第8話 裏と表と 中編

 瞬く間に仲間が二人倒れるが、ゴーダンは怯まなかった。まだフリントが自分への決定打持っていないことには変わりはなく、目の前の自分の半分ほどしか生きていないガキに力比べで負けるとも考えてもいなかった。フリントは再度剣を振りかぶり、ゴーダンに切りかかろうとする。


「もう……無駄だってのがわからねえのか!」


 究極紋章である魔剣の紋章は実は不能者にも効果があり、それを狙って何度も切り付けているのか、ゴーダンはフリントの行動をそう解釈した。だがここまで何度も魔剣の紋章に触れてわかったことがある。“それはない”と。自分の身体に一切の不調を感じていないゴーダンは、フリントの攻撃に今度は先出しのカウンターを合わせ、今度こそフリントを倒そうと――。


「な!!!???」


 突然目の前が真っ暗になった。明かりが消えた!? それとも紋章の攻撃で視神経が!? 突如の暗闇にゴーダンは反射的に前かがみになり、頭をガードしようとする。そして突如鼻先に痛みが走り、ゴーダンは後ろにのけぞった。そして目の前の何かが顔から取れ、ゴーダンはようやく視界を確保する。そこには額から汗――冷や汗を流しているフリントがいた。


「しくじった……!」


 フリントは最大の加速を効かせた蹴りでゴーダンを倒せなかったことに焦りを感じていた。今の加速で貯蓄していた魔力が残り4分の1を切り始めていた。今の蹴りは本来なら喉を狙ったのだが、ゴーダンが屈んだ際に狙いが鼻先に逸れてしまったのだった。


 ――何をされた。ゴーダンは自分の顔にへばりついていたその“何か”を取り、ようやくフリントが何をしたかを理解した。


「このガキ……! なんてこと考えやがる……!」


 ゴーダンが持っていたのは血まみれの布だった。先程までフリントが止血用に巻いており、そして頭を列車の壁にぶつけて血まみれにしていたもの。魔剣の紋章で顕現した剣は物理的な干渉を行わない。つまり右手に何かを持った状態で紋章を起動すれば、その中に何かを隠すことができる。


 ――ゴーダンが息を飲んだのはそれを動いた状況からアドリブで考えたのではなく、あの興奮状態からここまでの詰将棋を行っていたというフリント自身の冷静さだった。ゴーダンは深く息を吸い込むと、口と耳を塞ぎ鼻から思いっきり息を吐き、鼻血を噴き出す。そしてフリントに敬意を込めて話しかけた。


「……先程の自己紹介が適当だったな。改めてお前に言おう。俺の名はゴーダン・カミングス。今まで俺はどこかお前を子供と、そして紋章が効かないということから舐めていた。……その非礼を詫びよう」


 見た目や態度とは裏腹にどこか真っすぐな面を持つゴーダンにフリントはあっけに取られるが、すぐに気合を入れなおした。そしてフリントも剣を構えなおし、ゴーダンに改めて向き直る。


「……俺の名はフリント・ギミ。6賢人の一つギミ家の元長男で……今は不能者だ」


 ゴーダンとフリントは互いに向き合った。背後で燃えているシェリルの炎が揺らめき、二人の影が揺れる。ゴーダンは拳を構え、薄く微笑んだ。


「さぁ……ラウンド3だ。……これで決着だ!」



 ゴーダンがフリントの反応を待たずに踏み込み、距離を詰める。フリントはゴーダンの圧倒的なスピードに反応が遅れてしまう。魔力や紋章を使わないでこの身体能力はやはり異常としか言えなかった。フリントは魔剣の魔力を使い加速をかけ、ゴーダンの攻撃をかわすのが精一杯であった。しかし、もう魔力の補給のアテはない。このまま防戦一方であれば魔力が切れてやられるだけ。しかしフリントにはゴーダンに対する必殺の攻撃手段がない。


