第11話 正義の剣を突き立てる 中編①

 フリントは10分ほどシェリルを抱えて走り、追っ手を一時的に振り切ったことを確認するとシェリルをゆっくりと降ろし息をついた。なるべく気をつけて降ろしたのだが、シェリルは傷口が痛むのかうめき声を漏らす。だがフリントはそれに気に掛ける余裕も無く、近くの道端で嘔吐した。先の緊張と、この10分の間人一人を持ち上げて走るのは流石に身体に無茶をかけすぎていた。


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ…………一旦撒けたか……!?」


 フリントは改めて全員の無事を確認する。クーデリアも息を切らしながら何とかついてきてくれていた。シェリルは普段の軽口も明るい態度もなく、粛々と傷口の治療にあたっていた。


「何分……何分その治療にかかる……!?」


 フリントは立ち上がる気力もなく、四つん這いで地面に這いながらシェリルの傷口の様子を見ようとする。シェリルは声を出さず、傷口を抑えていない右手を広げて時間を答えた。フリントもその意図を察知し、理解して答える。


「そうか……5分……5分だな……!」


 フリントはシェリルの腰に下げてある圧縮袋に手を突っ込む。急にまさぐられる形になったシェリルだが何も言わない。もう気を使っていられる余裕はこの場の誰にも存在しなかった。フリントは袋の中から水筒を2本取り出し、1本は自分で一気に飲み干し、もう一本をシェリルに渡す。シェリルは声を出さずにそれを受け取ると、一口は飲んで、残りは傷口を洗浄するためにかけた。


「大丈夫……?」


 クーデリアがシェリルに手を伸ばそうとするが、フリントはそれを察知すると慌ててクーデリアの腕を掴んだ。力強く腕を掴まれる形になったクーデリアは怯えた表情をフリントに向け、そこでようやくフリントは自分が余りにも余裕が無くなっていたことに気づく。


「しまっ……クーデリア……ごめん……!」


 フリントは落ち着くために深呼吸をする。そして現在の状況について思考を向けるために深く集中をした。こういう時、いつも俺の中には何かがいる。いつも冷徹な何かが――。


 だがその集中は耳がかすかに拾った音にかき消される。――足音。しかも一人や二人分ではない。集団の――。


「嘘だろ……!? もう居場所がバレたのか……!?」


 フリントはその足音が指し示す状況に戦慄しながら立ち上がろうとする。だがもう遅かった。左右の道に敵兵が5人ずつ来ており、完全に逃げ道を塞いでいたのだった。フリントはクーデリアを見る。


「クーデリアがいるからバレた……!? いやそんなはずはない。いくら魔剣の紋章が周囲から魔力を吸い取るからとはいえ、このくらいの距離感でバレるならシェリル達の脱出作戦は成り立たない……! ということは……クソッ……! …………そういうことか……ティファニー!」


 フリントは上に向かって叫ぶ。その声を聞き、フリントたちが向かってきた方向の建物の最上階からティファニーが姿を見せる。


「……そう。ご明察。あなたたちの動きはこの鷹目(ホークアイ)の紋章で手に取るようにわかる。そしてそれを周囲にいる兵たちに伝えることもね」


 ティファニーは額に刻まれている紋章をフリントに見せつけるように言う。鷹目の紋章。その能力は上空からの監視および連絡。ティファニー自身は特別な戦闘訓練を積んできた訳ではない。そのため最初から戦闘用の紋章をつけるという選択肢は無かった。そこでティファニーはリチャードに相談し、司令塔用の鷹目の紋章を付けることにしたのだった。


 しかし戦闘向きで無いというだけでそれが素人にもすぐに扱えるものではない。リチャードは最低60時間の訓練、才能があっても40時間の訓練が必要だと見積もっていた。どう考えてもそれは今回の作戦内では間に合わないとも。だがティファニーはたった3日で実戦化(タイガライズ)に持って行った。それは彼女に紋章を扱う才があった――だけではない。時間を使ったのだ。彼女は眠れない時間をすべて紋章の訓練に充てた。その結果、常人ではありえないスピードでの紋章の習得に至ったのだった。


「さぁ次はどうする?……そのシェリルとかいう女が回復するまで何とかして時間稼ぎを試みる?不能者でしかないあなたが。……ねえ?“フリント”」


 ティファニーがフリントの名を呼んだ時、傍にいたクーデリアの頭に電撃が走った。“フリント”。なぜ今までその名前を忘れていたのか不思議なくらい、心に、脳髄に刻まれた大切な、大切な名前。


「…………あなた、フリントって言うの?」


「え……?あ……そういや俺の名前言う暇無くて伝えてなかったか……」


 クーデリアは頭痛を感じ、頭を抑える。その名前は思い出したい名前ではあったが、同時に思い出してはならないという実感があった。思い出したら、全て失ってしまう。そういう実感があった。


 フリントも何か察するものがあった。そしてクーデリアに無理をさせないために優しくその身体を抱き寄せる。


「大丈夫だ……大丈夫……。きっと何とかする……! あの時だって、そうだったろ?」


 × × ×


 タイレルとクーデリアは地下第2層へと向かうために不能者の集落近くにある下水道を歩いていた。臭いは酷いものの吹き抜けの水路のため呼吸ができないほどガスが充満しているわけでもない。昼には不能者が下水の洗浄処理のために働くような場所でもあった。


