第4話 願いと呪い 後編
合流したフリントたちだが、ゆっくりしていることはできなかった。セーラはこの戦闘で一切手を出すことをさせなかった為、セーラの言う後ろ盾が本当に機能するなら、駅にいる限りギミ家に不当に拘束されることはないはずであった。
しかしフリントたちはそうはいかない。彼らは王家から見ても立派な重犯罪者であり、今すぐ身を隠す必要があった。だがセーラは未だ目を覚まさず、ミレイヌは心配そうにセーラの手を握っていた。
「おばあ様の身体は心配だけど、もう私たちも逃げないと」
シェリルは未だ目を覚まさないセーラを見ながら言う。正確にはフリントと目を合わすのが怖かったのもあった。フリントの表情は未だ、ぐしゃぐしゃに崩れたままだったからだ。
「ああ、作戦失敗を悟ったギミ家の連中が、次に俺たちが逃げる場所……地下層への道を塞いでいくのも時間の問題だろう。……時間はかけるだけ俺たちに不利になる」
フリントはミレイヌの肩に手を置いた。
「ミレイヌ……ごめん……。お前はここで……」
フリントが言葉を続けようとしたのを、ミレイヌは怒りの表情を浮かべ拒否した。
「今更それだけは絶対にできません。私も、お母さまも覚悟の上です。……何があっても貴方についていきます」
「ええ……私たちは覚悟をしてきました……」
弱弱しい声がミレイヌの言葉に続き、ミレイヌとフリントはその声の主に向き直る。
「セーラ!」
フリントはセーラの手を掴んだ。そして涙を隠さず、その手に顔を当てる。
「よかったセーラ……! 本当にごめん……! 俺は……!」
セーラはフリントを一切恨むような表情をせず、優しくフリントの頭を撫でる。
「……大丈夫です。それよりフリント、いえフリント様。あなたに話があります」
「話……?」
セーラはミレイヌの手をどけ、両手でフリントの手を握った。
「…………これから先、あなたには辛いことが待っています。それはあなたの今まで行ってきたこと全てを否定するようなことになるかもしれません。……ですがあなたは、あなたの心に従い、決めてください。それが私の、あなたの母、アレクシス様の願いです……!」
『あなたの心のままに生きて』。同じような言葉を昨日も聞いたことを思い出す。クーデリアの最後の言葉だった。――何故? なぜ誰もが俺にそんなことを言う?
「お前は何か知っているのか……?」
フリントはセーラに尋ねるが、それは聞こえてくる軍靴の足音にかき消される。
「しまったもう兵隊が追いついてきてる!」
駅の入り口を見張っていたシェリルがフリントたちに言う。
「早く……行って!」
セーラは最後の力を振り絞り、フリントたちを突き放した。フリントとミレイヌは躊躇しながらもセーラを見続けるが、徐々に大きくなる足音から逃げるため、顔を背け全力疾走で逃げ出していく。だがミレイヌは最後の最後で振り向き、頭を下げていった。
「さようなら……ミレイヌ……フリント様……」
× × ×
――10年前。ナタール家本邸にある書斎。数万の本が並んでおり、書斎というには大きすぎ、まるで図書館のようになっていた。ナタール家は先々代の当主が度が過ぎた放蕩者であり、趣味である古書の収集に狂奔し、その結果元々高くない6賢人内での立場をさらに危ういものにした。その集めた古書の中にはイシスニアの埋もれていった歴史を紐解く重要なものもあったのだが、それを活用することもなく一般に無料で公開し、見返りを一切求めなかった。
ベイシスはこの書斎に来るたびに複雑な気持ちにさせられる。自分が子供のころ、この書斎で本を読むのが大好きだった。何の意味もわからないような本でも、自分が知らないことがあるということが何よりも楽しかったのだ。――だが大人になるにつれ、この書斎の負債を押し付けられた側となった今では、祖父に対し恨み言の一つも言いたくなるのもまた事実だった。そう感慨にふけっていると、書斎の扉のベルが鳴った。
「……すみません。入ってよろしいですか?」
