第9話 絡まりあう思惑 中編

 第1区画ギミ家邸宅。ギミ家当主ブリッジは息を荒げ額から血を流しながら、食堂のテーブルに身を潜めていた。その右手には息子であるロードから没収した石術の紋章が刻まれていた。


「ハァ……ハァ……なんなんだ……“アレ”は……?」


 数時間前、魔剣の紋章の奪取に向かわせていたゴーダン達が屋敷に戻ってきた。どうやら任務に失敗したらしく、ゴーダンは重症、他二人も魔力欠乏症になっているようだった。だがブリッジはロードの時とは違い、3人を手厚く迎え、治療を施させた。


 ベイシスが長年の間ブリッジのことを誤解していたと言うように、ブリッジはその表と裏の部分が非常に激しいものがあった。表の顔は民を力強く導き、ゴーダン達をも抱え込みその上で手厚く徴用するような器の大きい人物であり、裏の顔はフリントという不能者が自分の家系から生まれたことで、“もしかしたら不能者が生まれたのは自分に原因があるのではないか”という猜疑心から他の跡継ぎも設けず、妻を死なせ、ロードすら息子扱いしない器の小さい面を持っていた。


 ――そしてそれをミレイヌに利用された。ブリッジは確かに魔剣の紋章を求めてはいたが、それはベイシスの言うような矮小な理由からではない。魔剣の紋章と聖剣の紋章を手中に収め、現状のイシスニアの窮乏状態に手をこまねいている王や他の6賢人を打ち倒し、ギミ家の名のもとにイシスニアを一致させるという壮大な野望の為であった。


 ミレイヌはそれを知りつつ自らの目的のために周囲を騙し、ベイシスに魔剣の紋章を売るという決断をさせるという計画を立てた。そしてブリッジはそれすらも想定の範囲内とし、力づくで魔剣の紋章を奪うという名分を作り出すことに成功した。――それなのに。


「くそっ……! 何故あいつが……どうやって……!?」


 食堂に向かい、一人分の足音が響いてくる。――屋敷内の他の人間は全て動かなくなっていた。屋敷中のいたるところに鮮血の跡が残り、騒ぎを聞きつけ向かってきた兵士も、屋敷の使用人も、そしてダナやマーカートも倒れて動かなくなっていた。ゴーダンは命からがら屋敷の外に逃げ出しており、路地裏で傷口を抑えながら蹲る。


「あれは……あれはなんだ……!?」


 ゴーダンは息を荒げて後ろを振り返り、ギミ家邸宅を見る。ゴーダンの目にはただ屋敷があるだけだが、周囲には人だかりができており、彼らには――魔力を持つものには異様な光景が見えていた。屋敷の周りに空に浮かぶ紋章障壁と同じような結界ができているのだから。


「あのクソガキが……! 何故……!?」


 食堂のドアが開き、身体から血を垂らしながら一つの影が食堂に入ってくる。ブリッジは息をひそめるが、その影はすぐにブリッジの気配を察知すると、目を見開いてその方向を見る。


「そこにいましたか……“父さん”……!」


 ロードの顔は邪悪な笑みに染まっていた。全身に返り血を浴びており、むせ返るような生臭さを漂わせていた。そして左手には“剣”が握られていた。


× × ×


「ロード……それに親父が……?」


 フリントは苦虫をつぶしたような顔をして腕を組んだ。ここまでの説明を行ったのは、牢屋から脱出する際に話を聞いたシェリルではあったが、話にひと段落つくと、ゴーダンがその重い口を開いた。


「…………察しているとは思うが今、ギミ家とナタール家は手を組んでいる。ナタール家当主ベイシスが死んで、その後を継いだティファニーがギミ家に情報を流したんだ。そして俺たちがお前らの脱出路に先回りして、待ち伏せをしていたんだ」


 ゴーダンの言葉にフリントは驚愕して振り向く。


「ベイシスさんが……死んだ……?」


「4日前に何者かに暗殺されたらしい。息子であるワイスも行方が知れず……まぁこれは表向きの理由で実際は外の世界にいるらしいが……なんにせよティファニーがその隙間を縫って6賢人の家長に収まったみたいでな」


