第7話 心が定めたレール 後編②

 ミレイヌは出血したこめかみの箇所を腕で拭い、シェリルを庇う様に前にいる男たち二人に立ち向かう。だが紋章の相性の悪さはあまりに致命的であった。『加速の紋章は紋章の持ち主の身体能力を上昇させるといったものではない』。これが示す加速の紋章の重大な欠点が存在する。それは相手も加速の紋章を刻んでいる場合、純粋に相手との身体能力差が勝負の決め手になってしまう。そしてその差は現実のものとしてミレイヌに立ちふさがっていた。


 先ほどのシェリルの様子から、シェリルの連携術はあの青髪の男の紋章とも相性が悪いようだった。そしてミレイヌ自身が思っていた、対シェリルとの戦いは、加速の紋章があればいとも容易く制圧できてしまうという予測。つまるところ自分たち二人は相性の関係で目の前の二人に逆立ちしても勝てないという状況だった。


 だがフリントに頼ることもできない。何をされたかはわからないが、フリントも苦戦しており、むしろフリントの方が助けが必要に見えた。ミレイヌの視点からではまだマーカートの加速の紋章しか能力は明らかになっていない。ミレイヌが敵の妨害を受けてでも自分が何とかしなければならないと思うのは仕方のないことだった。


「シェリル様……頼みます!」


 ミレイヌは加速の紋章を発動させ、ダナに向かって突っ込んでいく。ダナの方向の紋章も事前に集中をして魔力を乱す方向を決めなければ効果が発揮できない。ミレイヌが初手でダナに向かっていくのは偶然だが正解ではあった。しかし――。


「焦ったか」


 マーカートも加速の紋章を使いミレイヌの前に立ちふさがる。ダナはマーカートを信頼し、ミレイヌに対しての防御行動を一切起こしていなかった。


「ダメですか……!」


 ミレイヌはダナの注意をそらしつつ、マーカートと対峙することで、シェリルの魔法を使用できるようにしようとしていた。だが、敵のチームワークは固く、そして油断が無かった。そしてその隙にゴーダンはフリントを無視し、シェリルの方へと突っ込んでいく。


「さぁ! 詰むまでに後何手耐えられる!?」


 ゴーダンは心底楽しそうにしながら言った。フリントはゴーダンに追いすがるように這って動こうとするが、胃がまだうねっており、足に力が入らない。シェリルはゴーダンが自分を狙って動いてきたことを察すると、自身の目の前に氷の壁を作ろうと魔法を放つ。


「それはダメ♪」


 だがその氷はゴーダンの遥か後ろから出現し、這いずっているフリントとの間を塞ぐだけであった。


「また!?」


 シェリルはここでようやくダナの能力に対して確信する。どういう方法か知らないが、あの青髪の変態の使う紋章はこちらの魔力の出現位置を自在に操ってくる。連携術が使えないだけではない、そもそも初手として――。ゴーダンの拳が振り上げられ、シェリルへと振り下ろされようとする。こいつは女相手でも一切手加減するつもりはない。淀みなく振られたその腕からシェリルは思った。そして私はフリントと違いこいつの攻撃をよけたり防いだりまではできない――そう思った時だった。


「シェリル様!」


 ミレイヌがシェリルへの攻撃を防ぐためにゴーダンの拳を蹴り飛ばす。だがさしてダメージは無く、ゴーダンは余裕の笑みを浮かべてミレイヌを見た。


「これで詰み(エンド)だな」


 この瞬間、マーカートが完全にフリーになった。それはシェリルでは知覚すらできないスピードで、魔法での自衛すら不可能な攻撃に対し、完全に無防備になったことを意味する。


 マーカートはシェリルの背後を取り、手のひらに仕込んだ暗器の飛び出しナイフを光らせる。繊細なバランスを要求される加速の紋章ではあるが、このくらいの獲物であるなら加速を邪魔せず持つことができた。――そして。


「南無」


 マーカートはシェリルの延髄を狙ってナイフを振り下ろす。シェリルは何が起こっているのか全く反応ができていなかった。マーカートも目の前の少女を死を確信した。


 ドスッ。という鈍い音と、何か重いものが後頭部に倒れてきて、初めて”シェリルは”反応する。反射的にその倒れてきたものを抱え上げ、そしてシェリルはそれに気づいて声を上げた。


