第9話 絡まりあう思惑 前編①

 一か月前。タイレルは魔剣の紋章が保管されているナタール家本邸に侵入するために、深夜の街の中に身を潜めていた。事前にナタール家当主ベイシスへの手引きは済んでおり、あとは“紋章を奪われた”体にするために、地下にある紋章を奪取し、妹であるシェリルが準備した地下鉄で脱出するだけ。


「よし……ここまでは手はず通りだ」


 タイレルは懐中時計を取り出して時間を確認する。外の世界でももはや趣味以外の目的で使われないものではあるが、タイレルはそれを大事に扱っていた。シェリルが自分にプレゼントしてくれた、何より大事にすべきものだったからだ。


「情報通りでは今日の地下への監視は相当に緩められてる。何を祝ってるのか忘れたけど、パーティが開かれていてそちらに警戒が割かれてる、からですよね」


 タイレルの横には一つの影があった。タイレルより一回り小さい、女性の体格をした人物が。


「じゃあ頼みますよ……”ミレイヌさん“。あんたの情報がこっからは頼りなんだ」


 月明りが雲からはみ出し、タイレルと――その横にいたミレイヌが照らされる。


「ええ。それでは行きましょうか……タイレル様」


× × ×


 フリントは動けなかった。下着姿のティファニーに密着され迫られていることもあるが、それ以上にティファニーの言葉に衝撃を受けていた。――ミレイヌが全て仕組んでいたと。


「ミレイヌが……なんで……?」


 フリントはティファニーの目を見ながら質問をした。数日寝ていないと言っていたが、それを示すように目は腫れぼったく、そして充血していた。だが元々整った顔立ちには何ら影響を与えていない。この距離で見つめあったことをフリントは後悔しながらティファニーを離そうとするが、ティファニーは力強くフリントの肩を掴み離さなかった。


「……あなただって知ってるでしょ? あの女が、あなたに恋慕の情を抱いてることを。一回りどころか、二回り下のあなたに。そして不能者であるあなたに」


 フリントは凄まじく微妙な気持ちになりながらも、それは肯定せざるを得なかった。自分で言うのも余りいい気分ではないが、フリントは自分が朴念仁ではないとは自覚している。ミレイヌが自分に向けている感情の出どころがどこにあるか、考えたくはないが理解している面はあった。


「だけどそれがなんで……?」


 フリントはティファニーに質問を続けようとするが、ティファニーはフリントに唇を強引に合わせる。――この状況はヤバい。フリントは心臓が滅茶苦茶な鼓動を打ちながらも、脳のどこかは相変わらず冷えたままであった。ここでティファニーを突き放したらどうなるか想像したくはないが、このままこの状態でいると状況が凄まじく悪化するのは間違いなかった。――こいつが下着に手をかけ始めたら死を覚悟する、というラインを決める理性がフリントにはまだ働いていた。フリントはティファニーを刺激しないようにそっと顔を離すと、矢継ぎ早に質問を続ける。


「お前はどこでミレイヌが裏切ったと知ったんだ?」


「……おじい様が……あの男がミレイヌから、あなたの父親であるブリッジの野望を聞かされた、って言ってたのよ。そして後で調べたらそのものズバリ。あの女が今回の紋章盗難騒動に大きく関わってたわ。おじい様と作戦立案してたのもあの女、その過程で自分の身体をブリッジだけでなく、あの男にも差し出してた……。本当、反吐が出ると思わない?」


 言葉遣いが徐々に乱暴になっていくティファニーに、フリントは心配して声をかける。


「おい……ティファニー……お前口調が……」


「ただあの男は外の世界に紋章を売る契約をする際に、一つ嘘をついてた。そして……それがミレイヌの目的だった」


「……嘘、目的?」


「本来の引き渡し方は、このイシスニアに侵入したスパイに紋章の化身の少女を預けて連れて行かせることだった。でも、ミレイヌはそこに自分の思惑を付け足させた。……フリント、あなたに紋章を宿させて、あなたを運び屋にすることで一緒に外に出るつもりだったのよ」


× × ×


 シェリルとミレイヌは牢屋の前に現れた人物を見て、警戒をした。


「あなたは……!」


 シェリルは敵意をむき出しにしてその人物を睨みつける。だがその人物の顔色は悪く、そしてシェリル達とは違い、敵意を向けていなかった――むしろ助けを求めているような、そのような感じを抱かせた。


