第7話 心が定めたレール 後編①

 シェリルはダナに対して火炎魔法を打ち込むが、予備動作が大きく当たっても大した威力の無い単体魔法では、さして効果がない。ダナも余裕でその魔法を避けるが、紋章を使用した形跡の無いシェリルの魔法に驚きの表情を浮かべる。


「驚いた……! 紋章を使わないでそんなことができるの!?」


 見た目からダナのことを男装した女だと思っていたシェリルはダナの声を聞いて、皮肉を混ぜた言葉を放つ。


「女かと思ったら男なの!? イシスニアにもオネエ文化ってやつがあったんだ……」


「オネエってあんたね……。もう少し言い方を考えなさいよ……」


「あなた達がどこまで知ってるか知らないけど、外じゃあ色々あってね……!」


 シェリルは無駄話で時間を稼ぎながらも、次への魔法の準備を整えていた。シェリルの連携術は1対1で戦うには非常に向いておらず、普通に対峙していたらバレバレな次の一手への布石を誤魔化しながら打たなければならない。だが、相手の無知に付け込むなら、話は別であった。


「ま……あんたが知る必要はなさそうだけどね。……ここで終わるんだからっ!」


 シェリルは外した火炎魔法の着弾点に氷魔法を放とうとする。この組み合わせは溶けた氷の水蒸気爆発と氷の破片を飛ばす、魔力が潤沢にある時に放てる2種の組み合わせだけでできる最大威力の魔法。それが無防備な相手の背中から炸裂すればそれで終わり――のはずだった。


「……知ってるわよ。“ジェンダーレス”ってやつでしょ?」


 ダナの額の紋章が輝き、前髪が風で浮き上がった。


「……方向(ベクトル)の紋章」


 次の瞬間、シェリルは背後から感じた突然の冷気に違和感を感じ、慌てて転がってその場から離れる。すると、自分が先ほどいた場所から氷の塊が飛び出してきており、地面に氷が転がっていた。――これは私が放った氷魔法だ。シェリルは目を見開いてダナを見る。


「私はダナ。……それと別にこれは私がこういうファッションや喋り方が好きってだけで、別に性癖はいたってノーマルよ。……特に貴女みたいなかわいい女の子はね♪」


 シェリルは自らの置かれた状況に息を飲んだ。――この男の紋章は私に対して相性が最悪だということに。


「そう……じゃあ私も自己紹介しなくちゃね。私はシェリル。……少しは手加減してくれない?」


「ダメね。私はかわいい子をイジメるのが大好きなの」


「……全然ノーマルじゃないわね」



 分断されたフリントはゴーダンと対峙していた。先ほどガードした腕がまだ痺れており感覚を取り戻すために軽く振るう。


「……お前らなんだ? 名前は? 一体何が目的なんだ?」


 フリントは一気に質問を行った。時間稼ぎが目的のとにかく会話を続けるための質問だった。目の前の胴着の男は知ってか知らずか、首をコキコキと鳴らし、袋から氷を取り出すと口に頬張る。そして一気にかみ砕くと、口を開いた。


「俺はゴーダン。まぁ……目的は言わずともわかるだろ? ……で、その腕は回復したかよ?」


 フリントの顔が苦笑で歪む。


「そうか……まぁ待って聞けよ。俺はフリント・ギミ。ギミ家の元長男で今はふの……」


 フリントが言い終わる前にゴーダンは踏み込んでフリントの懐に入ろうとする。――速すぎる。加速の紋章などを使っているわけではない、純粋な身体能力によるスピードだとするなら異常すぎる速さだった。


