第8話 裏と表と 前編

 1000年続く歴史の中で、イシスニアは有限な資源をいかに引き延ばすかという課題と直面してきた。それが高度な――そして資源の消費が激しい文明の喪失を決断させ、機械溢れる地下四層以下の廃棄へと繋がった。


 だが有限な魔力を消費し続けるという状況には変わりはない。基本的な人権が確保されるのは第2区画までが精一杯であり、第3区画以降はもはや魔力を持とうが持たまいが、力――金が無い者には生きる権利がない、地獄のような状況になっていた。


 ゴーダン達はそんな環境で育ってきた。ゴーダンは母が魔力不能者であり、父はいなかった。恐らく農場で働いている人間が母を攫って弄んだ末の子なのかもしれない。そんなことはこの区画では珍しいことではなかった。


 ダナやマーカートも一緒の貧民街で育ってきた。彼らは魔力を持っていたが、この肥溜めで生き残るにはそんなことは慰めにもならない。誰もが等しく地の底を這いずり回っているこの地では、明日の命を知れないのは皆同じなのだから。


 だが、ゴーダンは生まれつき身体が丈夫だったのか、ろくな訓練をしていないのに筋骨隆々の身体つきをしていた。それはこの区画で生き残るために大いに役立ってくれた。相手が紋章を使おうが、この拳一つで黙らせることができたのだから。


 13歳のころ、ゴーダンの母は殺された。”仕事”中に客相手から暴力を受け、殴り殺されたらしい。遺体を確認させてもらった時はすでに”それが何なのか”判別すら困難だった。


 母は優しかった。ゴーダンは自分の生まれを聞くことが怖くて、父のことを何も質問したことがなかったが、ろくな理由ではなかっただろう。それなのに自分やダナやマーカート達にも優しくし、そして育て上げてくれていた。母が死んだとき、ゴーダンの中で何かが壊れた。そしてダナ、マーカートと共にその客を調べ上げ、母がされたのと同じようにそいつを殴り殺した。


 そしてゴーダン達は決意した。この肥溜めを抜け出し、人としての人生を取り戻すと。そのためにはもう手段は選ばない。盗みも殺しもなんでもやってやると。


× × ×


 そして紋章や体術の訓練を受ける機会を得て、6賢人の一つであるギミ家に取り入り、当主であるブリッジの裏の仕事を一任されるところまできた。ここまで来るのに20年以上かかった。その間何度も死にかけたし、何度も正気を失いたくなるような事もしてきた。だが――目の前のこれは何だ?俺たちは一体”何”を相手にしているんだ?


「があああああああああ!!!」


 フリントは天井を仰ぎ雄たけびを上げた。そして目の前の横倒しになっている列車の壁に何度も頭を打ち付ける。こうでもしないと自分が許せなかった。そして正気を保ってられそうになかった。自分が憎くて仕方なかった。


 先程の額の出血箇所から血が噴き出し、巻いてもらった布から血が染み出す。そして邪魔になった布を外して右手に持ち、フリントは目の前にいる敵3人を睨んだ。


「もうどうなるか俺にもわからないんだ……! だけどお前らは逃がせない……! 逃がしたらまた追ってくるだろ……!?」


 魔力が察知できないゴーダンにも、フリントの異常な状態が肌で実感できていた。ゴーダンはフリントの事を今回の依頼を受ける前から知っていた。ギミ家の裏事情に取り入っていた事もあったが、同じ不能者である者として、子供ながら教師の真似事をして不能者共に教育を施しているフリントの事は興味の対象であった。


 不能者の10年生存率はおよそ3割弱。フリントもナタール家の支援を受けながらも不能者としての役割を果たさねばならず、子供の身ながら危険度の高い作業に従事させられてきた。地下街の魔獣や暗黒街のゴロツキとの遭遇を何度もしてきており、命からがら生き残ってきた。そのことはゴーダンも知っていた。だからこそ今回の任務にあたりそれなりの警戒をし、万全の準備をしてきたはずだった。


「ダナ……マーカート…………てめえらには何が見えてるんだ?」


 ゴーダンは引きつった顔をした仲間二人に尋ねる。


「わからない……あんなの見たことがない……!」


 ダナからはフリントの周りに人間がおおよそ宿していいものではない量の魔力に溢れ、フリント自身の姿が揺らいで見えていた。あの列車が保有していた魔力量が仮に上の列車と同じものだとして、ここまで来るのに消費した分をざっと換算しても、兵士100人以上分の魔力が一人の身体に詰め込まれていることになる。似たようなことを普通の人間がすれば、魔力の詰め込みすぎで身体が爆裂してもおかしくはない。戦慄するダナ達を一括するようにゴーダンは叫んだ。


「いくら魔力があろーがなかろうが、あの紋章が俺には効かないのは変わりないだろうが! お前らもビビってんじゃねえ! やるぞ!」


 ゴーダンの喝にダナ達は目を合わせて頷いた。フリントはその様子を見て、こいつらは“悪いやつではない”のではないかと考えるだけの落ち着きを――いや脳みそは最初から一部分冷えたままだった。昔からそうだった。どんなに心動かされることがあってもどこかで冷えた自分が自分を見ている。だがもう“決断”したことに対して、それが足を止める理由にもなることはなかった。――こいつらを。


