第8話 裏と表と 後編①

 ここまでの仕込みはゴーダンがフリントの血の目つぶしをされたときに行われていた。気絶したマーカートの手にナイフが握られていることを確認したフリントは、目つぶし後の蹴りが失敗したときに備え、ゴーダンが持っていた袋から氷を盗みだしていた。


 そしてその氷をポケットにしまっていたが、溶けてしまっては元も子もない。それが早くきっかけを作らなければという思いを生んでいた。口の中に氷を仕込んだタイミングは壁に激突して咳き込んでいた時であり、すべてがゴーダンに違和感を抱かせないよう、慎重に大胆に進められていた。


「あー……ちくしょう……いってぇ……」


 フリントは勝ちを確信すると共に膝から崩れ落ちた。マウスピースをつけているからといってダウンしないボクサーはいない。あくまで何もない状態に比べて我慢できるというだけである。ゴーダンのパンチを完璧に顔面に食らっていたフリントは力尽き、倒れてしまった。


「フリント君!」


 シェリルはフリントに駆け寄りたかったが、ミレイヌの治療が終わりきっていないため動くことができない。ケガの治療具合はようやく7割といったところであり、安静にしておける状態になるまではまだ時間がかかりそうであった。


 フリントは霞がかった意識の中、自分を心配そうな顔で見るシェリルを見る。――そして。


「……え?」


 シェリルの背後からいくつもの黒い影が現れ、シェリル達を攫って行った。フリントは何とかして動こうとするが、意識が闇へと吸い込まれ、気を失ってしまう――。


× × ×


 真っ暗闇の中、フリントは自分がなぜかポツンと立っていることに気づいた。ふと自分の顔面を触るが腫れあがっておらず、服も奇麗なままだった。ただ夢にしてはやけに現実感があり、意識がはっきりしているという実感があった。


「なんだここは……?」


 とりあえず地面の感覚はあったので、前に進んでみようとした。その時だった。


「フリント。……久しぶり」


 フリントは背後から聞こえたその声に、驚きながら振り向いた。そして目に涙を浮かべて、その声の主を――白い髪の少女を抱きしめた。


「……クーデリア!」


 フリントはクーデリアを強く抱きしめる。クーデリアはフリントの頭を抱き、薄く微笑んだ。だがフリントはそのクーデリアの行動に違和感を覚え、バッと離れてしまう。


「…………クーデリア? お前……クーデリアか?」


 フリントのその質問にクーデリアは少し悲しげな表情を浮かべ、そして微笑に変えて答えた。


「……うん。私はクーデリア。それは間違いない。ただ、今の私はあなたのよく知るクーデリアじゃなくて」


 クーデリアは右手を身体の前に掲げる。その右手の甲には魔剣の紋章が刻まれていた。


「魔剣(クーヒャドルファン)の紋章の化身。……あなたの知っているクーデリアは、ナタール家が管理しやすいように作り替えたもう一つの私。無垢な子供の人格を形成させて、長年に渡って幽閉していた哀れな少女」


 フリントは自分の右手を見る。自分の右手の魔剣の紋章は消えており、出そうと思っても魔剣は出現しなかった。そしてフリントはクーデリアに尋ねる。


「聞きたいことは無限にある。……だから今は一つだけ聞かせてくれ。お前は一体何がしたいんだ?」


 フリントの質問にクーデリアは苦笑した。


「フッ……。フリントらしいや。小難しいことばっか考えて、要点だけで動こうとする。……それでいて一度決めたら退いたりしない」


 答えをはぐらかすクーデリアにフリントは縋るように尋ねた。


「頼む」


 フリントの真剣な表情にクーデリアは観念した。そして数呼吸置いて、無理に紡ぎだすように答える。


「…………外に出ること。私は……外に出たいと思っていると”思う”」


「……それは”お前の意思“なのか?」


「…………どうだろう。私は……私の“欲”を、本能をコントロールできない」


 クーデリアは右手を上に掲げた。


「私が外に出たいのは、今まで狭い場所に閉じ込められてきて自由を手にしたいから?……この枯渇しきった世界を捨てて、生命あふれる新しい場所を食らいつくしたいから?私には……わからないの……」


