第5話 闇は全てを覆い隠す 中編①

 第一区画ナタール家邸宅。ティファニーは病人用の食事の配膳を持って、屋敷内を歩いていた。他の使用人がお嬢様にそのようなことをさせられないと必死に説得をしていたが、彼女が自分で運ぶと言い、他の者に触らせなかった。ティファニーは屋敷の一角にある使用人用の部屋の扉をノックする。


「ティファニーよ。食事を持ってきたわ」


「すみません、どうぞ」


 部屋からの返事が聞こえ、ティファニーは扉を開ける。そこには昨晩からナタール家家政婦長になった女性――セーラの姿があった。体調を崩した状態で来たセーラは事前に用意してあった家政婦長用の部屋で寝かしつけられていた。どうやら極度の魔力欠乏症で、命に別状はないものの、治るには時間がかかるとのことだった。ティファニーは配膳をセーラのベッドの脇の机の上に置く。そして配膳の上に置いてあったリンゴの皮をむくために、ナイフとリンゴを取った。


「これ、消化にいいものと、魔力の回復に効果のある食材で作られてるから。……あと作られてからここまでは私しか触ってない。毒は入ってないわよ」


「……ありがとうございます」


 セーラはティファニーに礼をする。つい先日までギミ家の家政婦長だった人間が、たった一夜でナタール家の家政婦長へ鞍替え。誰がどう見ても何かしらの意思が働いていることは明らかだった。セーラはゆっくりと食事を口に運ぶ。ティファニーはリンゴをいったん置き、窓を開けて空気を入れ替えた。早朝の心地よい風が部屋の中に入ってくる。


「……ほかに何かして欲しいことはある?」


 ティファニーはセーラに尋ねた。ギミ家とナタール家は立地が隣同士であり、世間的には親密な間柄であるとされている。ティファニーも子供のころは素直にそう思っていた。フリントやロードたちと子供のころからよく遊んでおり、互いの家に度々泊まりに行っていた。セーラともそのころからの知り合いであり、ティファニーもよくセーラに遊んでもらっていた。――だが成長するにつれ、色々なことを経験していくにつれ、それが欺瞞だとも知ることになったが。


「フリント様が、お願いしたいことがある、と」


 セーラは答えた。


「先日の事件で集落を失ってしまった不能者たちの世話をお願いしたい、と……」


 セーラの言葉を聞き、ティファニーはため息をつく。――ティファニーの本音を言ってしまえば、不能者たちへの人権や慈悲などは心の底からどうでもよかった。ただ知ってしまったから、そして彼が不能者だったから――それだけだった。そして恐らくそれをセーラは知っている。――なんならフリントすら知っているだろう。だからフリントの名前を出したのだ。”あいつ”と一緒で人を動かすためならなんでも利用するだろう。ティファニーはセーラのしたたかさに舌を巻きたくなった。


「わかった……でもその代わり教えて」


「ええ、なんでしょうか」


 ティファニーは近くの机から椅子を引っ張り出し、ベッドの横に置いて座った。


「一体何が起きているの? フリントは何故追われてるの? あなたはどうしてこちらに来たの? …………そして”あなたとおじい様”は、一体何をしようというの?」


 セーラは口をつぐんだ。――それは彼女個人の意思だけではとても話せないような、重大な何かを抱えている、ティファニーはそう捉えた。


「…………それは私が答えよう」


 ティファニーはギョッとして後ろを振り向く。誰も近づかないように使用人に言ったはずだがそれでも部屋に来るものがいるとするなら――それはこの家の当主、ティファニーの祖父であるベイシスに他ならないからだ。


「おじい様……! どうしてここに……!?」


「使用人がお前がセーラに食事を運ぶといって聞かないと言うからな。それよりも、なぜフリント君が追われているか、だったな。それは私から話そう。もうお前もこの世界の”真実”を知っていい歳だ。……ただし覚悟は決めなさい」


 ベイシスは近くにあった椅子に腰かけティファニーに語り始めた。

 ――結果としてティファニーはその”真実”を聞いたことを後悔することになる。それを知ったことで得られるものは”願い”などではない、6賢人の系譜として生まれた者が背負う”呪い”だった――。


× × ×


 フリントたちが地下を歩き始めて5時間が経過した。目的の距離はそこまでではないのだが、やはり誰も把握しきれていない地下3層以下の世界を歩くのは困難であり――フリントのメモも大まかな方角までは正しいのだが、細かい部分がやはり調べ切れていなかった。そのことをフリントは橋の縁から真っ逆さまにぶら下がりながら後悔していた。


「ち……ちくしょう何でこんなトラップが……」


 おそらく王城付近城下町の連絡通路だったのだろう。侵入者用に床が抜ける悪質な罠が仕掛けられており、それを思いっきり踏んで足を踏み外してしまった。何とか途中で服が引っかかってくれて助かったが、落ちてしまえば水がもう流れていないであろう水路に真っ逆さまにダイブすることになってしまう状態になっていた。


「フリント君ー! 大丈夫ーー!? 今引っ張り上げるから待っててー!」


 シェリルは叫んでフリントに言うが、その顔には疲労が浮かんでいた。昨晩の死闘から、ほぼ休憩なしでこの地下を歩き続けており、その間にも魔獣とも何度も遭遇している。ミレイヌはシェリルの疲労具合を見て、シェリルの魔法の弱点について考えることがあった。


(疲労が目に見えて溜まっている……。夜通し動いていたのもあるでしょうが、恐らくあの魔法、紋章を使用しない分、魔力の消耗が激しいのでは……?)


