第11話 正義の剣を突き立てる 前編①

 ミレイヌ・ディローチは代々ギミ家に仕える使用人の家系の人間として、28年前にこの世に生を受けた。生まれたときから彼女は母であるセーラと同じくギミ家に仕えることが決まっていた。だが、母セーラは次期当主であるブリッジと仲が良く、ブリッジはミレイヌに子供の頃から仕えることを強制せず、敷地の中で遊ばせることも許可していた。父はミレイヌが3歳のころに病で亡くなってしまった事もあり、ギミ家の人間たちがミレイヌのことを大変に世話してくれていた。その中で殊更世話をしてくれていたのが、フリントの母であるアレクシスだった。


 ブリッジとアレクシスは中々子供ができなかったこともあり、ミレイヌを実の娘のように可愛がった。アレクシスは非常に快活な性格をしており、ミレイヌに対し”アレクシス様”や”おば様”といった呼び方を禁じ、アレクお姉ちゃんと呼ぶようにさせていた。ミレイヌもまだ子供であったとはいえ、未来の仕える主人に対し屈託なくなつく様子を見せてセーラはハラハラしながらその様子を見ていた。


 そしてミレイヌが12歳の時、フリントとロードが産まれた。このころにはミレイヌも使用人見習いとしてギミ家の仕事を行うようになり、早速任された仕事がアレクシスと共にフリントたちの世話をすることだった。最初は慣れない育児に戸惑うミレイヌだったが、アレクシスの面影を残したこの双子を面倒を見ることは、何よりも幸せを感じることだった。そしていずれギミ家を継ぐであろうこの二人を守っていくことこそが、自分の運命だと強く思った。――6年後にフリントが不能者として廃嫡されるまでは。


 × × ×


 10人の紋章を展開した兵士に囲まれ、ミレイヌは軍にいた頃に“個人的”に特別訓練をさせてもらっていた教官の教えを思い出していた。基本的に多対1は絶対に避けるべきであり、女の身でもしそれを行うなら“圧倒的な実力差”を持たなければならないと。


 ミレイヌは周囲の人間の顔を確認し、ある一人に目をつける。気弱そうな顔をしており――そして自分に対して好色の気があることを隠せていない目を。


 自分のしようとしていることが無謀すぎる話であることなんてミレイヌ自身よくわかっている。だが、ミレイヌはそれを成し遂げなければならなかった。だから20手前で軍人を目指すには遅い年齢で軍隊に入り、差し出せるものは全て差し出して、這いつくばってでも力を得てきた。全てはあの日誓った約束を守るために。


 ミレイヌは目を付けた男に対し表情を変えた目で見た。目を潤ませ、紅潮した表情を見せる。そんなもので敵を篭絡できるとはミレイヌ自身思ってはいない。だが、ほんの少し、その男の戦槍を持つ手が緩んだのを見逃さなかった。


 ――女が男に対し圧倒的な実力差をつける方法その1。女の武器を最大限使うこと。


「油断しましたね」


 ミレイヌは惚けた男に向かい加速の紋章を起動し高速移動を行う。反応が一瞬遅れた男はすぐに戦闘態勢を整えようとするが、加速の紋章相手にその“一瞬”はもはや一瞬ではなかった。


「うおおおおお!!!」


 ミレイヌは敵の喉に思いっきり前蹴りを入れる。


「ぐぼっっっ!!!???」


 喉に前蹴りを入れられた兵士はもはやダメージを受けた個所を庇うという行為すらとれず、全身の関節を硬直させ受け身なく背中から崩れ落ちる。その様子を見た兵士たちの間に今度は恐怖が伝染する。


 ――圧倒的実力差その2。急所を躊躇なく攻撃し“ぶっ殺す”事。


 そして一瞬全ての兵士たちの動きが止まった。そして“加速の紋章相手に一瞬の隙はすでに一瞬で無くなってしまう”ということをミレイヌは次の兵士のこめかみに膝を入れ、昏倒させることで思い知らせた。


 ――圧倒的実力差その3。加速の紋章による人の反応速度を超えたスピード。


 それらの実力差を駆使し、ミレイヌは自身を囲む兵士たちに単身で攻撃を加えていく。その様子を上階から見ていたティファニーはその鬼気迫る戦いぶりを見て戦慄していた。


「あの女……! あそこまで強いなんて……!」


 ティファニーはミレイヌに対し非常に強い嫌悪感を持っていた。フリントに対しあからさまな好意を持っているという同じ男を好きな立場としての私情が無いといえば嘘になるが、それ以上にミレイヌの風評に対し同じ女性として唾棄すべき感情があった。ティファニーの傍に仕えていたリチャードは自分の主人の胸中に渦巻くものを察し、一礼して声をかける。


「……お嬢様。どうやら彼奴は加速の紋章を所持しているとはいえ、それに甘んずることのない力を持っているようです。……まだ増援はおりますが兵たちには荷が重すぎます。私が彼奴と対峙いたしますので、お嬢様は魔剣の紋章を追いかけてください」


 リチャードの提案にティファニーは素直にうなずくことはできなかった。それは互いに単独行動を取るということであり、それこそあの女の思う壺であるということも。そしてその狙いもティファニーにはわかっていた。――しかし。


「……わかった。リチャード……お願い。“あれ”は貴方に渡しておく。私は……私のすべきことをする」


「ありがとうございます……お嬢様」


 リチャードもティファニーを単独行動させることの意味は承知していた。だがそれ以上にあの加速の紋章の使い手は自分が抑えなければならないと強く思っていた。それにリチャードはこうも思っていた。お嬢様は自身が、そして他人が思う以上に鉄火場への対応力が高い。ここまででミスらしいミスを犯していない、特異な才能があるということを。――それは同じく不気味な才覚を持つあの不能者の少年にも届きうるものだと。


 ミレイヌは自身囲んでいた兵士10人を倒しきり、全身から汗を流し、腕で目に入った汗をぬぐった。だが遠くからの地鳴りを耳が捕え、顔を上げると更なる増援がこちらに向かっていた。見えるだけで10人。今地面に転がっている兵士とほぼ同じ数。だがミレイヌは不敵に笑った。


「はははっ……! そうですかそうきますか。どっからその数の兵士を見繕ったのか素直に気になりますが、とことんやってやりますよ……!」


 ミレイヌの18歳からのこの10年間は、すべてこの時の為にあった。父親同然だと思っていた男に身体を差し出し、軍に入ってからも優先的なカリキュラムを受けるためにあらゆるものを差し出し、言葉にするのも憚れるほどの酷い目にもあってきた。だが対人能力で最強と言われる加速の紋章を得るためならミレイヌはどんなことでも耐えていくことができた。フリントを――そしてアレクお姉ちゃんとの約束を守るため。必ず、フリントを守り抜くと。


 だがミレイヌは同時に思うことがあった。もう今自分が戦っているのはその約束を守るためじゃなくなっていると。あの青年が、私の10年を全て狂わせてしまった。1月前のあの夜の日のことを――。

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