 フリントはミレイヌを見るが、ミレイヌは憂いを帯びた表情で目線を落としていた。


「さっきの屋敷で遭遇した兵士。あれもギミ家から派遣された連中だ。だが今はもう帰る場所を失くしてナタール家の預かりになっている。……ここまでのことは偶然なのか?」


 ゴーダンの疑問を投げかける言葉にフリントは先ほどのティファニーの行動を思い出した。情緒不安定な行動のいくつかに腑に落ちる点が出てくる。


「…………俺の目的は復讐だ。ダナ達を殺したあのクソガキを殺すまで……俺は止まれねえんだよ!」


 ゴーダンは壁を思いっきり殴りヒビを入れると、そのまま部屋から立ち去って行った。ゴーダンが見えなくなったのを見計らい、シェリルがフリントに話しかける。


「……おそらくアイツは嘘を言っていないと思う。私が回復魔法をかけるまで、重傷のケガが治っていなかったし、私たちを解放するために兵士たちと戦っていたのも本当だったから」


「ああ……そうだな。だけどわからねえ……。ベイシスさんが殺された?そんなこと……」


 だがフリントは続けようとして口を閉じた。


「どうしたの?」


 シェリルはフリントに尋ねるが、フリントは目をそらす。


「いや…………」


 この話を深掘りしてしまうと、ミレイヌがナタール家と通じていたという事まで話してしまうことになる。そしてそれはフリントが想像している”最悪の予想”にまで話がつながってしまうことになる。――今はこの話をすることはできない。


「……とりあえず現状をまとめると、“ティファニーがギミ家と組んで魔剣の紋章の奪取を企んだ”、“ロードがゴーダンの仲間や親父を殺した”、“俺たちはどこかにある魔剣の紋章を取り返す必要がある”……か。頭がクラクラしてきた……」


 フリントは頭を抱えた。自分のことを長年虐げていたとはいえ、父親が死んだというのにその感傷に浸る心の余裕が一切無かった。それはありがたいことなのか悲しいことなのか判断がつかないが、これでとうとうフリントはこの世界に居場所が無くなったということを実感させられた。すべて自分の決断によるものだと自認はしていても、足元がグラつく感覚があった。


「魔剣の紋章の場所に心当たりはある?」


 シェリルはフリントに尋ねた。だがフリントは首を横に振る。


「……いや、目が覚めたら紋章が無かったからな……。ティファニーの右手にも紋章があるようには見えなかったし」


「そうか……でも物が物だし、余程の扱いはしないとは思うんだけど……」


「うーん……俺がもしティファニーの立場だったら自分につけるよな……。だってせいぜい4日だぜ? あいつがベイシスさんの立ち位置を引き継いだのは。そこから何があったかは想像でしかないが、魔剣の紋章を預けられるような信頼できる部下なんてできると思うか?」


 シェリルはフリントの疑問に肯定するように頷いた。奪った究極紋章をどうするか、適当な部下に預けてしまっては、そいつが第二のフリントになりかねない。


「核爆弾のスイッチを渡すようなものだしね……。そりゃ適当な人間には渡せない」


「核爆弾?」


 フリントは聞きなれない単語に疑問を感じて尋ねる。


「ああ~……外の世界にあるとっても危険な爆弾ってことで……。…………あ」


 ティファニーは手を打って何か閃いた顔をした。


「そうだ、“魔剣の紋章は誰にも宿されていない“。……これが答えかも」


「うん?そりゃあ紋章だけで取っておくのはありえるだろ。ただ…………いや待て」


 様々な道具に紋章が使われているように、身に宿す紋章でも人に宿さなければ持ち運べないというわけではなく、紋章を保管するための道具は存在する。だいたいは手のひら程の大きさの石板を用意し、そこに刻んで持ち運んだりする。フリントが合点が言った表情を浮かべたのを見て、シェリルは話を続ける。


「だけど、魔剣の紋章はそうはいかない。そんなもの持ってるだけで周囲から魔力を吸うようなものだからね。自分で言っていたのを忘れてたけど、人に宿したら宿主から魔力を吸い続ける超危険物だし」


 シェリルはフリントの右手を指さした。


「君が持っていたからあの紋章は一時的にその危険性を失っていた。そしてそれまではナタール家はどうやって管理していた? ……となると答えは一つ」


「…………クーデリアか!」


× × ×


 魔剣の紋章の化身は白髪の少女の姿で顕現しており、ナタール家別邸の一室で空を見上げていた。月が空に昇り、空を覆う紋章障壁の影響で揺らいで見える。


 自分が今まで何をしていたのか、記憶が曖昧でよくわからない。昔からここにいたような気もするし、自分の記憶が始まったのがつい最近のようにも思える。外への扉にカギはかけられていないが、出ようととも思えなかった。行く宛もないし、行ったところで自分がどうなるかわからないからだ。


 ただそんな虚無のような時間が過ぎていく中で、何か自分の中に暖かいものがあるとも実感していた。それが彼女の心を繋ぎとめていた。


「…………フリント」


 その言葉が意味するものがわからないままに、紋章の化身は呟いた。

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