「くそっ……! こいつ本当に同じ人間か……!?」


 フリントはゴーダンの身体能力に圧倒されていた。こちらがコントロールできる加速の限界速度までスピードを上げても、向こうの方がさらに早く動いている。しかも疲れが見えることがなく、むしろスピードが上がっているようにすら思えた。


「楽しいなぁ! 俺をここまで本気にさせたのは、お前が初めてだ!」


「ああそうですかい!」


「褒めてやるよ! お前が強いのは究極紋章を持っているからじゃない! お前自身が強いからだ!」


「はいはいありがとうございますってね!」


 楽しそうにボルテージを上げていくゴーダンに対し、フリントは凌ぐのが精一杯であり、それは焦りを生み始めていた。“仕込んだ種”が実を結ぶにはどこかで行動を起こさなければならない。早くしなければ時間が――。


「しまっ……!」


 そう気を緩めたところにゴーダンの蹴りがフリントの頭部めがけて向かってきていた。避けるのが間に合わないと判断したフリントは腕でガードを固めようとする。――が。


「油断したな」


 ゴーダンの蹴りの軌道が突然変化し、ガードをくぐり抜けてフリントの頭部直撃コースへと向かっていた。


「何っ!?」


 フリントは魔剣の紋章の魔力を持てる限りすべて解放し、強引に身体を吹っ飛ばす。ギリギリで蹴りは回避したが、余りに強引な加速のため、フリントはコントロールできずに、トンネルの壁へと無防備な状態で突撃していってしまう。


「ガハッ!」


 背中から受け身も取れずにぶつかったフリントは呼吸が困難になり、咳き込んでむせる。ゴーダンは未だにフリントを警戒し、深追いをするということはしなかったが、フリントの額には血だけではなく、冷や汗が多く流れ始めていた。――今ので殆ど魔力を使い果たしてしまった。それにゴーダンの今の蹴りは見たことのない軌道であり、それは明らかにこの男が体術に関して、妥協のない達人であることの証明だった。魔力もなく、紋章も効かない自分では、もうこの男に“正攻法”で勝つことは不可能だと心に刻まれてしまった。


 もう、躊躇している場合ではなくなった。フリントは大きく咳き込み、咳を抑えようと、口に手を当てる。そして、両腕で地面をつかみ、フリントは目の前の男を睨みつける。


「これが最終ラウンドってとこか」


 ゴーダンはフリントのその異様な雰囲気に、拳を構えなおし迎え撃つ姿勢をとる。シェリルはミレイヌの治療を続けながらも、その緊張の光景を唾を飲んで見ていた。――この攻撃で、すべてが終わる。


 シェリルが先程出した氷の壁が割れ、その音が響き渡る。その音をきっかけにフリントは跳躍の姿勢を取り、ゴーダンはその行動を予測し身構えた。――が。


 バキン! ともう一回音が鳴り響き、ゴーダンはその音に気がとられてしまう。そしてフリントは“その音と共に”ゴーダンへ向かって突撃を開始した。ゴーダンはその音の正体にすぐに気づく。あのシェリルとかいう小娘は“2回”氷魔法を出していた。1回目の音は自分に向けた氷の壁が割れた音、2回目の音はダナに向かって打っていた氷の塊が割れた音だった。この2つがこんな都合のいいタイミングで割れるわけがない。――間違いないフリントが仕組んだものだ。


 ゴーダンの予測は正解だった。フリントはほんのわずかに残った魔力を使い、シェリルが先程出した氷魔法の所へ剣を伸ばしていたのだった。そして魔力を吸い上げることで氷を割るタイミングを操作し、このミスリードを、数瞬の優位を作り出した。


 しかしゴーダンは焦ってはいなかった。たしかにフリントの体勢が優位な状態で懐に飛び込まれたとして、フリントとゴーダンにはそんなものでは覆せない基本性能の差が存在していたのだから。


 フリントは先程のシェリルの氷から吸い出した僅かな魔力を使い、ほんの少しだけ加速をかけ、ゴーダンの懐に低姿勢で飛び込む。そして自分を見下ろすゴーダンと目があった。勝負はいっしゅ――