 フリントは魔剣の紋章を鞭のように伸ばす。だがそれは数十メートルにも達し、ゴーダン達は立ち向かうのではなく一瞬で回避を選んだ。


「ゴーダン!」


「わかってる!」


 マーカートが声を荒げゴーダンへと声をかける。ゴーダンはダナを抱えると、その場から一気に跳躍した。フリントはミレイヌの治療中であるシェリルに当たらないように細心の注意を払いながら剣を振――いや薙ぎ払った。ゴーダンはダナと共にギリギリでその攻撃を回避する。そして着地後にダナをそこに置くと、一気にフリントへと距離を詰める。次の攻撃をダナに向けさせない為だが、もう一つ理由があった。


「さぁこっからが本番だ! せいぜい楽しませろよ!」


 ゴーダンはこの異常事態にも関わらず唇が歪んでいた。今まで見せた傲岸不遜な態度とは裏腹に、仲間を思う気持ちがあり、他人を慮る態度を持っていたりと、裏表が激しい側面があった。


 だが、その根底には戦うことが楽しい――自分の生まれ持ったこの異常な身体能力を使って、”力のくらべっこ”をすることが大好きであった。それが戦うということに真摯な姿勢を取らせるという、その生い立ちゆえに歪んだうえで、歪んだからこそ真っすぐな性根を持たせていた。


 今回もその力比べとなんら変わりはない。そして力比べならどんな相手だろうと負けない。それは死の淵に何度も立ってきた者が抱ける余裕であった。だからこそ目の前の人外に対して冷静な判断力を保つことができ――。


「マーカート!」


 ゴーダンがマーカートの名を呼ぶと、加速の紋章を使いフリントの攻撃から逃れたマーカートがフリントの背後を取る。正面からは魔剣の紋章が効かない不能者、背後からは加速の紋章を使う暗殺者、そして俯瞰できる位置から敵の紋章攻撃を一切封じる邪魔者、これがこの3人の必勝のフォーメーションだった。そして今回は敵の攻撃が不能者に効かないとわかりきっている。


「おりゃあああああ!!!」


ゴーダンは雄たけびを上げてフリントへと突撃していく。あまりにもわかりやすい視点誘導であったが、それだけにフリント側からは無視できないものであるはず――だった。


「まず……一人!」


 フリントは両腕を引くと、腹に気合を入れる。そして次の瞬間。


「嘘だろ……マーカート……?」


 フリントの背後に暗器をもって接近していたマーカートが突如倒れる。ゴーダンは不能者故に何が起きたか判断することができなかった。そのためフリントに向かっていた足を止めてしまう。


「次に……もう一人!」


 フリントは剣を構え、ゴーダンに切りかかった。ゴーダンは身構えるが、その動きが無駄であるとわかっている。


「はっ! 俺にその剣は意味が……!」


「ああわあってるよ!」


 フリントはそのままゴーダンに向けて剣を振りぬいた。当然ゴーダンには何のダメージもない。ゴーダンはマーカートに何かが起こったと判断はしていたものの、自分にその何かが降りかかることがないと判断し、剣を振った直後のフリントにカウンターを入れようとする。だがそれは背後から突然聞こえた何かが倒れる音に遮られた。


「……まさか!?」


 ゴーダンは慌てて振り向くと、ダナが線路に倒れていた。どうやら一連の攻防中に女二人を人質に取ろうとして近づいていたらしい。先程ゴーダンが降ろした位置よりも近づいた場所にいた。だが、なぜダナが倒れて――。


「ちっ……しまっ……!」


 ゴーダンは自分のミスに気が付き、舌を鳴らした。


「ああそうだよ! お前には剣は効かないだろうが、こいつはお前を貫通して向こう側に届かせられるんでな!」


 先程マーカートが倒れたのは、フリントがオーラを爆発させる技を使用し、その範囲内にマーカートをおびき寄せたからだった。”紋章にはそれぞれ致命的な弱点”が存在する。フリントはミレイヌの加速の紋章を常に見てきており、脳内でもし自分がこのような敵と遭遇したらどうすべきかを度々シミュレートしていた。そして思いついたのが攻撃タイミングに合わせた全方位のカウンター。点での防御は間違いなくすり抜けられることから、攻撃時にオーラを爆発させる技を使えば防御面において問題ないと判断していた。


 そしてあの青髪の男の能力について、フリントはシェリルの氷魔法が見当違いの所に出現するのを見たことから、他人の魔力の出現位置や方向などを操る能力だと把握していた。そしてそれは自分の紋章に干渉しえないことも。


 方向の紋章はあくまで魔力の方向をずらすだけであり、一度紋章が武器として手に持たれてしまえばその武器の攻撃をずらすということまではできない。極端な話、一般兵が持つ戦槍の紋章が天敵と言え、特異な能力故にその弱点もまた汎用性に欠けるものだった。言ってしまえばダナとマーカートはフリントの持つ魔剣の紋章に対し弱みを持っており、常識的な範囲内であればゴーダンとの連携で誤魔化しきれるものが、圧倒的な魔力にものを言わせた力押しで崩されてしまったのだった。

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