「ちっ……!」


 フリントは言い終わる前に身を捩らせて攻撃を避けようとする。しかし、ゴーダンはそのフリントの動きを正確に捉えていた。


「遅え」


 両足をハの字に開き、しっかりと地面に接地する。そして右腕の脇を閉め、左腕は敵を捉えるように前方を向き――。


「セイヤアッッッ!!!」


 右腕を捩じるようにフリントに突き出す。ここまでの動きは非常に丁寧かつ、フリントには視覚できないほどのスピードで行われていた。――だが。


「だから言ったろ。”まぁ待てよ”って」


 フリントがそう言うと、横転した列車から破片が飛び出しゴーダンに向かっていく。フリントの右手にある魔剣の紋章をよく見ると、オーラが伸びて列車の中に向かっていた。


「本来物質にどうこうできるわけじゃねーが、魔力が通る機材に関しちゃ話が別だ! 列車の動力の魔力を吸い取って、中でオーラを爆発させた! くらっちまえよ!」


 フリントは先ほど列車から脱出する際、列車の動力の魔力を一部吸い取っていた。それらしい素振りを見せないために少量ではあったが、こうやって騙し打ちをする分には充分な量であった。


 だがゴーダンは一切慌てず、冷静に足の向きを破片が飛んできた方向に構えなおし、両腕を引き締めて構える。そして両手が消えたかと思うと、自分の周囲に飛んできた破片を全て弾き飛ばしていた。


「嘘……?」


 フリントが汗が逆流するような恐怖を覚え、急いでシェリル達の方へ逃げようとするが、ゴーダンが瞬時にフリントの逃げ道を塞ぐように立ちはだかる。


「これで待たなくてよくなったな」


 ゴーダンが皮肉を言い終わる前に、フリントは身体を捻らせて飛ぶ。そして回転回し蹴りをゴーダンに叩き込もうとするが、足の加速がつく前に簡単にゴーダンに防御される。そしてゴーダンが体勢を崩したフリントに再び突きを仕掛けるが――。だが、そこまでフリントの想定の範囲内だった。


「俺に接近戦を挑むのがそもそも間違いなんだよ!」


 フリントは一連の回し蹴りの動作の中で、魔剣の紋章を身体の陰に隠していた。奴がどんな攻撃方法をしようが、接近戦が主体であるなら魔力を吸収してそれで終い――そのはずだった。


「……残念だったな。“同類”」


 メキメキメキィという嫌な音がフリントの耳に入る。最初はその音がどこから出ているかわからなかった。――というより自分が何故地面に突っ伏しているかも。そして、永遠のような数瞬が経ち、腹部に激痛が走りようやく理解した。


「グバアアアアアアッッッ!!!???」


 フリントは胃の内容物をまき散らしながらのたうち回る。あまりの痛みに全身から粘ついた汗が止まらない。足の動きがコントロールできず、突っ張った状態でジタバタとバタついていた。しかしゴーダンはそんなフリントに構わず、トドメを刺すためにフリントに近づいていく。


 近づいてくる足音を耳が拾い、ようやくフリントは正気を取り戻す。そして顔の寸前まで迫っていたゴーダンの踏み砕きを、寸でのところで身を捩らせて避けた。しかし、その動きでまた胃の痛みが強くなり、吐しゃ物をまき散らしながらフリントは這って逃げる。


「ゲホッ! ゲホッ!! ……な……なんで……!?」


 ――なんであいつに魔剣の紋章が効かなかった? 確かにゴーダンのパンチの進行方向に魔剣の紋章を置いたはずだった。タイミングは完璧だった。何故? 何で? だがそんなことを考えている間にもゴーダンはフリントに近づいてくる。しかし、その足取りは追い詰める側のものとしては遅かった。


 今現在痛みにのたうち回っているのはフリントであるが、ここまで打ってきた布石は確実にゴーダンの脳裏に焼き付いていた。今ゴーダンが思っていることは、フリントへの警戒。事前にフリントの情報を聞かされており――そしてゴーダン自身その情報を聞く前からフリントの名を知っていたことにより、目の前の瀕死の男がタダの不能者ではないことを強く認識していた。そしてそれは先ほどの攻防の見事さから実感としてゴーダンの警戒心を増幅させていた。


 ありがたい。フリントは痛みに思考が分断されながらもそう思っていた。そしてその脳みそで改めて考える。魔剣の紋章が効かない理由は――。



 フリントの悲鳴を聞き、ミレイヌはフリントの方向を見た。フリントがゲロを吐きながらのたうち回っており、そしてその手前にいるシェリルもまた苦戦しているようであった。


 だがミレイヌは目の前の男と見合っていて動くことができない。この痩せぎすの、箒みたいな恰好をした男が寡黙できっかけが掴めないのもあるが、それ以上に先ほどの加速の紋章の不具合が問題だった。


