第5話 闇は全てを覆い隠す 中編②

「待ちなさい!」


 水路に降りたミレイヌはフォルリザードの真正面まで回り込み対峙する。ミレイヌも軍に勤めていたころに魔獣退治に参加したことはあったが、ここまでの大きさのものに一人で立ち向かったことはない。そして何より――


「シェリル様……いいですか? 私の紋章はこの魔獣と非常に相性が悪いです。……ですからフリントを助けるにはあなたに頼るほかありません。あと一発でフリントを救出する何かを考えてください。私は……足止めを行います!」


 ミレイヌは背負われていた衝撃でフラフラになったシェリルを地面に置くと、紋章を起動させ加速して魔獣の周囲を回る。そして肩を駆け上り、顔面に思いっきり蹴りを入れるが――。


「やはり……ですか……!」


 フォルリザードはミレイヌの蹴りに一切効く素振りを見せず、ノソノソと水路の奥へ進もうとする。


「効いてない……?」


 シェリルは水路にへたり込みながら、先ほどのミレイヌの攻撃が効いていない様子を見ていた。資料によれば加速の紋章は戦闘において隋一といわれるほどの強力な紋章。それを用いて効いていない――?


 ミレイヌは思いっきり放った蹴りの反動で体勢を崩すが、辛うじて着地に成功する。――成功した理由はもちろん、フォルリザードがミレイヌを敵とすらみなさず、追い打ちをかけることをしなかったからだった。ミレイヌは舌打ちしながら、シェリルの下へと戻る。


「…………これが私の弱点です。基本徒手空拳でしか戦えませんから、与えられる一撃は、少し鍛えた成人女性程度の力しかありません……!」


 ミレイヌは加速の紋章を効率よく使用するため、武器の類を一切持っていない。その重さが加速のバランスを崩す原因になるからだ。そして加速の紋章以外の紋章を宿しているわけではないので、攻撃向けの紋章魔法も使えない。あくまで対”人”に特化した強さであった。


「魔力切れで大概の魔法が撃てない私、バケモンには火力不足のミレイヌさん、そして丸呑みされてんのかは知らないけど窒息寸前のフリント君……。なるほど中々絶望的な状況ね……」


 シェリルは愚痴を口にしながらも、手から水の魔力を放出していた。顔色がさらに悪くなっていくが、それを無視してミレイヌに叫ぶように言う。


「いいですか! これから私が放つ魔法は少ない魔力で最大火力を出すために特化した魔法です! ……ただ準備に物凄く時間がかかる上に、狙いを定めるのが非常に難しいものになってます……! ミレイヌさんは敵の足止めをお願いします!」


 シェリルは水の次は火魔法の準備を行っていた。ただその勢いは非常に弱く、確かに時間がかかりそうだった。――そして彼女が行おうとしている魔法には"それ以外にも重大な問題点"があった。ミレイヌもそれを理解したうえで、グローブを改めて付け直す。


「わかりました。…………ただ一つだけ。もし”私を巻き込んでも”、フリントは必ず助けてください。……お願いしますよ」


 ミレイヌの言葉にシェリルは親指を立てて肯定の意を示した。



 魔獣の舌に体を拘束され、飲み込まれたフリントは何とかして脱出の方法を模索していた。飲み込まれずに噛み砕かれていないのは幸運であったが、呼吸はできず拘束されている状態では魔剣の紋章の起動もできなかった。舌に噛みついてでも拘束を外したいが、口まで抑え込まれているために何もできない。あと少し、あと少し拘束が緩んだら――。



 ――酸欠寸前に陥り、朦朧とする意識の中で、フリントは昔のことを思い出していた。ティファニー、ロードの三人と遊んでおり、ティファニーが地下街を探索しようと言い始めた。ロードは怖がって拒否していたが、フリントは仕方ないとティファニーについていき、ロードは怖がって逃げてしまった。


 そして子供二人で地下街を歩いていたが、ティファニーが足を滑らせてしまい、地下の奥深くに落ちていくところを、フリントが身を挺して庇う。だが落ちた先で道に迷ってしまい、夕方になっても帰り方がわからず、途方に暮れてしまう。ティファニーはフリントに謝るが、フリントはティファニーを必死に励まし、道を探し続けた。