 ミレイヌはシェリルの疲労具合を見てそう考えていた。シェリルは疲労から集中力が途切れがちになっていた。フリントは宙ぶらりの状態で周りに気を使う余裕が無かった――それぞれの注意力が散漫になった、その一瞬だった。


 フリントは何か生暖かいものを感じた。最初は何か変な風が吹いたのかと思った。だが粘ついた液体が顔に垂れてきて、何かとても嫌な予感がした。引っかかった服が取れないよう、慎重に頭を回転させ、その生暖かい息の方を見ようとする。


「うっそ~ん…………」


 フリントは見たことを後悔した。地面まで5m近い高さがあるにも関わらず、なぜかそれと目があった――。


「シェリル! ミレイヌ! 助け…………!」


「ん? フリント君?」


 だが言い切る前にフリントは何かに身体を雁字搦めにされ、口も封じられる。そして数瞬遅れてシェリルとミレイヌもそれに気が付き、驚きのあまり声を上げた。


「「なんなのよこれはああああ!!!???」」


 トカゲのような化け物が、すでに水のない水路にここは俺の縄張りだと言わんばかりにその身を現わしていた。――ただトカゲというにはそれは余りに巨大すぎた。フリントはそのトカゲの舌で捕まえられており、今にも飲み込まれてもおかしくない状況にあった。


「ミレイヌさん! 何ですかあれは!?」


 シェリルはパニックに陥りミレイヌに質問するが、ミレイヌは橋から身を乗り出し、トカゲが去っていこうとする方向を確認していた。


「た……多分フォルリザードと呼ばれる魔獣の種類で……よく地下から抜け出して地上に来ると軍が出動することがありますが……あんな大きさのものは見たことが……! 普段見てもせいぜい巨大と言われるもので3mですよ!?」


「3m……ハッ? そんなまさか……!?」


 3m。シェリルは地下の水路で蠢いている化け物の姿を見て、乾いた笑いが出た。どう見積もっても3mじゃ足りない。その3倍以上、10mはあろうかという大きさだった。


「フリント君! 返事できる!?」


 シェリルは捕まっているであろうフリントに声をかける。しかし、フリントからの返事はない。そしてフォルリザードはそんなことお構いなしに水路をノシノシと歩いて行ってしまおうとする。


「くそっ……! フリント君! 返事を待てなくて申し訳ないけど、今からそのトカゲに大技をぶち込むから! なんとかして耐えて!」


「えっ!?」


 シェリルの発言にミレイヌは驚いてシェリルを見るが、すでにシェリルは魔法を使う準備をしていた。


「ちょっと! お待ちくだ……」


 ミレイヌはシェリルを止めようとするが、シェリルは魔力をためている途中に膝から力を失い崩れ落ちた。


「えっ……? 嘘……?」


 シェリルは自分で自分の体調の変化に困惑していた。ここまで魔力切れになるまで動き通したことがなかったため、まさかこんなところで魔力切れを起こすとは想定していなかったからだ。


「こんな時に……!フリント君……!」


 シェリルは立ち上がろうとするが膝が笑ってしまい、橋の縁に掴まりながら立ち上がるのが精いっぱいだった。その間にもフォルリザードは先へ行ってしまう。だがシェリルはあきらめきれなかった。自身の不調を押して、魔力を練ろうとする。しかし集中が続かず、魔法が失敗してしまう。


「くそっ……! フリント君が行ってしまう……!」


 シェリルはそれでも何とか動こうとする。ミレイヌはそのシェリルの表情を見た。この少女が外の世界から来た工作員であることは聞いた。そしてフリントが宿した紋章を外に持ち出すのが任務であることも。その外に連れ出す対象が今、命の危機に瀕しているなら確かに必死になるのはおかしくない。だがその表情は、それ以上の感情が浮かんでいた。


 ミレイヌは少し逡巡し、そして決意を固める。


「…………シェリル様。フリントを救いたいですか?」


「え? ……ええ! ミレイヌさん! 決まってるでしょう!? フリント君を助けないと!」


「……わかりました。では掴まってください」


「え?」


 戸惑うシェリルをよそに、ミレイヌはシェリルの足を掴み、持ち上げるとミレイヌの脇の下に頭を入れ、肩から担ぎ上げる。


「ちょ……ちょっと!? どういう持ち上げ方してるんですか! ?」


「軍にいたころに習った、人を担いで早く移動する方法です! 急いであの魔獣に追いつかないと、フリントが窒息してしまうでしょう!?」


「女の子が女の子を持ち上げるんだから、もうちょっとかわいい持ちか……ヴエッ! ?」


 ミレイヌはシェリルの返事を待たずに橋から飛び降りた。シェリルの明かりの魔法が周囲を照らしてるとはいえ、あまりに距離を空けられてはフォルリザードを見失いかねない。ミレイヌは落下速度を減速させるために、落ちながら橋の壁部分を蹴り、5mほどの高さから一気に落ちて着地し、魔獣の足を止めるように正面に相対した。

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