第5話 闇は全てを覆い隠す 前編

 イシスニアは古くなった街の上に石を積み立て、一斉に区画を整理してしまうという手法を取っていた。記録ではその埋め立ては4度行われ、地上を1層としたうえで地下2層、3層、4層、5層まで広がっていると伝えられていた。


 地下に住んでいるものは極少数――それもほとんどが不能者であり、資料もわずかなものを除き残されないため、軍や6賢人たちでも地下2層までが把握している限界であった。そしてその層以下に進んだ場合、もはや生きて戻れる保証はないものとなっていた――。


× × ×


 ギミ家領第1区画地下3層。2層に渡る石造りの天井に空は遮られ、もはや僅かな光も差さない暗闇になっていた。


 その暗闇の中に、微かな灯りが灯る。その灯りによって周囲が照らされると、そこはかつて商店街だった場所のようだとわかった。周囲には店が立ち並んでいるが、どの店も荒らさられており、それがすでに捨てられた場所ということを示していた。


 灯りの中心には赤髪の少女がおり、右手の人差し指の上に光球が浮かんでおり、それが周囲10mを明るく照らしていた。その少女の後ろには長い黒髪の女性と、傷だらけの顔をした青年が、光から離れすぎないように付いていっていた。


「ったく……まさか君のメモがすぐに役に立つことになるとはね」


 シェリルは足元に気をつけながら歩き、後ろを振り向かずフリントに言う。


「軍でも把握しているのは地下2層までだ。3層以降はそもそも来る方法すら奴らにはわからないだろうよ」


 フリントはメモを見ながら指をさして先に進む方法を示す。メモの中には手書きで記載した地図と、詳細な情報がびっしりと載っていた。


「逆に君は何で知っていたの?」


「この世界で不能者に極僅かに割り振られる仕事で地下での廃品回収があってな。おかげで地下を歩き回る機会が多くあって、そのたびにメモしてたんだ。……そうしないと迷って死ぬからな」


「へーそうなんだ。……じゃあどこに水が溜まってるかとか、そこまでメモしてもらってもいいかなぁ……!」


 シェリルは不機嫌そうにフリントに言った。暗闇で分かりづらくはあるが、シェリルとミレイヌは水に飛び込んだかのように濡れており、さらにその体からは異臭を放っていた。彼らが地下に入って30分。上からは彼らを捜索する兵士たちの足音が響くが、その真下に追跡対象がいるとは想像もつかぬまま地下2層を捜索しつづけていた。


 × × ×


 ――30分前。

 セーラと別れたフリントたちは追ってくる兵士から逃れるため、地下街へと潜入していた。深夜ということもあり灯りは全て消えており、道端では隠れ住んでいる不能者たちが雑魚寝をしていたが、突然の騒動に怯えながら縮こまっていた。


「こっち! こっちから行けば、私が用意した外への脱出手段のある層に行ける!」


 シェリルは地下街の道を指さして誘導しようとする。だがフリントはそれを拒否した。


「いやダメだ! この先は間違いなく網が張られてる!」


「ダメって……! じゃあどうすんのよ!? 隠れてたらいつかその網は無くなるの!?」


 フリントは少し考え、シェリルに尋ねた。


「…………お前のその逃走手段。地下の何層目にあるんだ?」


「確か……4層目だったかな」


「4層……!」


 フリントは悩んでいたが、兵士たちはそんなことはお構いなしにフリントたちに迫っていく。そしてフリントは決断してシェリルが指さした方向とは別方向を指さした。


「こっちだ! こっちから行けば兵士に見つからずに済む!」


 だがシェリルはそれを強く否定した。


「そっち!? だけどそうなると今度は私が道わからなくなっちゃう……!」


「いいから今は俺を信じろ! 俺は10年地下にいたんだ! お前よりよっぽど詳しいって!」


 フリントはシェリルの肩を掴んで言う。シェリルは頼もしさを感じるようなフリントの態度に、何か思うところがあったのか肩に置かれた手に触れようとする。だが、兵たちとは別の殺気のような何かを感じ、背筋が凍りビクッとする。


