第9話 絡まりあう思惑 後編

 一旦の情報の整理を終えたフリントたちは、翌日早朝にクーデリアの奪取作戦を開始するという計画を立て、それぞれ就寝することにした。本当はこのまま夜に紛れ行動するのが定石だったが、昨日の今日であっては警備は非常に厳重になっており、逆に闇のせいでこちらの行動が阻害されること、そしてフリントたちの体力――特にシェリルの魔力が危ういこともあり、時間を置くことにした。無論、時間を取りすぎてはクーデリアの身柄を移されかねない。だがフリントたちにはそこには考えがあった。


 フリントは廃墟の屋上で一人座っていた。明日は早いことは理解はしていたが、寝ようにも寝れなかったのだ。空は晴れており、紋章障壁で揺らめく月が明るく見えた。


「よっ! 何してんの?」


 いきなり肩を叩かれフリントはびっくりして後ろを見た。


「ぎゃあ! ……ってシェリルかよ! びっくりさせんなよ!」


「……ミレイヌさんもそうだったけど、君たち一人たそがれる趣味でもあるの?」


 声をかけたのはシェリルだった。からかうように笑い、フリントにコップを手渡す。


「はい。ホットミルク。お茶やコーヒーはカフェインが含まれてるから、寝れなくなっちゃうからね」


「核爆弾やらカフェインやら、知らない単語でマウント取ろうとすんのやめてくんねえかな……」


 フリントは文句を言いながらもシェリルのホットミルクを受け取り、口をつける。暖かく柔らかい味にフリントは張り詰めた気が少し落ち着くような気がし、深くため息を吐いた。


「…………ありがとうな」


「どういたしまして」


 フリントはシェリルの裏表のない厚意がとてもありがたく感じた。この1日で色んな思惑が明らかになり、神経が参り始めていた。そしてティファニーことが頭によぎる。――あいつも同じようなものだった。だが俺はその手を払いのけたんだ、と。


 そんなフリントの様子を見てか、シェリルはフリントに声をかける。


「ねえフリント君」


「……なんだ?」


「…………あのティファニーって女の人と……やる事ヤッたの?」


 いきなりの質問にフリントは口をつけていたホットミルクを思いっきり吹き出した。


「オヴェッフェイ! …………なに言い出すんだおのれは!」


「え~……だって凄い状況だったじゃん。相手の人裸で、ベッドの上で抱き合ってるし」


 フリントは顔を真っ赤にして頭を抱えた。


「いや……そりゃあ男だから来るもん来たけども……! 何もしてないからな! 本当に何もしてねえよ!」


「それはそれで問題すぎない……!? あそこまで女の子に迫らせておいて何もしないって……風の感じでは確かめっちゃ舌とか入れてなかった……?」


「逆だと思いっきり犯罪だろうが! そこに男女のアレはないだろうよ!」


 息を切らしながら反論するフリントに、シェリルは合点がいったように手を合わせる。


「まぁ~ミレイヌさんと結婚するなら、そうそう他の女の人には手を出せないか」


 シェリルの言葉に今度は笑みが消え、真顔になって答える。


「……それミレイヌから聞いたのか?」


「うん?そうだけど?」


 ――ミレイヌが自分から? フリントはそこが引っ掛かった。フリント自身ミレイヌからの好意に気が付いていないわけではないが、かといって今までそれを利用して何かをしてきたわけではない。そしてミレイヌがそれを他人に言うのも考えづらい。――確かセーラすらそのことは知らないはずだった。


「…………一応、ミレイヌとも何にもないからな俺。どんだけ年離れてると思ってんだよ」


 フリントはシェリルから顔を背けながら答える。


「え~……でも愛に年の差は関係なくない? ここまで来るって相当だよミレイヌさん」


「いや……そうだけども……」


 ミレイヌのその思いがどこから来ているかもフリントは知っている。――それはフリントを見ているわけではない、という事も。


「んーと……じゃあ君、今まで彼女とかできたことないってこと?」


 シェリルのあけすけな言葉に、フリントは顔をしかめた。


「う……うるせえな! 別にそういうのじゃねえよ!」


「そういうのってどういうのよ……」


「お……お前はどうなんだお前は!」


 フリントの苦し紛れの言葉に、シェリルも顔を真っ赤にして反論する。


「べ……別に私はいいでしょうが! というか私はまだ16だし! これからだし!」


「俺だって16だっつーの!」


 しばらく互いに無言になり、そして馬鹿らしくなって二人とも腹を抱えて笑い出した。


「あははは……こんな時に何やってんだ俺たちは……!」


「そうねアハハハ……! 本当、ばかみたい……!」


 ひとしきり笑った後、フリントとシェリルは互いに目があった。そしてシェリルはフリントの手を握る。フリントは少しびっくりするものの、離れずに静かにシェリルの言葉を待った。


「…………今まで言いそびれちゃったけど、タイレルのこと、本当にありがとう」


「ああ……そうだな」


 フリントは目をそらして曖昧な返事をした。シェリルはフリントの内心を知ってか知らずか、フリントの手を握ったまま俯いて言う。


「ここまで色んなことがあったけど、一つだけ私から言えることがある。…………私は何があっても君を信じる。タイレルが最後まで信じた、君を……あなたを」


 フリントは顔を再びシェリルに向けてその目を見た。そして少し前のティファニーとのやり取りを思い出し、再び顔を背けて空に浮かぶ月を見た。


「……俺は、俺の中にはもう一人の俺がいると思ってる」


「うん」


 フリントの言葉に頷いたシェリルに、フリントは自嘲気味に笑いながら言う。


「……こいつ変なこと話し始めたとか思わないのか?」


 シェリルは首を横に振った。


「大丈夫。……続けて」


「…………このもう一人の俺が言うんだ。“こいつを信用するな。今までのことは全部演技でこれも最後の一押しの為の罠だ”って。今までお前がポンコツな仕草をしてたのは、全て心の隙間に入り込む為だってな」