小さな男の子の声だった。時間は朝の9時。ちょうどこの書斎は開放される時間ではあるが、こんな朝早くから人が来ることは滅多にない。――となると"いつもの"彼であった。
「ああ、どうぞ」
ベイシスは相手の年齢を意図的に無視し、同格の人間として――友人として扱う。ドアが開けられると、小綺麗な恰好をした貴族風の黒髪の少年が書斎に入ってくる。そしてベイシスのことを見つけると、一礼をした。
「おはようございます。ティファニーのお爺さん」
その少年は若き日のフリントだった。読書が趣味であったフリントは、婚約者であるティファニーの家に遊びに行くとの名目で、朝から晩までここで本を読むことが大好きだった。そして同じく読書が趣味であるベイシスとは、顔を合わせる機会が多くあったのだった。
「ああ、おはようフリント君。今日はどのくらいまでいるつもりなんだい?」
「そうですね……とりあえずティファニーにどっか連れ出されるまでいようかなって。あ、あとこれ借りてた本です。お返しします」
フリントはベイシスの質問に答えると、肩にかけていたバッグから本を数冊取り出す。本のタイトルは"建築学入門""イシスニア喜劇歴史集""イシスニア王城恋物語""小麦酒の種類
~その精製法"といった全く脈絡のないものばかりだった。その脈絡のなさにベイシスは機嫌よく唇を歪める。
「返してくれてありがとう。あとで使用人に戻させるとしよう。……そうだコーヒーでも飲むかね?お菓子は甘いので構わないか?」
「……はい。ありがとうございます。そちらで構いません」
「よし、おいセーラ! いるんだろう!? ウチの使用人に言ってケーキとコーヒーを2つずつ、用意してもらえないか!?」
ベイシスはセーラの名前を出し、フリントは顔を引きつらせながら後ろを振り向く。するとセーラは扉からスッと身体を出して一礼をした。
「……かしこまりました。お伝えしてきます」
「セ……セーラ……あの……その……」
セーラの姿を見たフリントはオロオロしながらセーラへ取り繕う言葉を編み出そうとしていた。6歳の子供が早朝に勝手に家を抜け出して、婚約関係があるとはいえ他人の家に行くというのは、どう考えても不用心極まりないものである。フリントは誰にもバレずに出たと思っていたが、まさか尾けられていたとは――。
「…………私のほうからブリッジ様には伝えさせていただきます。今は読書をお楽しみください」
セーラは再度礼をして部屋から離れていく。フリントは呆然としてセーラが離れていくのを見ていたが、ベイシスがそのフリントの肩をたたいた。
「まぁ、早く本が読みたくて勝手に抜け出してきたようだが、セーラのが一枚上手だったということだな。……これじゃ後が怖くて読書に集中できないか?」
「いや……まぁ……なんとかなるだろうしいいかな……」
フリントは肩をすくめ溜息を吐いたが読書を辞めようとは思わなかった。そしてその後、フリントとベイシスは二人で脈絡のない読書を楽しんでいた。会話が特別にあったわけではない、年齢も文字通り孫と祖父ほどに離れている。だが、二人の間には奇妙な友情関係があった。
――だが、その友情関係は皮肉にもこの数か月後、フリントの誕生日を境に、利用すべきものへと変質していくことになっていく――。
× × ×
兵士たちがセーラが寝かされている所まで来て、一部はそのままフリントたちを追っていき、残った数人はセーラを取り囲む。
「駅の中だが、お前はナタール家紋章盗難事件の重要参考人だ。大人しく着いてきてもらおうか」
兵士は強引にセーラを連れて行こうとする。だがセーラは毅然とした態度でそれを突き放し、答えた。
「もしそれをしたなら6賢人の協定を破るということを覚悟したほうがいい。私は”ナタール家家政婦長”セーラ・ディローチだ。……私に危害を加えるということは、ナタール家に危害を加えるのと、同等ということだ」
そして運命の歯車は音を立てて回りだす。そこに本人の決断の意志を介入させないまま――。
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