 鈍い音がフリントの耳に響き渡り、目の前に火花が散る。フリントが踏み込む直前に、ゴーダンはすでに拳を突き出しており、それがフリントの顔面に直撃していた。ゴーダンに飛び込もうとしていたフリントは自分から加速をつけてゴーダンの拳にぶつかりにいく形となり、余りにも奇麗にカウンターを決められてしまっていた。


「俺の……勝ちだ!」


 ゴーダンは勝利を確信し、勝ち誇った。それほどまでに奇麗に入った攻撃だった。間違いなくフリントはもう動け――。


 だがゴーダンの想像した未来は訪れなかった。フリントは無防備に顔面に攻撃をもらいのけぞっていたが、倒れるまではいかず、両足はギリギリ踏ん張っていた。そして顔を上げ、充血した目でゴーダンを睨みつける。


「な……!」


 なぜ倒れない!? ゴーダンはそれを考える前に防御姿勢を取ろうとする。しかし、拳を振り切った状態ではフリントの方が完全に先手を取れる状態になっていた。


 フリントは自分の身体ごとゴーダンにぶつかっていき――ただそれだけだった。もうフリントにパンチや蹴りを本気でする体力はない。だが、ほんの僅かな力で、“体重を預ける”だけで、ゴーダンに致命傷を与える術を、フリントは盗んでいた。――他の敵から。


「ま……まさかそれは……」


 ゴーダンは口から血を流し、力を失い膝から崩れ落ちる。フリントはフラフラとゴーダンから離れると、服が血だらけになっていた。――自分の血ではない。目の前の血まみれの胴着の男からの返り血だった。その右手には拳に隠れるほどの大きさのナイフが握られていた。


「マーカートのナイフかっ……!」


 ゴーダンは出血している腹部を傷を抑えていた。ナイフの刃渡り自体は深くはないが、フリントがゴーダンにナイフを刺した際、出血箇所が増えるように切り傷が大きくなるように切り裂いていた。ゴーダンは腰帯をほどくと、止血のために腹部にきつく巻く。しかし、それは延命が図れる程度であり、もはや戦闘続行は不可能なほどの深傷だった。


 フリントは動けないであろうゴーダンを見て勝利を確信すると、口をもごもごと動かす。そして鼻から息を吸い込むと、顔を背け思いっきり地面に何かを吐き出した。赤い液体であったが、血にしてはその量は多すぎ、そして粘度が弱すぎた。それはまるで。


「水……?」


 ゴーダンは息を荒げながらフリントが吐き出したものを推察する。そしてハッと気づき、自分の腰に下げてあったはずのものを慌てて探した。


「まさか……まさか……!?」


「…………格闘技では口の中に“マウスピース”を仕込んで、選手が舌を噛み切ることや、口の中の切り傷を防止するってのを本で見たことがあった。あと、脳震盪のケアにもなるってな。本来は柔らかい材質を使うとは聞いていたが、とりあえず歯にかませる何かを探す必要があった。石だと逆にこっちの口がボロボロになっちまう。いざというときに噛み砕ける程度の適度な材質をな」


 フリントは口の中に残った水を吐き出そうと、ベッペッと地面に唾を吐きづつける。


「お前は氷を食うことが癖みたいだな。氷食症なのか単に冷たいのが好きなのか知らないが、助かったよ。“ちょうどいいマウスピース”の“代用品”がそこにあったんだからな」


 フリントはゴーダンの腰にぶら下げていた氷を入れていた袋を指さした。


「あの箒頭野郎がミレイヌに刺したナイフを見たとき、お前への一発逆転手段を思いついた。だけど真正面から素直にナイフで刺しに行って、食らってくれるか?お前のその身のこなしからそれは間違いなく無理だと判断した。……だから、あえて一発食らう必要があったんだ。勝ちを確信するほどの、クリーンヒットをもらえば、絶対に油断してくれる。そのための……これが、俺の策だった。どうやらそれは……上手くいったようだな」

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