 シェリルは顔をしかめながら文句を言った。


「ポンコツって……酷いこと言うわね……」


「だけど、俺の本心は言うんだ。……“友達”を信じたいって」


 フリントはシェリルが握っている手を強く握り返した。緊張で手汗が大量に出ており、その手も震えていた。シェリルはそれに気づくが、気づかないふりをして優しく握り返す。


「タイレルさんも、クーデリアも、俺が初めてできた“友達”だった。……俺はそう信じてる。あの二人が俺の知らない何かを知ってたとしても、だ」


 フリントの独白が終わると、シェリルはフリントと一緒に空に浮かぶ月を見た。


「うん。そうね。“友達”、か。いいわねそれ。……義務感や性愛で信じるより、よっぽどいい。もう権謀術数で物事を考えるのはコリゴリ」


 そして二人は黙って空を見上げていた。


「全部終わったら、故郷の料理をご馳走してあげる。カレーって言うんだけど」


「お前の故郷の料理は勘弁願いたいんだけどなぁ……。それ美味いの?」


「…………正直な話、故郷の料理がほかの国でもマズいって言われてるのは知ってたけど、このカレーは別だから! ちゃんと美味しいって評判だから!」


「そうか……。じゃあ、楽しみだな……」


「あと、遊園地とか行こうよ。ジェットコースターとか。乗ったことないでしょ?」


「ジェットコースター? なんじゃそりゃ?」


「数十メートルの高さからガーッって落ちる車みたいなヤツなの。あと他にもメリーゴーランドとか観覧車とか!」


「へー……それはどんなやつなんだ?」


「メリーゴーランドは馬の乗り物がグルグルまわるやつで、観覧車は数十メートルの高さの乗り物がゆっくり回ったりしてね。そっから見える景色とか綺麗なんだ」


「……そいつは楽しそうだ」


「うん、きっと楽しいよ。ほかにも色んなところ案内してあげる」


「そうか……なら、絶対に外に行かないとな……」


 二人はとりとめのない話をしながら、互いに心の中で誓いあった。ここから先、何があっても自分たち二人は信用しあおうと。――かけがいのない友達として。


 その様子をミレイヌは建物の影から見ていた。そして二人と同じように空に浮ぶ月を見た。


「…………こうやって月を見るのはいつぶりだろう。……アレクシス様…………アレクお姉ちゃん」


 そして彼女も二人に知れず心の中で誓った。――必ず二人を守り通して見せると。


× × ×


 ロードは食堂のテーブルの隅に隠れるブリッジの気配を察知し、足を引きずりながら歩いていく。裸足に返り血がへばりついており、歩くたびにペタペタと足音が鳴る。


「…………今まで僕は、あなたに認められたくてひっっっっしで頑張ってきました。でもあなたは僕を見てくれることはなかった。……あのゴミのせいで、僕もいじめられたり、母さんが僕を欠片も見てくれなかったのに、あなたはなああああんにもしてくれなかった……。でも僕は頑張ってきたんですよ? なのに、なんで?」


 ――ロードは明らかに精神の均衡を逸していた。左手に持った剣を引きずりながら歩き、ブリッジに近づいていく。途中部屋の真ん中に置いてあるテーブルにぶつかりそうになるも、フラフラと体勢を立て直した。その際、左手に持った剣はテーブルにぶつかることなく、“すり抜けて”いた。


「でも……もういいんです。だって……僕は……僕は何をすべきか、何をするために生まれてきたのかわかったんだから……。この剣が……この紋章が教えてくれたんだ……!」


 ロードは左手のその紋章を――聖剣(フィルスタリオン)の紋章をブリッジに見せるように掲げた。ブリッジは立ち上がり、ロードに右手を向ける。


「貴様のような異常者が……我がギミ家の誇りを汚すな……っ!」


 ブリッジは右手に刻まれた石術の紋章を起動させようとする――が、それよりもロードの方が速い――いや速すぎた。ロードの姿が消えたかと思うと、ブリッジが視認できない速度でその背後に回る。


「誇り? 異常者? ……じゃああなたは実際にこの紋章の声を聞いたんですか?」


 ロードは聖剣の紋章でブリッジを切りつける。だが剣はブリッジの身体をすり抜け、外的損傷は何も起こさなかった。――しかし。


「が……があああああっっっ!?」


 ブリッジは右手を抑えて苦しみ始める。そして石術の紋章が暴発し、四方八方に石が飛び出し、あたりの家具をひっくり返した。ブリッジは恐怖に染まった顔で、背後にいたロードを見る。


「……この聖剣の紋章が言うんです。魔剣(クーヒャドルファン)の紋章を滅ぼして世界を救えと。……兄さんを殺せと」


 ロードの影がブリッジに重なり、ブリッジは目に涙を浮かべて命乞いの言葉を口にする。


「今まですまなかった……助けて……誰か助けてくれぇっ!」


 ロードの顔は愉悦に染まっていた。そしてゆっくりとブリッジに両手を伸ばし、悲鳴が上がった。

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