第11話 正義の剣を突き立てる 中編②

「こんなに魔獣がいるなんて聞いてないぞ……!? 一体どういうことなんだ!?」


「タイレル様!」


 上から声が聞こえタイレルは上を向くと、黒い塊が自分の横に落ちてきていた。そしてそれは着地すると、この下水には似合わない可憐な香りが鼻につき、それが何なのかをタイレルは理解した。


「ミレイヌさん! あんた何してたんだ!?」


 それはミレイヌだった。ミレイヌは戦闘態勢を取り、コボルトたちに拳を向ける。


「……すみません。トラブルがあって合流が遅れました……。ですがこの魔獣たちは一体……!?」


「それはわかりません……。ただこの先におそらくコボルトに襲われた誰かがいる。助けに行かないと……!」


「何言ってるんですか! そんなことより魔剣の紋章を連れて早く……!」


 ミレイヌが言い終わるよりも先にコボルトが2体タイレル達に向かってくる。


「もう俺の戦い方はこいつらにバレてます! 奇襲はきかない! ミレイヌさん頼みますよ!」


 タイレルは再び火炎魔法を放つが、先の斥候の戦いを見ていたコボルトたちはそれを避け、そして油断してタイレルに近づくこともしなかった。有利な距離を保ちながら、コボルトたちは壁を蹴り狙いがつけにくい空中戦を仕掛けていく。


「……!? なんで空を……! ?」


 ミレイヌは歯ぎしりをして唇を歪ませる。


「……すみません。私の戦い方も見られている……!」


 ミレイヌもここに合流するまでにコボルトと1度戦闘を行っていた。その時は加速の紋章を使い1対1で圧勝することができたが、その戦いを見られていた。――そしてまさか魔獣が対策を行ってくるとは。


「私の加速の紋章もあいつらに追いつくことはできます。……しかし空中で急に軌道を変えるなんて空を飛ぶような芸当はできない……! あいつらはそれを狙って空中戦を仕掛けにきています……!」


 2体のコボルトが目にも止まらぬ速さで壁を蹴りタイレルとミレイヌに向かう。防御し姿勢をとっていた二人は何とかその攻撃は避けることができたが、じり貧であることは間違いなかった。――さらに。


「ひ……人がいた! た……助けてくれぇぇぇ!!!」


 脇の水路からの声が聞こえ、タイレルはそちらを見る。背丈の低い中年の男性が、左肩の傷を抑えながら、タイレル達の方へ向かってきていた。


「しまっ……! こっちはダメだぁぁぁ!!! 早く逃げろぉぉぉ!!!」


 タイレルはその男に向かって叫ぶが、男は涙目になりながら向かってくる。


「そ……そんなこと言わないでくれえ! 何か訳の分からない魔獣に襲われて、血が止まらねえんだ! 俺まだ死にたくねえよぉ!」


 タイレルがその男を何とかして助けようと思案を巡らせ、コボルトたちから目を離してしまったその時だった。


「しまっ……!?」


 コボルトがその隙にタイレルに襲い掛かり、タイレルは反応が遅れてしまう。


「タイレル様!」


 ミレイヌが加速の紋章を使い、タイレルへ攻撃をかけたコボルトを止めようとする。しかしもう一匹のコボルトはそのタイミングを待っていた。ミレイヌはもう一匹からの攻撃に対処できず、わき腹に攻撃をくらってしまう。そして壁に叩きつけられ血を吐いて意識を失ってしまう。


「ミレイヌさん! ちくしょうこの犬っころがぁ!」


 タイレルは目の前のコボルトに魔法を放とうとするが、コボルトの方がはるかに反応は早く、ミレイヌと同様に腹部への攻撃を受け、クーデリアがいるトンネルの鉄格子まで吹き飛ばされてしまう。その様子を見て、不能者の男性は悲鳴を上げて腰を抜かしてしまう。


「おじさん大丈夫!?」


 クーデリアはタイレルに駆け寄る。だがタイレルには触れないようにしていた。タイレルの手袋越しや、服をつかむ程度ならともかく、その身体を直接触っては魔力を吸収しかねないからだ。


「く……くそ……っ……なんだってんだこいつらは……!」


 タイレルは何とか立ち上がろうとするが、膝が笑って力が入らない。コボルト達はそれを知っているのか先ほどまでの慎重さとは打って変わりタイレル達に詰め寄っていく。


「くそっ! 俺は何をやってんだ……!」


 タイレルは水路の脇で倒れている中年の男を見る。今初めて顔も見たくらいの何でもない赤の他人。もしかしたら助けたのを後悔するくらいの悪党だったかもしれない。そんな奴のために黙って見過ごせば無事で済んだものが、台無しになってしまった。だが、タイレルはそれを言い訳にするつもりはなかった。それを選んだのは自分なのだから。だからこそ、まだその目は諦めておらず、闘志を持って目の前の敵に向いていた。


「……クーデリアよく聞くんだ」


 タイレルは自分に寄り添っているクーデリアの頬を撫でながら言う。


「いざという時のために妹に手紙を送るための仲介人を用意してある。その仲介人も妹がどこにいるかまではわからないが、この事態を手紙に書いて妹に届くようにすれば、君を助けるために動いてくれるはずだ……!」


「そんな……! おじさんはどうするの!?」


 心配するクーデリアにタイレルは不敵な――そして強がりの笑みを浮かべる。


「なぁに心配するな。こんな奴らくらい俺一人でなんとかなるさ……。ただクーデリアが近くにいると巻き込んじゃうかもしれないから少し離れて……」


 クーデリアは力が抜けてガクガクになっているタイレルの足を見る。どう見ても無理な強がり以外の何物でもなく――そしてクーデリアにはわかった。この人はこの状況で、“私”だけでなく、あのミレイヌという女性や――名も知らぬ不能者の男性をも救おうとしていると。