「……交渉だ。お前らをここから出してやるから……俺の言うことを聞け」


 その胴着の男は呼吸が荒かった。胴着から除く上半身には包帯が巻かれており、血が滲み出ていた。


「出すってどうやってここから出すっていうのよ!」


 シェリルはその男に反論する。だがその男は付近のレンガを掴むと、そのまま握り潰して見せた。


「お前らの手錠を力づくでぶっ壊してやるから、後はお前の魔法やらなんやらで出ろ。……その前に俺の話を聞く方が先だがな」


 ゴーダンは焦りながら答えた。背後をしきりに気にしているようであり、それはシェリル達にこの男は独自で動いていることと、のっぴきならない事態になっていることを認識させた。


「……ええわかったわ。ただ、もう一つ交渉することがある。……あなたのケガを治してあげるから、あなたの話が終わった後に、今度はこちらの話を聞いて」


「……どうやらそっちも抜き差しならない状況みたいだな」


「ええ、そうね。互いに使えるものは何でも使いましょうか。……”彼”もそう言うだろうしね」


× × ×


 フリントはティファニーをベッドに連れて行っていた。特に何か考えていたのではなく、考える時間を稼ぐためにとにかくティファニーを刺激しないことだった。ティファニーに腕を掴まれてフリントはとにかく焦るが、何とか一言質問を絞りだして時間を稼ごうとする。


「なぁ、なんでティファニーはここにいたんだ……?」


 この質問なら刺激しないか、そのギリギリを見極めるのに今のフリントは全神経を集中させていた。あまり核心に迫った質問をしてしまうと、この危うい状況の均衡が崩れてしまう。ティファニーは握っていたフリントの腕を離し、頬に手を当てた。


「……あなたが来るってわかってたから。地下4層にある地下鉄を使って、第3区画を一気に進むって計画を知ってたから先回りしてたの。……さっき話しそびれたけど、あなたをここまで連れてきた不能者はね、かつてあなたが勉強を教えてた人達よ」


「……え?」


「ここ第3区画では今、教育を受けた不能者たちが農場を回してるの。あなたが不能者たちに教育をしたおかげで、一定の仕事ができる不能者たちが集まって、自治体を作ってるの。ナタール家もそれを支援してる。ここから不能者の人権を守るための場所を作るんだって。重傷を負ったあなたを連れてきたのも、あなたに恩があるって不能者たちが、あなたを救うためにしたことなのよ」


 ――そんなの聞いてないぞ。フリントはなぜその話が自分の耳に入っていなかったのか、いくつか考えられる理由はあったが、それ以上に気になる一言があった。ティファニーはフリントが地下鉄を使い脱出することをしって先回りしていた。そして第3区画の途中で列車は事故を起こし横転した。――これでフリントが抱いていた疑問はすべて繋がった。だが、この状況をどうにかしなければ、どうしようもなくなってしまう。


「ねえ……フリント……。私を抱きしめて……」


 ティファニーは身体を起こすとフリントに身体を預けようとする。その時だった。閉め切っているはずの部屋で、フリントのうなじにほんの少し風が吹いたのは。


「もう外に出るのはやめて、私と一緒にここで暮らそう?……大丈夫。きっと上手くいく。だってあなたが今までやってきた事が、こうやって実を結び始めてるんだから」


 フリントはティファニーを抱きしめた。そして決意を新たにし、ティファニーの耳元で言う。


「そうだな……それもいいかもな……」


 フリントはティファニーのブラに手をかけホックを外す。ティファニーは目を閉じてそれを受け入れた。だが、フリントはもう落ち着いていた。――為すべきことを心に決めたからだ。


「でも……ごめんな。やっぱり俺は……外に出る!」


 フリントはティファニーを突き飛ばすと、ベッドのシーツをはぎ取りドアの前へと向かう。


「今だ! シェリル!」


「はいよ!」


 フリントの掛け声とともに、ドアの横の壁が爆発して壊れ、外への道がつながる。そこにはシェリルとミレイヌと――。


「な……なんであんたが!?」


「いいから早く来い! もう時間がない!」


 フリントは突如現れたゴーダンの姿に驚くが、躊躇している場合ではないと、空いた穴から外に向かう。だがその直前で足を止め、ティファニーに振り向いた。


「……これが俺だよ。あんな状態でお前のブラをとって、シーツも盗んで、すぐに追いかけられないようにしようって頭が回っちまう。もう色んな思惑が重なりすぎでどうしようもないこの状況で、それでも俺を想ってくれていて、俺に助けを求めていたのに」


 ティファニーは涙を浮かべながらフリントを見ていた。だがフリントはティファニーに寄ろうとはしなかった。


「……じゃあな。……今まで、本当にありがとう」


 フリントは走り去っていき、ティファニーは手を伸ばすことすらできなかった。

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