 そして何とか地上へ戻る道を見つけたが、そこで大人の不能者達に囲まれてしまい、連れ去られそうになってしまう。だが、間一髪ミレイヌがそこに現れ、不能者達を撃退し、フリントたちを保護した。逃げ出したロードだったが、その時頼れる年上であるミレイヌを呼んでおり、フリント達を探してもらうよう頼んでいたのだった。


 後でこってり油を絞られたティファニーとフリントだったが、この時はまだ3人仲良く歩んでいく未来しか見えていなかった。――フリントが不能者だと判明するまでは。



 ――激痛。意識が朦朧としていたフリントは、突如全身に走った激痛で意識が覚醒する。相変わらず呼吸ができず、窒息寸前の頭は今にも破裂しそうなほどの苦しさではあるが、何故かはわからないが全身の拘束が緩んでいた。今なら。


「があああああああ!!!」


 フリントはなけなしの体力を振り絞り、右手の魔剣の紋章を起動させる。そして手当たり次第に魔剣を突き刺した。


「ギャアアアア!!!???」


 口内を魔剣で攻撃された魔獣は、たまらずにフリントを吐き出した。外に出たフリントは地面に落下しながら、大きく息を吸い込む。そして息を吸い込んで初めて自分が高所から落ちていることに気が付き、慌てて姿勢を整えようとする。


「な……なんでこんな高いところにいんだぁぁぁ!!!???」


 ――地面に激突する直前、何かがフリントの体を掴み、落下の衝撃が抑えられた。暗闇の中ということもあり、何に受け止めてもらえたのかわからなかったが、柔らかい何かがフリントの顔面に当たり、ようやくフリントも状況を理解した。先ほどまでの呼吸困難な状況から一気に空気を吸ったこともあり、咳込みながらも受け止めてくれた信頼できる人物へと、声をかける。


「ゴホッゴホッ……ミレイヌか……!」


「よかった……! フリント…………!」


 ミレイヌは目に涙を浮かべ、互いに見つめあうが、すぐにどちらも顔を歪ませた。


「「…………くっさぁ…………」」


× × ×


 シェリルに足止めを依頼されたミレイヌは、何とかしてあの魔獣にこちらに注意を向けさせるほどのダメージを与える方法を模索していた。通常大きくて3mほどのフォルリザードは、さして弱点と呼べる弱点もなく、逆にそこまで意識せずとも兵隊による波状攻撃で何とかなってしまうことが殆どであった。ミレイヌが軍学校で習っていた時も、特に弱点があることを教えてもらったことはない。


 だが先ほど体を駆け上がって顔面に蹴りを入れたとき、ある違和感を感じていた。肩から身体を上っている最中、どうもあの魔獣の反応が薄かったこと。――これは人間で例えれば、大きさ5cmほどの虫が身体を這っていれば間違いなくビビって払いのけるが、5mmに満たない小さな虫だと気づきづらい、つまるところ身体の大きさで感覚が鈍っているのではないか――?


 時間がなかった。もはやこれしかないと覚悟を決めたミレイヌは先ほどと同じように魔獣の身体を駆け上がる。そしてやはり魔獣は反応しない。ミレイヌはこの魔獣の弱点を考えていた。そして気づいた。魔獣だろうが人だろうが、共通の器官であり、抜群に効果的な急所に。


「フリントを……返していただきます!」


 ミレイヌは加速も紋章を起動し、フォルリザードの顔面に再度飛び乗った。そして反応が不可能な速さで、生物の急所でありながら剥き出しであり、かつ素手で抉れるほどに柔らかい急所――目玉に思いっきり蹴りを入れた。


「グギャアアアア!!!???」


 突然目玉を蹴られたフォルリザードは痛みに悶絶し、口を開ける。そしてミレイヌは舌で雁字搦めにされているフリントを発見した。


「フリント!」


 しかしフリントは意識を失っているのか、もしくは舌で拘束されているために気づけていないのか、さしたる反応もなかった。ミレイヌはいったん距離を置くために地面に着地するが、そこで魔獣と目が合った。