「う……うん……! わかった! とりあえず今は君を信じる!」


 シェリルは身の危険を感じ、フリントの手を外した。すると殺気は徐々に収まっていったが、シェリルはその出処に目配せをした。――ミレイヌは敵の襲来に備えてグローブをはめなおしたりして感触を確かめていたが、先ほど感じた背筋が凍るような感覚は間違いなく――。


「……? どうした? シェリル?」


 道案内をしようとしたフリントは、上の空の状態のシェリルに声をかける。シェリルは我に返り、愛想笑いを浮かべて返す。


「い……いやなんでもない……アハハ……」


「この緊急事態にボーっとしやがって……本当にスパイか……?」


 フリントは悪態をつきながらも地下街を案内していった。そしてあるものの前で足を止める。


「ここだ。このトイレだ」


「……え?」


 シェリルはフリントが足を止めた先を見て、疑問の声を出した。それも当然だった。なぜならフリントが足を止めたのは、地下街にあった半壊して野ざらしになっていた飲食店の店内の、女子トイレの前だったからだ。


「壊れてて店の中だって気づかなかったけど……このトイレがどうかしたの?」


「このトイレが地下3層に直接繋がってんだ。多分この道を知ってるのは俺だけだ」


「…………はぁ!?」


 シェリルはフリントの言っていることが理解できな――いや理解したくなかった。


「大丈夫だって! 今は便器も持ってかれてるから、単に穴が開いているだけだから!」


 フリントはシェリルに急かすように言うが、シェリルは半ギレしながら言う。


「じゃあトイレって情報を出さないでよ! 単に穴だけだったらそれなりに抵抗なく行けたのに、もう知っちゃったじゃん!」


 シェリルは駄々をこねるが、フリントがイラついて扉を開けてシェリルのケツを蹴っ飛ばした。


「いいから行け!」


 蹴られた勢いでシェリルは前のめりにトイレの穴に落ちていく。


「ぎゃあああああ!!!???」


 シェリルが落ちたことを確認すると、今度はミレイヌに手を伸ばした。


「次はお前だ! ミレイヌ!」


 一連の流れを黙ってみていたミレイヌはボソッと言う。


「い……嫌です…………」


 結局ミレイヌも穴に押し込まれ、3人は地下3層へと落ちていった。フリントは落ちていく直前、トイレの扉を閉めるのを忘れなかった。すでに捨てられた店でどうこうというわけではないが、下層へ続く穴を隠すためだった。


 × × ×


 そして3人は地下3層での探索を行っていた。シェリルが言うには地下4層に外への脱出手段があるとのことだったが、フリントは4層までは行ったことはなかった。しかし4層への繋がる道は把握していたため、今はそこに向かっている最中であった。


「もうトイレの穴とかゴミ箱から侵入とか勘弁してよね……」


 シェリルは不機嫌そうな声で言った。ミレイヌも言葉には出さなかったが大分不機嫌ではあった。なぜなら落ちた先に汚水が溜まっており(一応年月的に排泄物ではないとは理解はしていたが――)、2人とも汚れと異臭をまき散らしていたからだった。フリントは最後に飛び降りたおかげで、先に落ちたシェリル達の音で水を察知し、メモや身体を濡らさないよう、事前に回避することができた。


「これから向かってるところは階段があるところだから大丈夫だって。ただ4層がどんなふうになってるかは俺もよくわからないんだよな……。水とか溜まってねえだろうな」


「私が知る限りは大丈夫だったけど……。そういやなんで3層までしか来た事ないの?そんだけ地理を把握しようとしてるなら、もっと奥に行っても……」


「それはな……」


 雑談しながら歩く3人だったが、何かの気配を感じ足を止める。


「…………何かいる?」


 シェリルはとっさに風魔法を展開し、周囲の気配を探ろうとした。フリントも紋章を起動して”それ”の襲来に備える。


「来やがったな……! シェリル! ミレイヌ! 注意しろ!」


 フリントが叫んだ瞬間、”それ”は光が当たりきらない暗闇からとびかかって襲い掛かってきた。フリントは魔剣に込められた魔力がなく、シェリルは反応が遅れ、それぞれ咄嗟の対応が遅れてしまった。そしてそれを察知したミレイヌが紋章を起動させる。


