7.
涙が滲んだその目は、真っ赤になっていた。
「世の中のオジサンって、若い女が好きなんだよね? 私、若いよ。十七歳。現役女子高生だよ。お、お友達にも自慢できると思うなぁ」
そりゃそうだ。
職場の同僚にはさぞかし羨ましがられることだろう。
長谷川とか若ぇ連中に至っては、東京の女子高生と遊びたいってあんなに騒いでたしな。これで嫁とか言った日にゃ、連中ひっくり返るぜ。
オジサンは若い女が好き。ああその通りだ。男はいくつになっても若い女が好きなもんだ。しかも若いだけじゃねえ、これほど将来有望な美人の卵だ。本当ならよほどのイケメンか金持ちでもない限り絶対に手に入らないような極上品が、自分の方から転がり込んで来るというのだから笑いが止まらない。
こんなチャンス、人生で二度とないぞ。ロスジェネ世代で良いことなんてひとつも無かった俺の人生、これで一気に勝ち組だ。やったぜ。
―――― そんな愚にもつかないことを、冷め切った気分で淡々と考えた。
「話にならねえな」
しがみつく鈴華の手を、やんわりとほどく。
「ガキが、できもしねえ媚売ってんじゃねえぞ。下手くそか」
立ち上がり、タバコに火をつけた。
普段より深く吸い込み、雨の気配がする湿った空気中に紫煙を吐き出す。
「あ、あれ? 怒った?」
「別に怒っちゃいねえよ」
「うそ。怒ってる。ええと……そうだ。私、オムライス得意」
「何の話してんだ」
「お料理できますってアピール、のつもりなんだけど。それから私、束縛する系じゃないよ。メッセの返事遅くても大丈夫。デートのランチがラーメンでも平気。あと私、昔の音楽とかも結構聴くよ? ビジュアル系バンド、だったかな。ユーチューブで聴いたことあるけど良い歌多いよね。それから……」
いたたまれなさに溜め息混じりで煙を吐き出し、振り返る。
鈴華は指折り数えながら、旭にウケそうなアピールポイントを挙げていた。
「それから、それから」
小指を折れそうで、折れない。
アピールできるネタが早くも尽きたらしい。
不出来な笑顔を張り付けたまま、涙目で自分の小指を見つめて呟く。
「ど、どうしたらいいのかな。男の人に気に入ってもらうのって、どうしたらいいのかな。やっぱり、おっぱい大きくないとダメかなぁ?」
その痛々しい姿を見て哀しくなった。
誰だ、こいつは。
これが里見鈴華か。
図々しくも俺のトラックに勝手に乗り込んできて。生意気にも俺にタメ口ききやがって。そして俺の鼻っ柱を二回もブン殴った女か、これが。
「そういう問題じゃねえ。七十過ぎのジジイと結婚するのが嫌だから四十過ぎのオッサンと結婚するって、何も変わりゃしねえじゃねえか。根本的な解決になってねえってんだよ」
「違うよ、そんな意味で言ったんじゃない。おじさんだったらいいかなぁって思ったから言ったんだよ」
「なんで。何か俺に惚れる要素なんかあったか?」
そう尋ねると、鈴華は驚いたように目を丸くした。
「あるに決まってる! 何言ってるの?」
「いや全然分かんねえ。例えば?」
「だっておじさん、私がトラックに黙って乗ったのに、怒らずに許してくれた。ぜんぜん関係ないのに助けてくれて、私のために痛い思いして喧嘩してくれた。お父さんのこと元気づけてくれたし、さっきなんて空を飛んでるヘリの中にまで、命がけで追いかけて来てくれた」
「あ~……。確かにそう聞くと、もっともらしく聞こえるがな。でも要するに優しくて強ぇ男だろ? もっと若くて、俺より優しくて強ぇ男なんて世の中にごまんと居るぜ。ここで目の前のもんに飛びつくんじゃなくて、じっくり世の中を見て、よーく選んでだな」
「そんなの言われなくても分かってるよ、バカにしないで!」
優しく諭そうとしたが、逆に鈴華は激昂した。
「私だって四十過ぎのオジサンに告白とか、おかしいことしてるって分かってるよ! おじさんよりもっと若くて強くて優しくてかっこいい、そんな人がいるって事も分かってる。でも、それってどこの誰!? 仕方ないじゃない、居ることだけ分かってたって、それがどこの誰だか分かんないんだから! 世界のどこかにそんな人がいたって、今ここに居てくれなきゃ意味ないの、そんなの居ないのと同じなの!」
正論だった。
「仕方ないじゃない、実際に私のこと助けてくれたのはおじさんなんだから! これだけ助けてもらって、男の人にこれだけされたら、そりゃ好きになるに決まってるじゃない! そんなことも分かんないの? これだけやっといて、何で惚れる要素が無いなんて思ってるの? 信じらんない!」
「いや、だから今は見つからなくたって、お前はまだ若ぇんだ。これからいくらでも出会いが」
「そういうのやめて。じゃあ聞くけど、どうしておじさんは今、結婚できてないの? おじさんに合う人だって、この世のどこかに絶対いたはずじゃない。今までいくらでも出会いがあったはずじゃない。なのにどうして今、結婚できてないの? できてないのなら、そんなの居なかったのと同じじゃない」
「そ、それは」
「嘘つかないで。現実がそんなにうまく行くわけないって事ぐらい、とっくに分かってるの。ちゃんと考えたの。これでも私、恥ずかしいんだよ? 恥ずかしいの我慢して、勇気出して言ったのに、それなのに私のことバカにしないで」
ぐうの音も出なかった。
明らかに自分より鈴華の方が理にかなっていた。
高校生に負けた。信じられない。何でこいつ、高校生でこんなに色々と考えられるんだ。それとも、ひょっとして俺が知らないだけで、女ってみんなこうなのか?
「もうやだ。こんなはずじゃなかったのに。ぜんぜん可愛くない。ぜんぜんうまく出来ない。かっこ悪い」
旭をこてんぱんに言い負かした事にも気付かず、当の本人は顔を伏せて嘆いている。
「だいたいおじさんも悪い。好きでもない相手に、何でそんな優しくするの。何でそんな一生懸命に助けたりするの。勘違いするに決まってるのに。これじゃ私がバカみたいじゃない……ああダメ、やだ、面倒くさい女のセリフだ。もうほんとにやだ」
たぶんだけど。
こいつ、本当に賢い奴なんだろうな。
こんな時くらい、何もかも男のせいにして、被害者気取っちまえばいいものを。なまじ頭がよく回るばっかりに、自分の言動が客観的にどうなのか分かってしまう。
損な奴だよ、まったく。
「……お前を助けた理由、か……」
反省しよう。これは俺が悪い。
相手がガキだからって、いくら何でもナメすぎた。恥をかかせてしまった。
ここは誠意を見せるべきだろう。
タバコをもみ消し、再び鈴華の隣に腰掛ける。
「時間は、まだあるみてえだしな。ちょっと昔話でもしようかと思うんだが、聞いてくれるか」
返事はなかったが、鈴華の視線を横から感じる。
空から雨粒が落ちてきた。まもなく霧のような雨が降り始め、足元のコンクリートをしっとりと濡らし始める。
薄い雨のカーテンを眺めながら、旭はゆっくりと口を開いた。
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