 フリントは今まで疑問に思っていたことがあった。この魔力を食らい尽くす紋章を外に持ち出したら一体どうなるのか?この石の密林では抑えられているものが、生命溢れる外に出たときに果たして暴走しないのかと。もしかして魔剣の紋章を外に持ち出すということは、魔剣の紋章側にも利があり、俺は体よく操られているのではないかと。


「……俺は、俺も、よくわからないんだ。なんで俺は外を目指しているんだ?誰も彼もが俺に自分で決めろというくせに何かを託してくる。俺が外を目指す理由は一体なんなんだ?……もしかして俺は俺が決めたと思い込まされているだけで、誰かの意思に従ってるだけなんじゃないか?」


 フリントの独白に、クーデリアは悲しそうな表情を浮かべた。そしてフリントに手を伸ばそうとするが、フリントはその手が来る前に言葉を続けた。


「……でも“決めたんだよな”。もうやるだけやってやるって。中途半端だけは絶対にしない。これが良いか悪いか後でわかるだろうし、その時にまた悩んで悩みぬいてやるって」


 フリントは逆にクーデリアの肩に手を置いた。


「だから、最後にもう一度だけ聞かせてくれ。……なんでクーデリアは外に出たい?」


 クーデリアは目を見開いた。同じような声で、同じように自分を救ってくれようとした人がいたことを、思い出したからだ。そしてその人は最後まで私の身を案じてくれていた。クーデリアは目に涙を浮かべ、フリントの顔を正面から見る。そしてフリントの額に自分の額を当て、目を瞑った。


「……私は“花畑が見たい”。それが本能からか憧れからかわからない。でも、外に出るって思った時、一番最初に思いうかんだことがそれだったの……!」


 クーデリアの言葉にフリントは嬉しそうに微笑む。


「……聞かせてくれてありがとう」


「最後に……もう一つだけ」


 クーデリアは顔を離すと、目に浮かんだ涙を腕で拭いた。するとクーデリアの身体がフリントから徐々に離れていった。フリントは追いつこうとするが、近づくことはできずクーデリアから離れていってしまう。


「もう、次会うときは“私は私じゃ無くなってる”かもしれない。だけど、貴方の意思で決めて。貴方に意思を託した人たちは、決して貴方に考えることを委ねたんじゃない。貴方の決めたことなら、後悔は無いって信じたからだって」


「何言ってんだ?おい、クーデリア!」


 フリントは駆けだそうとするが、足が暗闇にはまって動くことができなくなっていた。その間にもクーデリアはさらに離れていく。


「クーデリア! 待ってくれ! クーデリア!」


× × ×


「待って……!」


 フリントは右手を空に向かって伸ばしている自分にようやく気が付いた。そして自分が身体を預けている場所に妙な違和感を覚えた。――柔らかい。こんな感覚は何年ぶりだ?そのまま空に掲げている右手を追うように身体を起こし、辺りを見回した。


 奇麗な部屋だった。部屋の中央にダブルサイズのベッドが置いてあり、窓のそばには小さなテーブルと椅子がある。まるで貴族の部屋のような寝室。フリントは額を触ると、傷はカサブタすら無くなっており、奇麗に治療されていた。古傷だらけの身体はそのままではあるが、ここ数日で付いた生傷はすべて治っているようだった。


「いったい何が……?」


 フリントはベッドから立ち上がろうとすると、部屋のドアが開かれた。フリントは警戒して身構えるが、開けられたドアから現れた人物を見て驚く。


「な……!? ティファニー!?」


「フリント……良かった……。目が覚めたのね!?」


 ドアの前ではティファニーが温かい食事を持って立っていた。ティファニーはそのまま部屋に入りドアを閉めてカギをかけた。そして配膳をベッドの横の机に置き、自身もその前にあった椅子に座る。そして涙を浮かべてフリントに話しかけた。