 クーデリアは少し目を瞑り、そして決意を決める。


「……おじさん。私を、“魔剣クーヒャドルファンの紋章”を、使って」


「え……?」


 クーデリアは魔力を集中し、その身体が強く光り始めた。突然光始めたクーデリアにコボルト達は怯え、何かとてつもないことが起きていることを察知し、それを食い止めようとタイレルに突撃していく。タイレルもその光を見て、驚愕ではなく、“恐怖”を感じていた。


「な……なんなんだこれは……!?」


 1匹のコボルトがタイレルにとどめを刺そうと爪を振り上げた瞬間、コボルトの身体に一閃の光が走った。そして動きが硬直し、そのまま雲散霧消していく。光の塵になって消えていくコボルトの陰から、禍々しいオーラを纏った剣を持ったタイレルが姿を現した。傍にいたはずのクーデリアの姿はなく、タイレルの右手には紋章が刻まれていた。


「これが……魔剣の紋章……!」


 タイレルは自分の右手に握られている剣を見て呟いた。異常事態を察したコボルト達は背を向けて逃走しようとする。だがタイレルはそれを逃す気はなかった。


「待て……今更逃げようってのはムシが良すぎんだろうが!」


 タイレルがその剣を逃げようとするコボルト達に振ると、剣に纏われていたオーラがコボルト達に向かって伸び、身体を構成する魔力を吸い尽くす。コボルト達は為すすべなく、あっという間に全滅した。


「すごい……! これが究極紋章の力……!」


 タイレルは自分が手にした、そのあまりに強大な力に感嘆――いや酔いしれてしまった。


 ――この力があれば何ができる?今なら何でもできる気がする。そう、俺とシェリルが、誰にも虐げられず、二人で生きていける世界だって手に――。


 そういった思いが、頭の中によぎり、思考を一時手放してしまった。もし、この時タイレルに落ち着いて考える冷静さがあれば、この1月後にタイレルは死ななくて済んだかもしれない。だが今のタイレルは手にした力の万能感に浸ってしまっていた。そして気づいた時にはもう、遅かった。


「……ん? あれ?」


 タイレルはまず気づいたのは傍にいたミレイヌの顔色の悪さだった。先ほどコボルトに攻撃を加えられ吐血していたとはいえ、それだけで収まらないほどにグッタリとしていた。


「ミレイヌさん?すみません気づくの遅れ……!?」


 そしてミレイヌの介抱をしようとしたとき、自身の異常にも気づき始める。急に足腰に力が入らなくなり、眩暈がして膝をついた。


「え……?何……何が起こって……!?」


 タイレルは自分の体調について改めて確認をする。そして気づく。――いつから足腰に力が入るようになった?さっきまでコボルトの攻撃をくらい、足にきていたじゃないか。


「まさかこれは……! 魔剣の紋章が……!? おい、クーデリア!?」


 タイレルは急いで魔剣の紋章を解除する。紋章の扱い方を習ったわけではないが、なぜかこうすればできるというのが頭の中に流れ込んできていた。解除すると剣はクーデリアの姿に戻り、右手の魔剣の紋章も消えるが、体調の悪さはそのままだった。


「しまった……! おじさん! しっかりしておじさん!」


 急速に体力が奪われていき、もはや身体を起こすことすら出来なくなったタイレルはその場に倒れこんだ。そして自分に必死に呼びかけるクーデリアの姿すら霞んでいき、意識を失った。



 結果的に鉄格子から外に出ることができたクーデリアは瀕死のタイレルを引っ張りながら下水道を進んでいた。あのミレイヌとかいう女性は放っておく形になってしまったが、あのままあそこにいれば逆に魔力を吸い尽くして殺してしまうかもしれない。不能者の男性からは魔力を吸収できなかったので、もしあの男性がまともな良識を持っているなら、目が覚めた後にあの女性を介抱してくれるだろう。それよりも今は身を隠す必要があった。


「どこか……! どこか安全な場所に……!」


 クーデリアは涙目になりながら、下水道をさ迷い歩く。どうしたらいいか全く見当がつかない。だけど、この人を死なせたくない。私に名前をくれたこの人を――。


「おい! 大丈夫か!?」


 自分たちを呼ぶ誰かの声が聞こえ、クーデリアは恐怖で身体を硬直させる。必死になりすぎて、クーデリアは全く周囲を見れていなかった。なのでその声をかけられた時、まず自分に触らないようにと言わなければならないことにすら頭が回っていなかった。そしてその傷だらけの手が自分に触れて、初めてそのことを思い出した。


「だめ! 私に触ら……!?」


 だが何も起こらなかった。――何も起きない? 魔力が吸われないということは魔力不能者? この人は一体――? 自身の身体をつかまれて、クーデリアは正気を取り戻した。そして初めて、自分を優しくつかむその男の人の顔見る。傷だらけではあるが、怖さを感じさせない、優しい顔つきだった。その男の人は横で倒れていたタイレルを指さした。


「その人……気を失っているのか? 体調は……とても悪いのか?」


 男からの質問を受け、クーデリアは頷いて答えた。そしてその男は何も言わずにタイレルを肩から体ごと担ぎ上げ、左手で支える。そして残った右手でクーデリアに手を伸ばした。


「どこからか逃げてきたのかい? 怖かったろう? この人はお兄さんかな? ……ひとまず安全な場所に案内するから、付いてこれるかい?」


 その男の人はクーデリアを怖がらせないよう、優しく、気遣うように言った。クーデリアは下水で汚れた腕で涙で滲んだ目を拭くと、頷いてその手を握った。


「俺はフリントって言うんだ。君の名前は?」


「私は…………私は……クー……クーデリア。それが、私の名前」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る