11.

夕食は冴木チョイスの和食店で、弦界灘の魚を堪能した。

新鮮な刺身や揚げ物にあわせて地酒を味わい、そして締めは中州の屋台でラーメン。

旭たちはホテルに向かうべく、那加川にかかる橋を渡っていた。

「ほら鈴華ちゃん見える? あそこに『CAMAL CITY』って出てるんだけど。あそこが福岡の観光名所になってるキャマルシティよ、韓国や中国からの観光客に人気のスポット」

「ホントだ。聞いたことあります」

「つってもよ、キャマルって何かあったっけ? 映画館とラーメンスタジアムしかなかった気がするが」

「それは旭さんの興味がそこにしか無いからでしょ。色々ありますよ」

陽の落ちた中州の街は、きらびやかなネオンに彩られていた。

時刻は午後八時。福岡一の歓楽街はいよいよこれから華やぐ時間帯だが、健全な高校生を連れて歩くにはそろそろ限界だ。

「地元のグルメをじっくり味わったのなんて初めてかもなあ。たまには良いもんだぜ、地元だと逆に行かねえからよ」

「そういうもんだよな。俺も初めて『杉乃舎』を飲んだが、意外に美味かったぜ。今度買いに行かねえと」

珍しく上機嫌な神部の呟きに、旭も同意する。

久々に休日らしいひとときを過ごした気がする。よく他人が「自分へのご褒美」などと言って豪華なディナーやブランド物に手を出すのをバカにしていたが、こうして自分で味わってみると、なるほどと思える。たまには贅沢もいいものだ。

橋を渡って天仁方向へ歩いていると、強烈なとんこつの匂いが鼻をついた。

「えっ、何この匂い。すごい」

鈴華が驚いたように鼻を押さえる。

「ははは、やっぱ初めてはキツいか。あそこの巨砲ラーメンだよ。久瑠米のラーメンで、こってり濃厚なとんこつスープが特徴だ。そのぶん匂いも、この通り強烈でな」

「けどハマる奴はどハマりするんだぜ。逆にこの強烈な匂いじゃねえと、ラーメン食った気がしねえって言う奴もいるくらいでよ」

「そ、そうなんですか。けど、私はちょっと……」

「まあ臭いわよね。はっきり言って」

言葉を選びながら言う鈴華とは対照的に、冴木は身もふたもない事を言っていた。

仁志鉄電車の高架と四越デパートが近くなってくる。

あそこを過ぎて新幣町のアーケードを通り抜ければホテルへ到着である。後は明日の予定を決め、ゆっくり休むつもりだった。

だが。

旭らの前に、まるで門番のように、一人の男が立ち塞がった。

「探しましたよ、お嬢さん」

鈴華が顔をこわばらせる。

月城だった。

冴木が急いで鈴華を庇い、さらにその前に旭が出て、至近距離で対峙する。

「よう、何時間かぶりじゃねえか。元気にしてたか」

「昼間は手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。脳震盪はもう大丈夫ですか」

「うるせえ、あん時はちょっと油断しただけだ。もう二度と食らうかよ」

月城は慇懃な態度を崩さず、懐から封筒を取り出して差し出してきた。

「お嬢さんと遊んで頂き、誠にありがとうございました。少ないですが、御礼です。どうぞお収めを」

「いるかよ、んなもん」

腕を振るって封筒を叩き落す。

神部が周囲を見回し、緊張した声で言ってきた。

「おい旭、囲まれてんぞ」

いつの間にか黒服が四人、旭たちを取り囲んでいた。背後の黒服に気付いた冴木が慌てて立ち位置を入れ替え、鈴華を輪の中心に置いて庇う。

「昼間にやられたからって頭数増やしてお礼参りたぁ、中学生のケンカかよ」

「手荒なことになるかどうかは、あなた方次第ですよ。……お嬢さん」

月城は旭を軽くあしらい、鈴華へと呼びかける。

「明日、お父様がこちらへお見えになります」

「えっ?」

「誠に勝手ながら、私が状況をお知らせしてお呼びしました。私よりもお父様に説得して頂いた方が良いと思いましたので。お父様は明日のお昼過ぎにご到着の予定です。我々と一緒に来て頂きますよ。まさか、はるばる東京からお越しいただくお父様を無視するということは、ございませんよね?」