 加速の紋章は紋章の持ち主の身体能力を上昇させるといったものではない。魔剣の紋章の加速と同じく、魔力を進行方向に噴射させ、加速をかけるといったものだった。その為、先の魔獣との戦いのときも、ミレイヌは自身の徒手空拳以上の威力がある行動が取れなかった。そしてこれはミレイヌが軍にいたことに学んだことでもある。――どんな紋章にも致命的な弱点は存在すると。


「そういえば先ほど、あの胴着の方に頼まれて氷か何か作ってましたね? ……それがあなたの紋章の力ですか?」


 ミレイヌはきっかけを作ろうと話しかけるが、ミレイヌと対峙しているマーカートは一切反応しない。ミレイヌは内心頭に血管を浮かべたくなるような気持ちになりながら、奥の二人が気になって仕方なかった。それが敵の作戦だとしても、もうミレイヌには今のじれったい状況を待つという選択肢はなかった。


「じゃあ……そう思うことにしますよ!」


 ミレイヌは加速の紋章を起動させる。先ほどとは違い、今度は自分の思うようにコントロールすることができた。――これならいける。目の前の敵は反応できていない。そして背後を取り、両手を組んで後頭部に一撃を入れようとしたその時だった。


「甘いな」


 目の前の箒のような男の姿が消えた。――いや消えたのではない。ミレイヌはギリギリでその姿を目に捉えることができていた。敵は背後に――加速の紋章と同等のスピードでミレイヌの背後に回っていた。


「しまっ……!?」


 ミレイヌは咄嗟に腕で敵の攻撃をガードしようとするが間に合わず、右側頭部に敵の蹴りがクリーンヒットで入り、思いっきり蹴り飛ばされる。そして同じく苦戦していたシェリルのすぐ横まで飛んできていた。


「ミレイヌさん!?」


 シェリルは震える手で対峙していたダナに右手を向けながら、飛んできたミレイヌを左手で抱き起そうとする。その様子を見てダナはマーカートに文句を言った。


「ちょっとマーカート! 分断するって予定だったのに何してるのよ!?」


 ダナの文句にマーカートは大した動揺も見せずに反応した。


「すまぬ……。その女、少しはやるようでな」


 シェリルに抱きかかえられたミレイヌは頭から血を流しながら立ち上がり、自分の身体を支えていたシェリルから離れる。


「大丈夫ですかミレイヌさん!」


 ミレイヌは顔を俯かせながらも、シェリルの大丈夫なことをアピールするように手を向ける。


「え……ええ大丈夫ですシェリル様……。……あいつの攻撃が当たる直前、自ら飛んで威力を殺しましたから……。ただ……まさか……」


 ミレイヌは頭から血を流しながら、それを気にすることなくマーカートと呼ばれていた男を見た。自分と同じように右手に宿し、そして自分と同じ速度で動ける紋章があるとするならばそれは一つしかない。


「…………貴方も、加速の紋章の使い手……ということですか……」



 ゴーダンはフリントを追いかけながら腰に付けていた袋を手に取り、中から氷を取り出し音を立ててかみ砕く。袋には氷を作るための氷結の紋章が刻まれていた。先ほどマーカートが作り出した氷は、マーカート自身の紋章でなく、袋に刻まれた紋章によるものだった。


 ダナも額に紋章を宿していた。方向の紋章と名がつくそれは、魔力の向く方法を外から操作できる能力を持つ。ロードが石術の紋章を起動した際に石が出る場所を操作したり、魔動列車が魔力を推力にして前進していたものを、横にずらして脱線させ、ミレイヌの加速の紋章の推力方向を変えて分断したりしていた。


 ゴーダンは――身体のどこにも紋章が刻まれていなかった。地を這って進むフリントはようやく魔剣の紋章が効かない理由にたどり着く。そしてそれは決してあり得ない答えであり、同時にこれしか説明がつかない答えだった。

 ――こいつは”魔力不能者“だ。

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