ。ちゃんとネットにウェブサイトも出てます。どうせ番場さん、飲み屋にしか目が行ってないだけなんじゃないですか」

「違えねえや。ガハハハ」

冴木の言うとおり、この一帯は居酒屋やバーなどが集中する飲み屋街だった。

近年はファッションブランドの店舗などが進出してきて若者の集まる地域として生まれ変わりつつあるが、主体はやはり昔ながらの夜の店だ。

大きな建物の前を通りかかったところで、旭は鈴華に呼びかけた。

「ちょっと見てみろよ。これ何だと思う」

「え……飲み屋、さん?」

鈴華はその建物を見上げ、自信なさげに答える。

周囲に立ち並ぶ店とは雰囲気の異なる、鉄筋コンクリートの大きな建物だった。道路に面して窓がズラリと並び、こちらと向こう側に大きな入り口がポッカリと口を開けている。

「実はここな、小学校の校舎なんだよ」

「ええ? だって看板」

「もちろん今は廃校だけどな。元々ここは名代小っていう小学校だったんだよ。それが廃校になって、その後を有効活用しようってんで、カフェやら飲み屋やらが入ってきてんのさ」

「えー、すごい。面白い」

鈴華は目を輝かせて旧校舎を見上げる。

「この学校出身の人にはたまらないよね。私、自分が通ってた小学校がこうなったら、ぜったい初めてのお酒はここで飲む」

「間違いねえな。ましてや自分がいた教室がバーになってた日にゃ、俺だったら絶対通いの店にするぜ」

「入ってみたい」

鈴華なら絶対に食いついてくると思っていた。

旭は笑顔でうなずき、

「だろ? じゃあ貸衣装屋の後、休憩にカフェにでも入ってみるか」

そう提案した。

しかしそこで鈴華は首を横に振った。

「カフェじゃなくて。いやカフェもいいんだけど、バーの方に行ってみたい。教室でお酒飲むのとか、すごく楽しそう。東京でこんなの見たことないもん」

「え」

これには旭も困った。

東京にはない、福岡でしか出来ない体験をしてもらいたいとは思うが。

「いや、おまえ未成年じゃねえか」

「飲むのは烏龍茶とかでもいいよ。雰囲気だけでも」

「いやダメだろ、まず見た目で店員に目ェ付けられちまう」

「服装とかで誤魔化せないかな」

よほど興味を引かれたらしく、鈴華は存外に粘ってくる。

しまった、いらんこと刺激してしまったか。旭は後悔した。そういえばこいつ、変なところでクソ度胸あるという事を忘れていた。

「ダメだダメだ、烏龍茶なんざ。飲み屋に行って酒を飲まねえなんてことがあるか」

しかもそこへ番場が話に割って入ってきた。

「よく言ったぜ嬢ちゃん。さっそく今夜にでも連れてってやるよ」

「ちょっと番場さん、未成年に飲酒を勧めるとかやめて下さいよ。捕まりますよ」

冴木が止めようとするが、

「なあに、嬢ちゃん別嬪さんだから、ちょっとマシな服着て髪型イジりゃ、女子大生くらいにゃ見えんだろ。店員だって面倒事はゴメンだから、よっぽどあからさまじゃなきゃ多少は目こぼしするって。四十年も飲み屋を渡り歩いてきた俺が言うんだから間違いねぇ」

番場は一向に取り合わない。

「前に俺が入った居酒屋なんてよ、堂々と制服で入ってきて、これはコスプレですって言い張る猛者もいたぜ。ちょっとゴネただけで店員も最後にゃ折れてたしよ。大丈夫だって、ゴネんのなら任せろ」

「厄介客じゃないですか。だいたい番場さん、いま謹慎中だってこと忘れたんですか?」

「それはそれ、これはこれだ。嬢ちゃんだってあと二、三年すりゃ酒飲むようになるんだ。そん時になって失敗する前に、大人がちゃんと酒飲みの作法ってやつを教えといてやらねえとな」

「番場さんカンベンして下さいよ。俺、こいつの親父さんから頼まれてるんスよ。こいつに何かあったら、俺ぁ親父さんにどんな顔すりゃいいんですか」

旭も拝み倒しにかかるが、番場はやはり意にも介さない。

「何もねえように、俺やお前がついて行くんだろうが。俺なんざ親父に酒を仕込まれたのは十歳の時だったぞ。人生の先輩として、教えてやれる事は出し惜しみせずに教えてやるんだよ。俺がお前ら教えてやった時だってそうだっただろ、おお神部?」

「や、そりゃ仕事で鍛えてもらったのには感謝してますけど……」

「嬢ちゃんだって、その辺ちゃんと学んどきたいだろ?」

「はいっ、学んどきたいです!」

番場の問いかけに、鈴華はよそ行きの笑顔で素直な返事をする。

短いやりとりの中で、早くも大人たちのヒエラルキーを見抜いたらしい。自分の目的達成のためには、このお爺ちゃんに媚びておくのが得策―――― そう判断したのがありありと分かる。まったく強かな娘である。

「ほれ見ろ。子供の学びたいっていう気持ちを、大人が押さえつけちゃいけねえや。そんなんだから今の日本はダメになってんだよ。分かったか」

賓客である鈴華と大先輩の番場にタッグを組まれては、旭らに勝ち目などあろうはずもない。

「おら行くぞ。せっかく貸衣装屋に行くんだ、明日の分だけじゃなくて今夜の分も、女子大生っぽいやつを一つ、見繕ってやろうじゃねえか」

「おじさん、早く行こう」

「あーくそ……何でこうなるんだよ」

意気揚々と歩き出す番場と鈴華。

その後を残り三人はトボトボとついて行くのだった。

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