「すまないなクーデリア……! もう少しでこの下水道を抜けるからそれまで我慢してくれ……!」


 タイレルは臭いに顔をしかめながら進んでいく。もう少しすれば地下に入ることができ、そこは水路とは離れているため臭いもそこまででもない。それは事前に調査済みであった。だが協力者であるミレイヌの不在は気がかりではあった。一応の護衛のために地下3層までは付いてきてくれるとの話だったが――。


「う……うわあああああ!!!???」


 突如上がった悲鳴にタイレルはすぐにそちらの方を見る。少し低いくぐもった声から中年以上の男性の声。今は深夜前であり明かりを用意できない不能者がこの付近で作業をしているとは考えづらいが――。


 タイレルはすぐに向かおうとするが、右手に握られた感覚を思いだしすぐに足を止める。


「おじさん……?」


 クーデリアはタイレルから目を向けられ疑問の声を上げる。――そうだ。俺は今この子を運ぶための任務中だ。たかだか知らない奴が危機に陥ってようが、俺にはやらなくてはならない事がある――。


 タイレルは踵を返し地下へと向かう道に進もうとする。だがそこでもう一度クーデリアの顔を見る。そんな薄情な人間をこの子は信用するのか?だが俺は――。タイレルは目を瞑って悩むが数秒考え、そして決意を込めて目を開く。


「……クーデリア。すまない。君を安全に外に連れていくのが任務だけど……俺はやっぱり見過ごせない!」


 タイレルの言葉にクーデリアもその手を強く握り返す。


「うん……。大丈夫おじさん。行こう!」



 その様子をミレイヌは上層から見ていた。よし、これで計画は順調に進む。さっきの悲鳴は金を払った不能者に声を上げさせただけで、実際には何にも起こってはいない。あとはこの先に仕掛けてある罠でタイレルと魔剣の紋章の化身を分断させ――。


「た……助けてくれぇ!!!」


 先ほどの不能者の声が再び上がり、ミレイヌは疑問に思う。確か1回声を上げれば十分だと言ってあったはずだが――。そしてミレイヌはその声の主の方を見てうめき声を上げた。


「……嘘でしょう?」



 再び声が上がったことで何か異常な事態を感じ取ったタイレル達は急いで現場に急行しようとした。そして短めのトンネルを潜り抜けようとしたその時だった。


「なっ……!?」


 タイレルがトンネルから外に出た瞬間、鉄格子が急に閉まりだし、挟まれないように慌ててタイレルはクーデリアをトンネルの中に突き飛ばしてしまう。


「大丈夫かクーデリア!」


 タイレルはすぐに鉄格子を開けようとするが、人ひとりの力ではビクともしない。突き飛ばされたクーデリアは頭を抑えて立ち上がるが、タイレルの方を見た途端表情が強張った。


「お……おじさん…………。……後ろ」


 月明りに影ができ、タイレルはゾッとして体が硬直する。そして恐る恐る振り向いた。


「な……なんなんだこれは……!?」


 形容するなら狼男――。だが“それ”はそのような言葉で収まらないほどの巨躯を持っていた。4m以上はあろうかという巨体、全身が銀色の体毛で覆われた二足歩行の魔獣は月明りに照らされ咆哮を上げた。


「グオオオオオッッッ!!!」


「下がってろクーデリア!」


 魔獣コボルト。タイレルも外の世界でうんざりするほど魔獣は見てきていたため、それが何なのかは一瞬で理解できた。問題は外にいるそれよりも、明らかにデカく――そして強かった。タイレルは振り下ろされた爪をすんでの所で回避するが、回避した石畳が破壊され、窪みができていた。


「なんだあの威力は……! 鉄格子でクーデリアと分断されたのが幸いだったか……!」


 タイレルは指を銃の形にし、コボルトに向ける。なんでこんな化け物がここにいるかはわからないが、悲鳴の原因はこいつであると判断をした。


「時間はかけない……一瞬で終わらせてやるよ! ファイエル!」


 タイレルは火炎魔法をコボルトに向かって発射する。人間よりも遥かに発達した反射神経を持つコボルトはそれを難なく避け、タイレルに追撃を加えようとする。だがタイレルは“あえて”避けやすいように魔法を放っていた。


「こいつで……終わりだ!」


 タイレルは銃の形を作っていた右手から炎の剣を作り出す。敵が近接武器を急に取り出すと思ってなかったコボルトは、それを避けることができず、真正面から切り裂かれ、そして倒れた。


「ふぅ……危ない危ない……。どうだ? 俺結構強いだろ?」


 勝利を確信したタイレルは鉄格子の向こうにいるクーデリアを見た。――しかしクーデリアの顔は先ほどよりも恐怖に染まっていた。


「あ……ああ……」


 尋常ではない表情にタイレルは冷や汗を流しながら後ろを振り向く。そしてそれを見たとき、ただ絶句するしかできなかった。


「マジかよ……」


 水路の向こうからコボルトの群れが数体やってきていた。そしてそのどれもが先ほど倒したコボルトと同じ巨体を持っていた。

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