第10話 勝利の為に 後編②
フリントはまどろみの中、ゆっくりと目を覚ます。頭の中は冴えているのだが、身体が重く頭の中に鐘が鳴り響いていた。記憶が飛んでいて認識が曖昧で何がどうなっているのかわからない。歪む視界で目を凝らして周りを見ると、周りは誰も住んでいなさそうな廃墟が並んでいた。ということはどこかの街並みにいる。どこだ――そうだここは第3区画。誰もいないということは廃棄された街で――待て、たしかさっきまで俺は空を――。
フリントはようやく意識がはっきりし、慌てて身体を起こす。周囲を見回して改めて状況を確認する。先ほどまで空を飛んでいた気球の残骸が道端に転がっており、自分たちが空から墜落したということを示していた。――そして大事なことを思い出す。
「クーデリア!? シェリル!? ミレイヌ!?」
一緒にいた仲間たちの名前を呼び、辺りを探す。全員空から落ちないように固定具を付けていたため、途中で固定が解けたとしてもそう離れているわけではないはず。一体どこに――? そう思いながら探していると、空気が抜けて潰れている気球の残骸でモゾモゾと動くものが目についた。フリントは急いでその蠢いているものを助け出すために気球の残骸をかき分ける。そして出てきたものを見てフリントは安堵の表情を浮かべる。
「よかった……クーデリアが無事で……!」
フリントは出てきたクーデリアを見て安心したように抱きしめる。クーデリアも最初はフリントの顔を見て安堵の表情を浮かべるが、すぐに顔を強張らせた。
「あれ…………!」
クーデリアはフリントに抱きしめられながら恐る恐る目線の方向に指を向ける。クーデリアの尋常ではない表情を見て、フリントにも緊張が伝わりゆっくりとその方向を――上に向けられた指先の方を見た。そしてフリントが最初はそれに気づかなかった理由――それが目線の問題だということに気づかされることになった。
「シェリル!」
フリントは急いでシェリルの下へ――廃墟の壁から飛び出た鉄筋に腹を貫かれ、壁に磔になっているシェリルを降ろすために向かった。シェリルはフリントがようやく自分に気づいたことを知ると、皮肉めいた口調で言う。
「毎度毎度寝坊すけなんだから……ゴホッ…………もうちょい早く……気づいてよね……」
フリントは降ろすためにシェリルの真下に行くと、シェリルは口から血を吐きながら言う。
「今から降りるから……受け止めて……!」
シェリルは自分の背後に手をまわし、鉄筋の付け根を魔法で切断する。そして力尽きで落ちていくシェリルをフリントは何とか受け止め、傷口を刺激しないように横向きに寝かした。
「大丈夫か!? シェリル! しっかりしろ!」
フリントはシェリルの腹部を貫通している鉄骨を抜きたかったがそれをすることはできなかった。抜けば血が噴き出してしまうが、自分ではその応急処置をすることすらできない。むしろその治療をできるのはシェリルだけなのだ。
「私は大丈夫……! それより早くここから逃げて……! 追手が来る……!」
「何言ってんだ! 今のお前を動かせるわけないだろ! だいたい追手って……!」
フリントはそこまで言ってようやく気付く。何故気球は墜落した? 意識を失う前に聞こえたあの破裂音は? ――そしてそもそも俺は何の違和感を最初に持っていた?
