第9話 絡まりあう思惑 前編②

「何が起こってんのよ全く!」


 シェリルは部屋から連れ出したフリントに怒鳴るように言う。先程部屋の中に風魔法を使いフリントに合図を出したのはシェリルだった。空気の通り道を辿り中に風を送り込み、“叫んだらドアの横を吹き飛ばす”という簡単なメッセージを風に乗せ、フリントにのみごく小さな音で聞こえるようにした。空気が安定している密室でしか使えない非常に用途が限られる魔法であったが、この状況では非常に役に立った。


「俺が知りてぇよ! お前ら一体どこいたんだ!? というか何でこの男が!?」


 フリントは一緒について来ているゴーダンを指さす。


「そんなものは俺だって知りてえんだよ! ……くそっ! 追手が来たぞ!」


 フリントたちの正面から鎧を着た兵士が5人ほど現れ、フリントたちを視認した瞬間、戦槍の紋章を起動させる。


「狭い廊下にあの紋章は俺でも骨が折れるぞ……どうする!?」


 ゴーダンは目の前の兵をけん制するために構えながら言った。


「この狭い場所じゃ私の魔法も発動するのはかなり危ない……! あの手の敵にはフリント君が!」


 シェリルはフリントを見ながら言うが、フリントは汗を流してしかめ面をして何も言わなかった。そしてシェリルも異変に気付く。


「……フリント君?」


 だがフリントは黙ったまま答えず、シェリルから顔をそらした。


「来るぞ!」


 シェリルは更にフリントに尋ねようとするが、ゴーダンの声にかき消される。正面にいる兵士たちが槍を構えて突撃し始めたからだ。こういう状況では戦槍の紋章は他の紋章全てを跳ねのける最強の紋章になる。正面からの攻撃はすべて弾き、避けることも防御することも許さない面制圧が可能になるからだ。――だが。


「……だから危ないって言ったのに」


 シェリルは指を鳴らすと、兵士たちは身体を震わせて動きを止める。そしてその隙をミレイヌは見逃さず、加速の紋章を起動させると壁を飛び回り地面を避け、兵士たちを次々に昏倒させていく。


「こちらです!」


 そして兵士を全員倒した先でミレイヌはシェリル達を手招きして呼んだ。呆気にとられるフリントとゴーダンにシェリルは自慢げに言う。


「ね?危ないでしょ?加減が効かせ辛いから危ないのよ」


 そのまま走っていくシェリルに遅れてフリントとゴーダンもついていこうとするが、兵士たちが倒れたところに足を踏み入れた瞬間。


「ぎゃっ!」


「ぎょえっ!?」


 フリントとゴーダンも兵士と同じく感電し、身体を震わせながら何とかミレイヌの下へ倒れこむようにたどり着く。


「あ……そうだった。二人の靴は絶縁体じゃないんだった……」


 とぼけるシェリルにフリントは痺れながら文句を言う。


「お……お前な……!」


 横からの攻撃がダメなら下から通せばいい。シェリルが先程放った魔法は土魔法と雷魔法を組み合わせて、電気の地雷原を作り出す魔法だった。この世界の大半の靴は革製であるため電気を通し、シェリルの履いている靴はゴム製であるために絶縁体となっており、自分だけ安全に通れるようになっていた。なおミレイヌは事前にシェリルから聞かされていたので壁を蹴って地面を避けていた。


「ここは何階だ……!?」


 フリントは痺れて倒れながら、ミレイヌの正面にある階段を見る。どうやら兵士たちはここを昇ってきたようであり、屋敷内は一連の騒動による騒音で警戒態勢に入っており、屋敷の警備を固めようとする人間の足音が多く響き渡っていた。


「ここは3階です。ナタール家別邸は地上3階地下1階の5階構造になっており、私たちは先程まで地下の牢屋にいました」


 ミレイヌは階下をのぞき込みながらフリントに言う。


「敵さんも私たちを魔法が使えるように閉じ込めるわけなんかなく、魔封じの紋章が刻まれた手錠を掛けられて動けなくなってたの。そこをこのゴーダンに助けてもらったわけ」


 シェリルはフリントの横で倒れているゴーダンを指さした。


「なんだってお前が……?」


「……話せば長くなる」


 ゴーダンの回答にフリントは両手両足をジタバタさせて不満げな態度を表した。


「あーもう! 何が何だかわかんねーよ! 誰もかれもが勝手に絵空事を描くせいで、グチャグチャのメチャクチャになってやがる! もう今の状況をちゃんと把握できてるやつなんかいねーんじゃねーのか!」


 フリントは階下を覗くミレイヌを見た。――ティファニーのあの言葉が真実であるなら、ミレイヌは核心にあたる何かを知っているかもしれない。だが、それをこの場で問いただすのは余りにも危険すぎた。


「とにもかくにもこの屋敷からの脱出ね……。このままここにいたら囲まれてジ・エンドだし」


 シェリルはフリントとゴーダンに軽く回復魔法をかけ、身体の痺れを取り除く。何とか立ち上がれるようになったフリントだが、少しもたついてると、先に立ち上がったゴーダンがフリントに手を伸ばす。