「ようやく……私を見てくれるようになりましたか」


 魔獣は突然の痛みから興奮状態になっており、ミレイヌに対し怒りを込めた表情で睨んでいた。


「全く……人間の男だったらこんなに苦労せずに、私に注視させることができるのに」


 ミレイヌは軽口をたたき、手招きをするように魔獣を挑発する。直後、魔獣は前足を薙ぎ払うようにミレイヌに振るが、ミレイヌはそれを余裕をもって回避する。


「こういう戦いなら、私に大きく分があります……! 何十分でも、何回戦でも相手をしてあげますよ!」


 ミレイヌがフォルリザード相手に時間稼ぎをしている間、シェリルは次の風魔法の準備を行っていた。シェリルの連携術は同じ魔力元素の組み合わせでも、その配分を変えることにより実際に得られる効果は大きく変わる。先のギミ邸周辺で見せた魔法と同じ魔力元素の組み合わせだったが、その時出ていたのは霧だったのに対し、今回は魔獣の頭上に大きな雲が出来上がり始めていた。


「あと……10秒……! フリント君……まだ死なないでよね!」


 暗闇で気づきづらかったが、ミレイヌは10mある魔獣に対し見上げる形で対峙していたのが幸いし、頭上にでき始めている雲を認識することができた。そしてミレイヌもここでシェリルの狙いを把握する。


「あの雲の下にいさせろという事ですか……! それなら!」


 ミレイヌは改めて魔獣の肩から飛び乗り顔面へと目指す。だがいくら知能が低い魔獣といえども、同じことは二度通用しない――。ミレイヌが飛び乗った時点で魔獣は身をよじらせ、自分の身体についた”ノミ”を払うかのように暴れる。ミレイヌはその勢いに対抗できず、弾き飛ばされて水路の壁に叩きつけられ、口から血を吐く。だがその表情は不敵な笑みが浮かんでいた。


「そうでしょうね。もう一つしかない目を失いたくない。なら私が顔面に登れないように暴れるでしょう。……で、”口の中に物を入れて暴れるならどうするか”、そこまで考えるっていうのはできないでしょうね……シェリル様!」


「オーケー! ミレイヌさん! 今!!!」


 飲み込むこともせず、口の中に物を入れたまま激しい動きをするときどうなるか。先ほどのからフォルリザードが興奮状態にあり、叫びがちであるとミレイヌはしっかり観察していた。そしてその状態では口の中にいたフリントが外に出ており、そのタイミングではシェリルが魔法を撃つに撃てないことも。


 そして魔獣が暴れてフリントが改めて口の中に含まれた今、魔法を撃つのに躊躇するタイミングではなかった。シェリルは指を鳴らし、魔獣の頭上にできた雲に雷魔法を放つ。


「地下じゃあこんな雲を見ることないでしょう! ”雷”ってやつ、食らってみる!?」


 雷魔法は雲に付着した瞬間、雲の内部で摩擦が発生し、それは直下にいた魔獣に電撃として放たれた。魔力元素だけでない、物理的な力も利用し増幅した魔法。これがもはや身体の最後の一滴まで魔力を使い果たしたシェリルができる最大火力の技だった。電撃をくらいフォルリザードの身体は硬直し、痛みによる雄たけびを上げる。


「ギャアアアア!!!???」


 そして次の瞬間、口の中から何かか吐き出される。それはマヌケな声を上げながら落ちていっており、シェリルもそして雷撃から避難していたミレイヌもすぐにそれに気づいた。


「フリント!」


 ミレイヌは落ちていくフリントの着地点に先回りし、地面に激突するギリギリでキャッチする。ミレイヌに抱えられたフリントはせき込みながらも、不敵な笑みを浮かべて言った。


「ミレイヌか……!」


「よかった……! フリント…………!」


 ミレイヌは目に涙を浮かべ、互いに見つめあうが、すぐにどちらも顔を歪ませた。


「「…………くっさぁ…………」」


 ミレイヌは先ほど落ちた汚水の臭いが、フリントは魔獣の体液まみれになっており、互いに異臭を漂わせていた。


「フリント君! よかった…………くっさぁ!?」


 再会を喜ぶ二人に駆け寄るシェリルだが、余りの異臭に顔を歪ませる。シェリル自身も汚水まみれのため、体中から異臭を放っており、全員似たり寄ったりだった。そしてその事に気づき、まずフリントが声をあげて笑う。


「あはは……あははは……あははははは!!」


 フリントの笑い声につられ、シェリルも、そしてミレイヌも笑った。つい数時間前まで、なんなら今も命がけの戦いをしていたはずなのに、この状況がやけに可笑しくて笑うしかなかった。――単に全員疲労の極致にあったのもあるが。

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