10.
予定通りホテルのレストランで夕食を取り、風呂も済ませた。
旭と神部は部屋でベッドに寝転んで、ぼんやりテレビを眺めていた。
「よう神部、どうするよ。ちょっと近場に飲みにでも行かねえか」
旭はそう言って誘ってみるが、神部の返事はつれなかった。
「嬢ちゃんが部屋で大人しくしてくれるなら、行ってもいいがな。コンビニ行きたいとか言い出したらどうするよ。冴木一人じゃ危ねえだろ」
「あ~……それもそうか。じゃあ今日も部屋でチビチビやるだけか。ボディガードって大変なんだなぁ」
そんなことを話していると部屋のドアがノックされる。
覗き穴から見てみると、冴木と鈴華だった。驚いてドアを開ける。
「どうしたんだよ二人揃って。コンビニか?」
「何ですかコンビニって。違いますよ、鈴華ちゃんが」
冴木は後ろに控える鈴華に振り返る。鈴華は手にしていたポータブルの緑色の盤面をこちらに掲げてきた。
「何だそれ。オセロか?」
「フロントで借りてきた」
なぜか「手柄を立てた」と言わんばかりに得意げな顔をしている。
「やりたいそうなんです。お二人で相手してもらえませんか」
「そりゃ構わねえけどよ。何で俺達に? お前が相手してやりゃいいじゃねえか」
「私、オセロってやったことなくて。ルール知らないんです」
「オセロをやったことがない!? そんなヤツ日本にいたのか!?」
「悪いですか」
睨まれた。
「それじゃあ私、一階のバーにいますから。後はよろしくお願いします」
「お、おう」
鈴華が部屋に入ったのを見届けると、冴木はさっさとエレベーターの方へ歩いて行ってしまった。
「一人でバーだとよ。さすが冴木総務部長、いい趣味してやがるぜ」
室内に戻ると鈴華は勝手に旭のベッドに上がり、盤を広げて待っていた。
「おじさん、オセロ」
「俺にオセロで挑むとは良い度胸だ。鉱山の山小屋にいた頃は、毎晩のように勝ちまくって同僚からビールを巻き上げてたもんだぜ。お前やれんのかよ」
「お昼休みに友達とやってた。私、強かった」
「ハッ、学校のお遊びレベルとは笑わせる。オセロのケンと呼ばれたこの俺が、勝負の厳しさってもんを教えてやるぜ」
旭は自信満々に笑いながらベッドに上がり、盤を挟んで鈴華と向き合った。
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「こ、こんなバカな……」
八割方を黒で埋め尽くされた盤面を見下ろして、旭は呻いた。
これで三連敗である。
惨敗である。
「おいどうしたよ、オセロのケン」
「うるせえな、こいつマジで強ぇんだよ……!」
にやにやしながら冷やかしてくる神部に、たまらずに言い返す。
鈴華はすっかり得意満面で鼻息を荒くしている。
「くそっ、もう一回だもう一回! もう頭にきた、お遊びはここまでだ!」
「お前さっきもそう言ってたじゃねえか。仏の顔も三度までだっつってよ」
「今のが三度目だから丁度いいじゃねえか。次こそ本気ってわけだ」
「いや、仏の顔も三度までって、三度目がアウトって意味なんだがな」
「黙ってろよ。東京モンの小娘に、でかい顔されたまま引き下がれるか!」
盤にかじりついたまま動かない旭。先ほど「これが終わったら神部と交代する」という話は完全に忘れているようだ。
四回戦が始まり、またも手持ち不沙汰になった神部は。
「なあ、俺もバー行ってきていいか」
「おお行け行け!」
こちらを振り返りもせずに即答する旭に、肩をすくめる。
「悪ぃな嬢ちゃん。しばらくこのバカの面倒見ててやってくれ」
「はい」
楽しそうにうなずく鈴華。
まったく、どちらがどちらのお守りなのやら。
オセロに夢中な二人を残し、神部はスマホを手に取って部屋を出た。
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一階の館内図を見ると、バーの場所はすぐに分かった。
カウンターの隅に目当ての人物を見つける。冴木はカクテルらしきグラスを前に、肘をついて佇んでいた。