「……お前、なんというか妙に礼儀正しい面があるよな。……見た目野蛮人のくせに」


「……顔面傷だらけのお前に見た目どうこう言われたくねーよ」


 フリントはゴーダンの手を掴み、力を借りて立ち上がった。


「脱出経路は? さすがに準備してるんだろ?」


 フリントはミレイヌに尋ねると、ミレイヌは頷いて答える。


「ええ。さすがに正面玄関からの脱出は不可能ですから。3階から窓を破って脱出します」


 ミレイヌは廊下の奥に進み、倉庫の部屋を開ける。その倉庫は予備の家具や、使わなくなった物をしまう、文字通りの物置だった。何の変哲もない部屋だったが、ミレイヌは部屋の奥にある窓を開ける。


「ここから壁伝いに1階まで降りることができます。……期待されていたような大げさな隠し通路というわけにはいきませんが、正面入り口から視線を避けつつ、ここから降りればすぐ周りの廃墟に身を隠すことができる進路になります」


 フリントはミレイヌが開けた窓から下を覗く。確かに2階くらいの高さまで軒が続いており、そこから飛び降りればすぐに屋敷の敷地外に出て身を隠せそうだった。周りは第3区画では珍しくないゴーストタウンになっており、身を隠すには絶好の位置と言えた。


 フリントは改めてミレイヌを見る。――何故お前はこの屋敷にここまで詳しいのか、何故このような脱出経路をあらかじめ知っていたのか。フリントがそう思っていることをミレイヌは知ってか知らずか、先導するように窓から飛び出す。フリントは何も言わずにミレイヌに付いていった。



「ここまで来れば一旦撒けたか……?」


 フリントは息を荒くしながら、路地の壁に背を預けて腰を落とす。ナタール家別邸から脱出して30分。フリントたちは廃墟の間を縫うように逃げていた。道中何度か魔獣とは遭遇したものの、兵士とは遭遇することなく、シェリルはその警備の薄さに違和感を覚えながらも足を止めるわけにはいかなかった。


「この辺りは上の方でも魔獣がいるのね……! 今までずっと魔除けしてた上で地下しか歩いてなかったから気づかなかった……」


 シェリルは袋から水筒を取り出し、水を一口飲むと、それをゴーダンに投げ渡す。ゴーダンはまさか自分が渡されるとは思ってなかったのか反応できず、慌てて水筒を落としかけ、何とかキャッチする。呆気にとられるゴーダンに、シェリルはきょとんとしながら尋ねた。


「飲まないの?疲れてんでしょ?」


 ゴーダンは驚きの余り口をあんぐり開けながらフリントを見た。フリントはやれやれと呆れた表情を浮かべる。


「こ……この女距離感ぶっ壊れてんのか……?」


「あ~……まあ、この中じゃあ多分一番頭オカシイかな……。味覚もオカシイし……」


 ゴーダンに同意するように答えるフリントにシェリルは怒りながら指をさす。


「何がオカシイっていうのよ! というか味覚はいいでしょ味覚は! あれは故郷じゃ皆食べてるって何度も言ってるでしょうが!」


「だって俺、ティファニーに普通の食事出されたとき涙でたもん……。普通のパンとおかずが食えるだけで感動できる日が来るなんて、今までの貧乏生活ですら思いもしなかったよ俺は……」


 感極まるフリントとともに、ミレイヌも同意するように頷いていた。ミレイヌからしても、シェリルの出す料理は軍にいたころの行動食よりマズかったのだった――。



 しばらく経って追っ手が来ないことを確認すると、フリントたちは廃墟の一つに身を潜めた。日が暮れ始めてきたこともあってか、シェリルの魔法による周囲の警戒は怠らないようにしているものの、一息つく時間ができた。そこでフリントは全員を集めて、自らの右手を見せる。


「……黙っていてすまない。…………今の俺の右手には魔剣の紋章が刻まれていないんだ」


 フリントの告白にシェリルは少し呻き、顔に手を当てて項垂れるものの、すぐにフリントの肩を叩いて笑顔を見せる。


「いや……今は君が無事でよかった」


 フリントは少し目を見開き、驚いた表情でシェリルを見る。


「お前……魔剣の紋章を確保するのが任務なんだろ!?」


 シェリルは首を横に振り答えた。


「そのことは後で何とかしましょう。今はまず現状の整理、でしょ?」


 フリントはミレイヌ、そしてゴーダンを見る。ゴーダンは鬱陶しそうに手を振った。


「俺はお前が紋章を持とうが持たまいが関係ねえよ。お前が俺に勝ったのは紋章は関係ねえし、何より俺の目的にも関係ないからだ」


「そうだ、お前何でここにいるんだよ?というか、どういう経緯でお前は……それにお前の仲間はどうしたんだ?」


 フリントの質問に、ゴーダンの顔が曇り、周囲の空気が張り詰める。シェリルは慌ててフリントの口元に指をあてて、黙るように指し示す。


「フリント君、ここは私が説明するから……。あと、君が得た情報も話せる限り聞かせて。さっき君が言っていた通り、もうこれは単純に紋章を外に運べばいい話ではなくなってる。一度整理しないと。私たちがこれから何をすべきか……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る