第11話 正義の剣を突き立てる 前編②

 タイレルはクーデリアを連れナタール家の屋敷から脱出し、内通者であるミレイヌとの合流地点へと向かっていた。二か月前にこのイシスニアに潜入し、妹であるシェリルは地下にあるとかいう魔動列車の点検にかかりきりにさせていた。


 その間タイレルはナタール家の内通者であり、ギミ家にメイドとして仕えているとかいうミレイヌと共に行動をしていた。ナタール家の当主が紋章を売り渡す意思があるとはいえ、厳重に保管された紋章を持ち出すのは容易ではない。そしてその意思は当主とそれに近い者たちだけの物であるため、実際には警備を搔い潜っての強奪という形を取らざるを得なかった。


 そのため、クーデリアを連れての脱出の際も決して警備の兵士に見つかってはならず、タイレルはクーデリアを連れながらも慎重に合流地点へと向かっていた。


「おじさんには妹さんがいるの?」


 クーデリアはタイレルと手を繋ぎながら歩いていた。タイレルの手には厚手の手袋がはめられており、クーデリアに触れていても魔力を吸い取られず済んでいた。これは故郷であるルイーニンの魔法研究施設が半年ほど前にこの作戦を立案してから作り上げた魔力遮断装置だった。魔剣の紋章は周りから無差別に魔力を吸い取ると聞かされており、特に直接触れた場合、場合によっては魔力を限界まで吸い尽くされるとのことであったため、このような対策は必至であった。


「ああ、シェリルって言うんだ。俺の5つ下でな。子供のころに父さんと母さんが亡くなってから、ずっと二人で過ごしてきたんだ」


「どんな人なの?」


「あ~……まぁなんていうかな。とにかく明るい子でね。クーデリアともすぐ打ち解けられると思う。……というかあいつ誰とでもすぐに仲良くなっちゃうからな……」


 タイレルはクーデリアの質問に答えながらも周囲の警戒は怠らなかった。月明りが紋章障壁で揺らめき、魔力街灯がいたるところで煌めくこの第1区画では、物陰に隠れながら進んでも目立つときは目立ちかねない。人混みの中に潜り込める昼よりもむしろ夜のが目につきやすい面があった。


「計画通りに魔剣の紋章の化身を連れていますか……」


 そしてその二人を月を背後にしながら建物の上からミレイヌは見ていた。本来はこの先でタイレルたちと合流する手はずであったが、ミレイヌはその作戦を無視していた。自分の作戦はここからが本番なのだから。


「そろそろ合流地点だ」


 タイレルはクーデリアの手を握りながら、その足は少し急ぎ目になっていた。そろそろナタール家での異常事態に警備の人間たちが気づいてもおかしくない頃である。充分に距離を稼いだといってもクーデリアを連れながらではその足はどうしても遅くなる。この2か月間タイレルは地形の把握と、イシスニアの状況の把握に努めていたが、建て増しだらけのこの世界は、2か月間を要しても地形の完全な把握は困難だった。


 だからこそ、最初タイレルは自分の間違いを疑った。合流地点のはずの路地に来ても、ミレイヌがいなかったのだから。


「あれ……?道を間違えた……?」


 タイレルは直ぐに道端の壁を確認する。こういう時のためにタイレルは潜伏している間に各所の壁に印を刻んでいた。――やはりこの路地は合流地点の路地だ。それにあのミレイヌとかいう女性はとんでもない美人だった。ここまで来る間に見過ごしてしまったということも考えづらい。となると理由は一つ。


「何か問題が起きたってことか……?」


 タイレルはクーデリアを庇う様に背後に移すと、辺りを確認する。周囲に敵がいる気配は無い。ということは待ち伏せを受けているというわけではなく、向こうに何かトラブルが起きた――?


「大丈夫?おじさん……」


 クーデリアが心配そうにタイレルの衣服を掴むが、タイレルは優しくクーデリアの頭を撫でる。


「ああ、問題ない。……本当はここで協力者と合流するつもりだったんだけど、しょうがない。俺たちだけで地下に行こう」


 タイレルは頭に叩き込んだ地下へのルートを再確認する。本来ここから先の案内はミレイヌに頼んでいたのだが、合流できないものはしょうがない。それに潜入工作員らしくタイレルは複数の予備プランを平行して動かしていた。――本当は妹であるシェリルもそのくらいやってくれと思ってはいたが、結局のところタイレルが脱出のための複数のプランを計画することになってしまっていた。とりあえずこれからすべきことを確認したタイレルはまずこの近くの不能者の集落を経由して、地下を目指すプランをとった。


 × × ×


 増援として来た数十人の兵士を相手にして、ミレイヌの全身には無数の傷が刻まれ、服も所々切り傷により破れていた。そして先ほどとは違い深く深呼吸をしても呼吸が整わない程に息が乱れていた。


