12.
旭は両手で顔面を庇いつつ、迫り来る黒服の一人の腹めがけて頭から突っ込んだ。
「オラァ!」
全力のぶちかましで相手を吹き飛ばし、倒れたところをすかさず馬乗りになり、めった殴りにする。
相手は月城を入れて五人、対してこちらは神部と自分で実質二人だ。とにかく先ずは敵の頭数を減らさなければ勝負にすらならない。
別の黒服が慌てて旭の背中に蹴りを入れるが、旭は構わない。ひたすら倒した相手を殴り続け、確実に沈黙させた。
次。さっきの黒服が胸倉を掴んでくる。殴ろうと振り上げたその拳が落ちてくるより早く、旭は相手の頭を両手で掴んで顔面に頭突きを入れる。黒服は鼻血を吹き出して後方へよろめいた。
よし怯んだ。次はこいつを、いやその前に。
絶好のチャンスだったが、旭はそれよりも周囲を見回した。
「このっ、テメッ、来るんじゃねえよ……あだだだ! 放せコノヤロっ!」
神部が一人ともみ合い、簡単に腕を極められて悲鳴を上げていた。
まあこれは予想通り。神部が殴り合いをしている所など見たことがない。ケンカが得意だとは思っていなかった。
駆け寄って相手の後頭部に背後から蹴りを入れる。もんどりうって路上に転がった黒服の手が離れたところで神部は立ち上がる。それだけ確認し、旭は別の方向に目を向けた。
「やっ……!」
「鈴華ちゃん! ちょっとアンタ、放しなさいよ変態!」
鈴華の腕を掴んで強引に引っ張ろうとする月城の腕に、冴木が取り付いて罵声を浴びせている。その冴木を背後から黒服が羽交い絞めにしようとしていた。
こいつは……こいつは、こうだっ!
旭はまず月城の背後に回り、首に腕を回してヘッドロックをかけた。
このケンカは勝ち負けじゃない、鈴華を奪われるか否かだ。だとすれば優先順位は変わってくる。
「ぐっ、き、貴様っ……!」
月城が腹に肘鉄を入れてくる。さっき頭突きを入れた黒服が二人を引き剥がそうと殴りかかってくる。
旭は根性でそれらに耐え、ギリギリと両腕に力を込めて月城の首を締め上げた。
「冴木、そっちの一人は何とかしてくれ! 鈴華取られるんじゃねえぞ!」
「ぜんぶ俺に任せろ、くらいのこと言って下さいよ!」
黒服ともみ合い、力比べで圧倒的に負けながら冴木が文句を言う。
月城の肘鉄と黒服の顔面パンチが同時に入った。たまらずに腕の力が緩んでしまう。その隙を逃さずに月城が旭の腕を引き剥がし、ヘッドロックを外されてしまった。
クラクションが鳴り響く。いつの間にか一台の黒塗りが、すぐそばの脇道に強引な体勢で停車していた。その運転席には同じような黒服がハンドルを握っている。
まだ居やがったのか! クローンじゃあるまいし、どいつもこいつも似たような恰好しやがって!
「雑魚に構うな! 目標の確保が最優先だ!」
月城の指示にうなずき、新たな黒服が車から降りてきた。
「逃げろ鈴華!」
限界だと感じ、とっさにそう声を上げた。
旭の声に鈴華はうなずいて駆け出すが、すぐに捕まってしまう。強引に車へ引きずられる姿を見て旭は助けに行こうとするが、その前に月城と黒服が立ち塞がった。
「どけ!」
「うるさい負け組」
強引に突破しようとするが、焦りが裏目に出てしまった。単調になってしまった突進をかわされ、逆に月城の左ジャブをもらう。動きが止まったところを背後から黒服に羽交い絞めにされ、捕まってしまった。
「くっ、この……!」
「終わりだ」
防御も何もできない状態で、月城から渾身のボディーブロー。重い一撃を腹に受け、旭は呻き声を上げて悶絶した。
さらに追撃の右フック。一瞬目の前が真っ暗になり星が瞬く。
やべえ。やべえ。
手足から力が抜けていく。暗くなった視界の隅で、冴木が黒服から頬をはたかれて倒れるのが見える。引きずられて行く鈴華が、もうすぐ車に到着してしまう。
そして神部は……あれ?