「よう。隣いいか?」
近づいて声をかける。
冴木は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「一人になりてえってんなら、よそ行くけど」
「別にいいですよ。ちょうど一人で退屈してたところです」
許可が出たので隣の席に座り、バーテンに麦焼酎の水割りを注文する。
「お洒落なバーで女と一緒に飲むってのに、焼酎とか。オジサンくさいですね」
「お前相手にカッコつけたって仕方ねえだろ」
「旭さんは?」
「部屋で嬢ちゃんと一緒にオセロで盛り上がってるよ」
「二人きりですか? マズくないですか」
「お前も部屋見てきたら分かるさ。とてもそんなことになりそうな雰囲気じゃねえから。小学生レベルで盛り上がってやがる」
冴木は笑った。
「鈴華ちゃん、どうしてか旭さんのことは信頼してるって言うか、いまいち警戒心が薄い感じなんですよね。あんなおじさんなのに」
「分かりやすくバカだからだろ。旭は旭で『親父さんに託された!』って一人で勝手に使命感に燃えてやがるからな。間違いなんぞ起こりゃしねえよ」
バーテンがグラスを持ってきた。神部はそれを受け取り、軽くあおる。
冴木もカクテルグラスに口をつけ、尋ねた。
「それで神部さんはどうしたんです? 私に何かお話ですか?」
「ああ、まあ……。そうだな、質問だ」
「伺いましょう」
「お前、なんであんなに嬢ちゃんの肩持ったんだ?」
冴木は首を傾げる。
「鈴華ちゃんの肩を持つ? 私、いつそんなことしましたっけ」
「一番最初だよ。あの嬢ちゃんのために社長とケンカして、応接室に立て籠もって、有給取らせろって騒いでよ」
相手の方は見ず、神部は落ち着いた口振りで言う。
「あんだけ冴木総務部長らしからぬ言動されたんじゃよ、気になんだろ」
「それは神部さんの部屋で説明したじゃないですか。鈴華ちゃんから事情を聞いて、せめてあの子に短い自由を満喫させてあげたかったからですよ」
「あんな突拍子もない話を、お前がアッサリ信じたってのが不思議なんだよ。親の会社の都合で政略結婚とか昭和のドラマかっつーの。天下の冴木総務部長閣下が、そんな与太話を真に受けるなんざ俺にはとても信じられなかったよ。けどお前は信じた。だったら信じるに値する何かがあったと考えるべきだ」
そこでようやく神部は冴木に振り向く。
「お前、嬢ちゃんと二人だけで話したそうじゃねえか。そんとき何を話したんだ?」
「………………」
冴木はしばらく神部の視線をジッと受け止め、それから溜め息をつく。
「神部さんの部屋でやった説明で、納得してくれたと思ってたのになぁ」
「旭は疑いもしてねえみたいだがな。けど俺はそこまでお人好しじゃねえ、嬢ちゃんの話なんか信じてなかったよ。今日親父さんに会って初めて、本当の話だったのかって驚いたくらいだ。俺がここまでお前らに付き合ってきたのは、むしろ嬢ちゃんがどうやってあんな話をお前に信じさせたのか、そっちに興味があったからなんだよ」
「あ~……なるほど。神部さんのこと甘く見てました」
冴木は観念したようだった。
考えをまとめるように沈黙し、ゆっくりとカクテルグラスを口に運ぶ。
神部も急かしはしなかった。
「確かにあの子から話を聞いた当初は、私も信じませんでした。神部さんの言う通り、突拍子もない話でしたから」
「だよな。じゃあ何でだ」
「あの子、指輪を持ってたんですよ。相手から貰ったっていう、婚約指輪を。お金に困った時に換金するつもりで持ってきてたらしいですけど」
「それ見て信じたってのか? お前、指輪の真贋なんて分かんのかよ。安物のニセモノかも知れねえじゃねえか。高校生のガキでもちょっと頭の回る奴なら、小道具くらい用意するもんだ」
「あれは本物ですよ。だって」
冴木はいったん言葉を切り、
「昔、私がフィアンセから貰ったやつと同じ指輪だったんですから」
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