「あ……ああ…………嘘でしょ…………! ミレイヌさん…………!?」


 ミレイヌが腹部にナイフを刺され、口から血を吐きながら倒れていた。だがまだ目は敵の方を向いている。ミレイヌの行動は敵からしても想定外のものであった。隙ができたわけではないが、いったん動きが止まった。


「ミレイヌさん! ミレイヌさん! しっかりしてください! なんで……なんで私を……!?」


 シェリルは目に涙を浮かべながらミレイヌの手当てをしようとする。ナイフの位置は腹部の――内臓の位置に深々と刺さっており、抜けば血が噴き出てしまう。そうでなくてもこのまでは死ぬ致命傷であった。シェリルは訳が分からなかった。確かに邪険にしていたわけではなかったが、まだ自分への疑いは晴れていないとも思っていたし、何よりミレイヌの目的からして、私の生死は二の次どころではないはずだからだ。困惑しているシェリルの頬を、ミレイヌは優しくなでる。


「シェリル様……どうか……フリントを……。そして……すみません……」


「大丈夫ですミレイヌさん! 私の魔法で治療すればこのくらいの傷……!」


 そう、回復魔法を使えば治らない傷ではない。致命傷とはいえ即死には至らない傷であるため、その程度の時間はある。――だが。


「まぁ……それはさせられないわな」


 シェリルはゴーダン達3人に囲まれていた。もはや絶体絶命だった。だがシェリルは諦めずにミレイヌに回復魔法をかけ始める。


「あらら、この子大した胆力ね」


 周りを一切気にせず回復魔法をかけ始めたシェリルに対し、ダナはからかうように言う。


「単にもう手がないだけだ。現実を見るのを辞めてな」


 マーカートはシェリルを見下すように言った。そんなシェリルの様子を見て、ゴーダンは髪の毛を掻きむしりながら退屈そうに言う。


「あーあ。もう少し楽しめるとは思ったが、こんなもんか。ま、これでこんなところで夜過ごさなくてよくなったんじゃねえの。だろ?ダナ」


 ゴーダンは氷を取り出し頬張りながら暢気そうに言うが、ダナとマーカートの表情を見て、身体を硬直させる。二人の表情は何かに驚愕しており、同じ一点を見つめていた。“魔力不能者”であるゴーダンは今何が起こっているか感じ取ることができない。ただ二人の表情から何か尋常でないことが起きていると察知し、ゆっくりと後ろを振り向いた。


 ――俺のどこかに恐怖や怯えが、ブレーキが掛かっていなかったと本当に言えるだろうか。魔剣の紋章の制御不可能な無差別攻撃や、シェリルから聞いた真相の一端が、自分のしていることに対し疑念を持たせたのは間違いなかった。俺は正しいのか?魔剣の紋章を外に持ち出すことは、本当にしていいことなのか? いや、そもそもシェリルの話はどこまで真実なのか?


 そういった思いが、腕を鈍らせ、足を止めさせ、大切な人を傷つけた。俺は、ここに来るまで俺のために一体どれだけの人を傷つけた?セーラ、タイレルさん、そして。


「……クーデリア」


 振り向いたゴーダンが見たものは、フリントが横転した列車に開いた穴に腕を突っ込んでいる姿だった。ゴーダンにはそうとしか見えなかった。だが、ダナとマーカートには。


「なんなの……あれは……!」


 ダナの額から冷や汗が流れていた。先程のまでの相手を舐めた態度はすでに消え去っており、その顔には若干の恐怖すら浮かんでいた。


 魔力を無尽蔵に吸収する究極紋章――魔剣の紋章。先程フリントはゴーダンへの攻撃のために列車の魔力を一部吸い取っていたが、あくまで常識的な範囲内でのものであった。だが、今フリントが吸収している魔力量はそれを遥かに超えていた。列車に蓄えられていた魔力を根こそぎ吸い尽くし、すべて魔剣の紋章の魔力に換えていたのだった。


 ――もう余計なことを考えるのはやめだ。たとえ俺が間違ってようが、何も知らなかろうが、今はすべて考えるのをやめる。そう、決めてやる。


「さぁ……第二ラウンドだ……! てめえらに覚悟があろうがなかろうが、全力で叩き潰してやるよ……!」


 たとえこの先が足元のようなレールで敷かれてあったものだとしてももう関係ない。俺はこのレールに沿って前に進むと、そう心に決めたのだから。

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