そこで旭は気が付いた。さっきの場所に神部の姿がない。彼ともみ合っていた黒服がうずくまり、痛みに煩悶している姿があるのみだ。どこへ行った?
「さっさとくたばれ!」
勝利を確信して笑みを浮かべている月城から、さらにパンチをもらう。
グロッキーになりながら、旭は必死で首を巡らせて相棒の姿を探す。
いた。
いつの間に移動したのか、神部は黒塗りの運転席のドアを開け、その中に体を突っ込んでいた。
黒塗りがエンジンを停止する。そして身を起こしたその手には、車のキーが握られていた。運転手の黒服は、うかつにもキーを置いたまま車を降りていたらしい。
いいぞ神部!
旭は快哉を上げた。実際に声になったかどうかは分からない。
「貴様ッ!」
気付いた月城が血相を変えて怒声を上げ、鈴華を引きずっていた運転手の黒服が慌てて駆け寄ろうとするが、時すでに遅し。神部はすぐ傍にあったドブ川めがけて、キーを全力投球で投げ捨てた。
これで車は使えない。この夜闇の中、ドブ川からキーを見つけ出すのは至難の業だ。
神部の見事な頭脳プレーだった。もっとも本人は、直後に怒りの形相で駆け寄って来た運転手に殴り倒されていたが。
そして鈴華の姿は消えていた。運転手が手を放して神部に襲い掛かって行った瞬間、身を翻して再び逃げたのだ。
このケンカは勝ち負けではない、自分が月城に捕まるか否か。そのことをよく分かっていたようだ。
「っ、だらあああっ!」
旭は渾身の力を振り絞って、背後の黒服に後頭部で頭突きを入れた。怯んだ相手の腕を振りほどき、羽交い絞めからの脱出を果たす。
「形勢逆転だなぁ、月城さんよ」
荒い息を吐きながら笑ってみせる。
「貴様……一度ならず二度までもっ……! この、負け犬がぁ!」
鬼の形相で殴りかかってきた月城の拳をガードで受け止め、大振りのパンチを返す。全体重を乗せた渾身のパンチはガードされたものの、重い一撃の威力は止められなかったか、月城は後ろへ後退した。
「後は時間さえ稼ぎゃいいわけだ。こんだけの騒ぎだ、遅かれ早かれ警察がここに来る。あんたらは警察沙汰はマズいんだったよなぁ?」
「貴様……貴様……ッ!」
月城の顔は憤怒に染まっていたが、状況を見極める冷静さは残していたらしい。
黒服たちに指示を出し、その場を立ち去って行った。
勝った。
勝ったと言えるのかは不明だが、とにかくピンチをしのげた。
旭は路上に大の字になって倒れる。疲れた。
「お寛ぎのところ申し訳ないですけど、私たちもさっさと逃げましょう」
上から冴木が覗き込んできた。
「なんだよ、ちょっとくらい休ませろよ」
「ホテルで休んで下さい。私たちだって、警察沙汰になんて出来ればなりたくないんですから」
「ごもっともで」
「それに第一、恥ずかしいです」
すっかり頭から飛んでいたが、宵の口の街中である。周囲にはそこかしこに野次馬の集団が固まっていた。
改めて思うが、これだけ人がいる中で派手なケンカをしたというのに、まだ警察が来ていないというのも凄い話だ。みな遠巻きに見物はしても、自ら積極的に動いて事態を収拾しようとはしないのだ。
まったく薄情な世の中だぜ。まあそっちの方が助かるけどよ。
面倒事を避けたがる現代人の習性を垣間見た思いだった。
身を起こし、離れたところで倒れている神部を助け起こしてやる。
「おい立てよ神部、とっととトンズラするぞ。あと鈴華も探しに行かねえとなぁ」
「それなら大丈夫ですよ」
「あん? 何でだよ。どこに逃げてったかも分かんねえのに」
振り返る旭に冴木はある方向を指差す。全力で逃げて行ったはずの鈴華が、こちらへ戻ってくる姿がそこにあった。
「逃げたフリして、きっと近くに隠れて様子を見てたんですよ。本当に賢い子です」
「大したタマだぜ全く。東京民にしとくのは惜しい逸材だ」
旭も内心で舌を巻きながら、苦笑するしかなかった。
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