「がぁーっ……がぁーっ……がぁーっ……!」


 もう腰から崩れ落ちたいほどだったが、ミレイヌにはそれはできなかった。何故ならあと“一人”、倒さなければならない敵が目の前にいるからだった。


「がぁーっ……がぁーっ……リ……リチャード……様……」


 ミレイヌは目の前の正装をした男を睨みつけた。ナタール家のティファニーの世話係であり、今回の紋章売却計画に殆ど関わらなかった男。――そしてミレイヌの篭絡を躱し続けた男。


「噂には聞いてはいたが……流石だな。そこまで加速の紋章を使いこなせるのはこのイシスニアでも10人もいないだろう」


 リチャードは右手に刻まれた紋章を展開する。展開されたのは戦槍の紋章――だがその大きさは他の兵士たちのものより少し小ぶりだった。


「私も軍にはいたことがある。とはいえお前とは会うことはなかったな。……ただその頃から噂は聞いていたよ。イシスニア史上初の加速の紋章を使う女兵士で――誰彼構わず身体を重ねると」


「がぁーっ……がぁーっ……ゲホッゲホッ……! …………はは、光栄ですね。……私も貴方の話は聞いたことがありますよ……! ナタール家第1師団最強の兵士……リチャード・グレイグ様……!」


 リチャードは唇をわずかに歪ませた。リチャードは数十年前からナタール家に仕えており、主に軍での活動を行っていたが、ティファニーに仕え始めたのは6年前。フリントがティファニーの信頼する部下を換算するときに候補にすら上がらなかったのは面識が殆どなかったからだった。そして数十年軍にいる中で、ナタール家お抱えの兵力の中で最も最強の兵士としてリチャードの名は関係者の中で伝わっていた。


「ですが……今回の計画にあたって何故私を抱かないのか不思議で仕方ありませんでしたけどね……! 妻子がいるのは聞いておりましたが、男色家という話は聞いておりませんでしたので……!」


 ミレイヌはナタール家のベイシスに取り入っていた時から、計画のスムーズな進行のためにナタール家の主要な男たちに対し“接待”を行っていた。紋章売却の計画の真相を知らずとも、後ろめたい理由を持たせることでいざ計画実行の時に動きを遅らせることを期待してのことだった。だがその中でリチャードは異質だった。ティファニーの世話係であり、ベイシスの側近ということもあり計画を知る立場にはあったが積極的に関わることをせず、ミレイヌの誘惑にも乗らなかったからだ。


「……私はこの家が嫌いだ。誰も彼もが己が欲望に従い、自分勝手な理屈で策謀を練る。先代当主やワイス様もそのような男だった。……だがティファニー様は違う」


 リチャードは戦槍の紋章の切っ先をミレイヌに向ける。リチャード用に改良を加え、狭いところでも融通が利くように小さく細く改良された戦槍(元々紋章による物なので重さは関係ない)は、まるで剣のようだった。


「あの方はこの家の……いやこの世界の狂ってしまった歯車を再び嚙合わせることができる方だ。……そのためには魔剣の紋章を外に渡すわけにはいかない。必ず取り戻す!」


「それが……あなたたちが必死に紋章を取り戻す理由ですか……!」


 ミレイヌはようやく合点がいった。あの兵の数をどうやって用意できたか。それはティファニーを崇拝しているリチャードが自らのツテを使いかき集めたのだ。ゴーダンからの話ではギミ家当主ブリッジが死んだこともあり、ギミ家の命令系統は崩壊している。行き場を失った兵が、あの伝説のリチャードから声をかけられればついていくだろう。それが弱小とはいえ6賢人に仕えるということであればもはや疑う余地はない。


 それに銃を持っていた不能者たちが何故私たちに味方しないのか?という疑問にも答えはつく。不能者たちからの立場で言えば外に出ようとする私たちに相乗りを考える者がいてもおかしくないのだ。それがフリントから教育を受けた者であるなら尚更。だがそうしなかったのは彼らは勉強を教えたフリントより“施しを与えたティファニー”を信頼し、この世界を正そうとするティファニーについていくことを選んだ。――なぁんだ。


「くくく……」


 ミレイヌが急に笑い出し、リチャードは訝しみながらも声をかける。


「なんだ? さっきから一人で笑い出すことが多いが……それがお前が隙を作るための常套手段か?」


「くくく……いえ……すみません。どうやら一人で考えて。一人で納得してしまう私の悪い癖みたいで……間違いなくフリントの影響ですね。……まぁそれはそれとして答えがわかっておかしくなってしまいまして」


「答え……?」


「ええ、フリントは、私たちが正しいか正しくないか悩んでいるようでした。でも、ようやくわかったんです。あとでフリントに教えてあげなくちゃって」


「……何が言いたい?」


 ミレイヌは改めて深く深呼吸をした。ようやく肺の奥まで酸素が届くようになったが、心臓の鼓動はいまだ五月蠅いくらいに鳴り響いている。全力を出せるのは一瞬で、あとはやれるだけやるしかない。


「…………私たちは極悪人だとようやく自覚できました。……貴方は知ってるかわかりませんが、外からの工作員であるシェリル様の兄……“タイレル様の死因”を作った私は、もはや許されざる人間でしょう。でもだからこそ、私は止まれない。何をしてでも! 責務は果たす!」

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