「月城さんが勝手に呼んだんでしょ? そんなの知らない」

反論する鈴華だが、言葉に力がない。月城の言う通り、わざわざ駆けつけてくる父親を無視はできないのだろう。性根の優しい娘なのだ。

その優しさに付け込んだ強引な小細工が、旭は気に入らなかった。

「親父さんが来るのか」

「そうだ。お嬢さんをこちらへ渡してもらおうか」

「断る。親父さんと会う時間と場所だけ教えろ。待ち合わせりゃいいだけだろうが」

「……何度も言うが、君たちは部外者だろう。こちらの事情に無関係の人間から首を突っ込まれるのは迷惑なんだよ」

「確かに部外者だけどよ。けど、大人の汚ねえ陰謀で未成年のガキが無理やり結婚させられるって知っちまったら、黙ってるわけにも行かなくなってな」

月城は溜め息をついた。

「お嬢さん。このような大事な話を、不用意に第三者に広められては困ります」

「困るのはてめえらだけだろうが。何より、本人があんたを嫌っている。渡すわけには行かねえな」

「もう少し大人になって考えてみたらどうだ。警察沙汰にはしたくないだろう?」

睨み合う旭と月城の間に、別の声が割って入った。

「警察沙汰にしたけりゃ、すればいいじゃねえか。むしろ何でまだやってないんだ?」

神部だった。

驚いて振り返る旭の隣に立ち、厳しい顔で月城を睨みつける。

「気になってちょっと調べたんだがよ。ゴールドプレートってな、板金業界じゃ最大手級の一流企業らしいじゃねえか。そこの部長補佐ともなりゃ、それなりに多忙なポジションのはずだ。そんな人間が、なんで自ら出向いて家出女子高生なんかに構ってんだ? こんな面倒くさい事、それこそ警察に捜索願でも出して任せりゃ済む話じゃねえか」

言われてみればもっともだった。

「詳しい事情は知らねえけどよ。実はこの結婚話、そうとうヤバい話なんじゃねえのか。世間様に知られたら、ゴールドプレートの看板に傷がつくような。つまりあんたらは警察を呼べねえ。呼ばれたら困るんだ。違うか」

月城は沈黙する。眼光鋭く神部を睨むのみだ。

神部はさらに言った。

「月城さん、だったか。あんた今いくつだ」

「……四十二歳だが?」

「なんだ俺らの一コ下かよ。四十過ぎて部長補佐、か。けっこう頑張ってるけど微妙なところだなぁ」

月城の顔に、今度こそはっきりと神部に対する明確な嫌悪が浮かぶ。

「お、おい神部、何の話してんだよ」

話について行けない旭が尋ねると、神部は軽く笑って答えた。

「いやなに。一般論で言うところの、一流企業内での出世競争の話だよ。もちろん会社によって違いはあるだろうが、レールに乗ってる奴ってのはだいたい四十代前半くらいまでに部長クラスのポストを経験するもんだ。四十二歳で部長補佐なら、なかなかの位置をキープしちゃあいるが。競争に生き残るか脱落するか、ちょうど微妙な感じだと思ってよ」

「何が言いたい。誰だか知らないが、憶測でものを言うのはやめてもらおうか」

「ああ憶測だよ。完全に俺の個人的な憶測だ。ただよ、もし俺の想像通りだったとしたら、あんたが気の毒だと思ってよ。老婆心ながら忠告してやりたくなったのさ」

「忠告?」

「月城さん。あんた、がけっぷちなんじゃねえのか? このままじゃ競争から脱落する。そんな時にこのヤバい話が舞い込んだ。この女子高生を連れ戻して来れば、部長のポストにつけてやるとか……違うか?」

「デタラメだ」

吐き捨てる月城に、神部は肩をすくめた。

「そうかハズレか。なら悪かった。けどよ、当たらずとも遠からずの事情があんじゃねえか? 忠告するけどよ、やめた方がいいぜ。ロクなことにならねえよ」

「何を分かった風な顔をして話を進めている。違うと言っているだろう、それ以上くだらない妄言を吐き続けるなら」

「分かるさ」

相手の発言を遮り、神部は真っすぐに月城を見据えて言った。

「昔の俺が、ちょうど今のあんたみたいな感じだったんだ。傍から見てるとよく分かる。同じ匂いがするんだよ。ああ、俺もこんな風だったんだなぁってさ。だからあんたのこと、他人ごとに思えねえんだよ」

全員が一瞬、押し黙った。旭も驚いて神部の方を見つめてしまった。

神部の過去。酒の席でチラリと聞いたことくらいはあるが、そういえば詳しい話は聞いたことがなかった。月城と似ているとは、一体。

しかしそれを問いつめるような場面ではない。月城が低い声で言った。

「……もういい」

凄惨な目で神部と、そして旭を睨みつける。

「お前ら、ただの小さな運送会社のトラック運転手だろう。負け組どもが俺の邪魔をしたあげく、何を上から目線で物を言っている。俺はな、お前らみたいな知った風なバカが何より嫌いなんだ」

「話はよく分かんなかったけどよ。そこだけは気が合うじゃねえか」

旭は拳を握りしめ、すばやく身構えた。

「俺もお前みたいな、自分が上等な人間だと勘違いした、インテリぶったバカが大嫌いなんだよ!」

月城が手を振り下ろしたのを合図に、黒服たちが襲い掛かってきた。

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