「あなたが傷だらけで運ばれたときは本当に心配で……! 医者も呼んで治療させたけど、本当に目が覚めてよかった……! どんなケガを負ってたか、聞きたい?」


「いや……やめとく……ロクでもない重傷負ってそうだから……」


 フリントはティファニーと話しながら頭の中を整理していく。ティファニーの心配ぶりから重傷を負っていたとなると、先の胴着の男たちとの闘いは夢ではなく本当にあったことになる。ではなぜあの地下鉄ではなくベッドに自分が寝ているのか。そしてなぜティファニーはここにいる?そして例の疑問は――。


 フリントが考えていると、ティファニーが眩暈を起こして倒れ、フリントの身体に寄り掛かる。フリントは慌ててティファニーを抱えると、初めてティファニーの異変に気が付いた。


「お前……! 目の下のクマが酷いことになってんぞ……!?」


 ティファニーの顔色が真っ青になっていた。そして目の下には何日も寝ていないようなクマができており、体温も平熱よりかなり高いように感じた。ティファニーはフリントに寄り掛かりながら、その身体を離さないようにしつつ答える。


「大丈夫……。ただ最近3日ほど寝れてなくて……」


「3日って……! それお前の方が医者にかからなきゃマズいだろ……!」


 3日。フリントはティファニーの心配をしながらも、その日にちの意味を考えた。フリントたちが地下に潜伏してからの日数。


「……しばらくこのままにしてていい。ただ今は何日だ?あと、ここはどこなんだ?」


 ティファニーはフリントに身体を預け目を瞑った。そして少し間をあけて答える。


「……今は4月24日。あなたを見つけたのは1日前。不能者たちが傷だらけのあなたを見つけてこの屋敷まで連れてきたの。……ここは第三区画にあるナタール家の別邸。第三区画の農場とかを管理するときに、おじい様やお父様が泊まる家よ」


 地下でシェリル達と話していたのが4月20日だったことを考えると、矛盾はないとフリントは考えた。ただ気になることがあった。


「俺を連れてきた不能者って……胴着を着た奴か?」


「ううん。違う。……ごめんこれは後で説明する。今話すと長くなっちゃうから。今は少しこうさせて……」


「ああ……。わかったよ」


 フリントはティファニーの頭を抱いてやった。思えば10年前はこういう感じのスキンシップをとっていたことを思い出す。さすがに成長した今はこんな事してたら色々と考えることはあるが、それよりも立場の変化の方が問題だった。不能者だと判別してからは手を握るどころかマトモに会話することすら難しかったのだから。――あれ?


「なぁティファニー。思ったんだが俺がこうやってお前に触れていて大丈夫なのか……?」


 フリントは今更自分とティファニーの立場を思い出した。こうなる前はむしろ思い返さない方が稀だったというのに、ここのところの脱出劇の影響で自分の立ち位置を忘れてしまっていた。そんなフリントの言葉にティファニーは苦笑して答える。


「……何言ってるのよ。イシスニア中から追われてる犯罪者が、今更そんなこと気にするの?」


「ああ……まぁ……」


 ――状況への理解が追い付かない。間違いなくここ数日のことは夢ではない。今も魔剣の紋章を持っていることで追われる身ではあるし、外を目指している途中である。そしてフリントは辺りを再度見回し、仲間がいないことに気が付いた。


「そうだ……ミレイヌは? あと、赤い髪の女の子とかいなかったか?シェリルっていうんだ。赤くて肩くらいまで伸びた髪で、片目のレンズがないゴーグルつけてる、結構かわいい子なんだけど……」


 かわいいは余計だったとフリントは若干後悔しつつ、無意識にそんな言葉が出ることはどういうことかを今は意識して考えないことにした。考えることはほかにもありすぎるのに余計なことに脳のスペースを使ってられないのだから。


「ミレイヌやそのシェリルって子も一緒にいたわ。ただあの二人も重傷……特にミレイヌは致命傷だったから別の部屋で寝かせてる。大丈夫。二人とも無事よ」


 フリントはティファニーの回答にホッと一息つく。そして安心したのかお腹が音を立てて鳴り、フリントは自分が空腹であることに気づいた。その音を聞いたティファニーは目を丸くして、フリントから顔を離す。


「あ……そうだったわね。食事持ってきたんだった。食欲も問題なさそうだし、食べるでしょ?」


 フリントは顔を赤らめながら頷いた。

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