「加速!」


 ミレイヌは加速の紋章を使い飛びかかってきた”それ”を――犬型の魔獣”オルベロス”の顔を回し蹴りで蹴り飛ばし、二人を守る。反応できない速さで、空中にいる間に蹴り飛ばされたオルベロスは受け身も何も取れず、道端にある店の壁にたたきつけられて絶命した。絶命した魔獣は身体を構成する魔力が塵のように霧散していった。


「魔獣……!」


 シェリルがミレイヌに倒されたオルベロスを見てつぶやく。


「なんだ?魔獣を見るのは初めてなのか?」


 フリントは尋ねるが、シェリルは首を振って答える。


「いや、むしろ外のが多いくらい。ただイシスニアに来てからあまり見ることがなかったから」


 不能者がここまで弾圧されてなお、集まって決起したり、外を目指そうとしないのには理由がある。あらゆるエネルギーの素となる魔力。その魔力はただ便利なだけでなく、一定の濃度で澱み始めると、魔獣という姿で顕現し始める。魔獣は魔力の塊であり、また人を襲う習性があるため、不能者からは一切抵抗ができず、一方的に嬲り殺されてしまうという性質を持っていた。


 不能者の死亡原因の3割が表通りを避けて地下で生活する中で魔獣と遭遇し、食い殺されるというものだった。そのため、不能者は生き残るためには自分たちを弾圧する者たちの庇護下でなければ生きていけない、そのような矛盾を抱えていた。フリント自身も何度も魔獣に殺されかけたことがあった。


 フリントはオルベロスが完全に霧散する前に、その身体に魔剣を突き刺す。魔剣は霧散しようとしていたオルベロスの魔力を吸収し、その全身に紫のオーラを纏わせていた。


「…………そう。上では魔獣は余り出現しない。出ても兵士がすぐにやっつけてくれるし、何よりその予兆がわかるから避難勧告も出されるしな。ただ地下はそうはいかない。上よか魔力が澱んでんのか、結構な数が出てくんのさ」


「なるほど……こんな風に……みたいね!」


 シェリルは展開していた風魔法に炎魔法を加え、付近に潜伏していたオルベロス4匹の周囲に炎の渦を出現させた。突如火にまかれたオルベロス達は抵抗するためシェリルに襲い掛かろうとする。だが。


「ナイスシェリル! あとは任せろ!」


 フリントはオルベロス達に対し、魔剣の加速の力を用いて切り裂いていく。この暗闇の中で、全身に火がついていれば、それはもう奇襲になりえなかった。魔剣により切り裂かれたオルベロス達は悲鳴を上げながら、魔剣に吸収されていった。


「もう周囲には魔獣はいなさそう。……ただ余りゆっくりしてられなくなったわね。先を急ぎましょう」


 シェリルはフリントとミレイヌを急かして先に進んでいく。だがフリントは顔をうつ向かせ、物思いに耽っていた。


「あれだけ恐怖の対象だった魔獣がいとも簡単に、か……」


 上で暮らすことができない不能者たちの死因の3割は魔獣に襲われて抵抗できぬままに殺されること――。フリントも廃品回収や汚物洗浄の仕事をさせられ、地下に行く機会が多くあったが、何度か魔獣に襲われ、そのたびに死にかけながら辛うじて生き残ってきた。


 今は魔剣の紋章が手元にあり、昔みたいに遭遇すれば死を覚悟しなければならないというものではなくなった。しかし今はそれ以上にこの魔剣の紋章への恐怖心が勝っていた。先ほどの戦闘における無差別な吸収。自分の手に余るこの謎の力。――体どうしろというのか。


「大丈夫ですか?」


 魔剣を見たまま物思いに耽り、まったく動いてなかったフリントを心配し、ミレイヌがそばに駆け寄る。自分の肩に置かれたミレイヌの手の体温を感じ、フリントはその手を掴む。


「……ああ。心配かけてすまない。シェリルの言う通り、こんなところでゆっくりしてたら命がいくつあっても足りないからな。さっさと行こう」


 フリントはミレイヌの手を掴んで、先に行くシェリルの下へ駆けていった。

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