「しまった……!」
フリントは背後を振り向くと、フリントの悪い予感は的中した。道の先から5人ほどの戦槍の紋章を手にした兵士が来て――だけではない。周囲の建物の屋上や、別の道からも追手が集まってきていた。
「誘いこまれていた……! おかしかったんだ……! 何故ティファニーは列車が動き始めてから駅の周りに来た? 本当に迅速に動くならもっと早く、上り列車の始発の出発時刻に合わせて来るはずだったんだ……!」
フリントは先ほどの駅前での違和感の出どころをようやく認識した。それはホテルでゴーダンと周囲の見張りをしているときにも感じていた違和感だった。“来るのが遅い”。確かにフリントは自分でも言っていた。その時はただ到着が遅れただけだと思っていた。だが、その遅さにはもう一つ、別の理由があったことをフリントは今更理解した。
「そう、上りの列車の出発時刻に合わせたんじゃなく、下りの出発時間に合わせて私たちは駅前に来た。……この時を待つためにね」
突如聞こえた凛とした女性の声に、フリントはその方向を振り向く。道端の建物の屋上に、ティファニーとリチャードがフリントたちを見下ろすように立っていた。
「列車の出発時刻は6賢人の私でも割り込ませることはできない。……なぜなら列車の管轄は6賢人のものではなく、王家の物だから。だから本当はあなたたちが屋敷を逃げた深夜のうちに第1区画まで戻りたかったけど、その考えは破綻した。……そしてもう一つの案を思いついた」
ティファニーはフリントの横にいるクーデリアを見た。
「あなたたちがどうするつもりか知らないけど、あなたが諦めるような人間でないことはよく知っているし、脱出方法が地下鉄1つだけではないことも予想はついていた。……なら奪わせてあげればいい、そして……!」
フリントは自分たちを囲んでいる追手をよく見ると、紋章を展開していない者が半数以上いることに気づく。そしてその彼らの手には見慣れない背の丈ほどの筒状の何かが握られていた。
「あなた達が勝手に誤解してくれるように動くだけ。“私は6賢人最弱のナタール家を継いだばっかの未熟者”だと。動かせる兵も少なく、張れる網も無い、ね」
「銃……!?」
シェリルは紋章を展開していない者たちが持っている物を見て、傷の痛みの為に息を荒げながら、驚きの声を上げた。
「まさか……そんな……! “銃”はイシスニアの中では既に廃れていたはず……! よしんば作れたとして、撃針の機構や雷管の生成技術だって……!」
「そう、確かに今兵たちが持っている“銃”はこのイシスニアではオーパーツ……再現不可能の武器。外のあなた達が使っている物に比べたら著しく劣るものには違いない。……でもこの中で使うなら何よりの脅威なのも間違いない」
ティファニーは片手を上げて合図をすると、銃を持つ者たちが一斉に銃を構える。
「これもおじい様の……いえ、放蕩者で有名だったご先祖様の功績ってやつね。……まぁご先祖様はそれを何も利用しようとせず、おじい様の代でやっと軍事利用しようと目論んだみたいだけど。……どうやら痴態を好む我が家系ってやつは先祖代々繋がってるみたいでね」
フリントたちを見下ろすティファニーの目は据わっていた。目の下には隈が目立っており、充血した目はどのような感情を表現しているか、フリントですら判断が困難だった。
「……で、いかなる命乞いをすればこの状況から助けてくれるかね? 俺がお前と褥を共にするとでも言えば、その手を下げてくれるのか?」
フリントはあえて皮肉を言って自分の平静を保とうとするが、打開策が思いつかない。そしてティファニーのその後の答えもだいたい想像できていた。
「この手を下げるのが“撃て”の合図だけどそれでいいならね。……そしてあなたっていう人間を知っているのに、わざわざ駆け引きなんかしてやると思ってる?」
「すると思ってないから命乞いくらいさせてくれって言ってんだよ……!」
フリントは歯の根をかみ合わせるが、時間をかけても状況が好転する兆しは見えない。まだ交渉の余地は残っているとはわかっているが、ここに至るまでに自分がやってしまった事が今になって尾を引いていた。交渉を仕掛けるには自分がキレ者であるとティファニーに強く認識させすぎていた。ティファニーの目的が何であれ、自分から交渉のためのテーブルを蹴っ飛ばしたようなものだった。
「ちくしょうこんなんなら一発ヤることヤッておけばよかった……!」
そうすればその辺の情を利用するだけできたかもしれないという最低の発想を頭に浮かべながら、フリントは尚も頭を回転させ続けていた。いつ振り下ろされてもおかしくない合図を目の前に、フリントの頭の中には“諦める”という発想だけは全く存在しなかった。その様子を見たシェリルはか細い息をしながらある決意を固めた。
「……これから大事な話をするから聞いて」
シェリルは服の内ポケットから何かを取り出し、震える手でフリントに手を伸ばす。
「これを……」
シェリルが手にしていたものは、熊のキーホルダーがついた何かの“鍵”だった。
「……シェリル。今はそんなのはいいからこの場を切り抜ける方法を考えてくれ」
「考えてる……! ゴホッゴホッ! ……つまり私が足止めをするから、君たちはこの場から逃げてって言ってるのよ……!」
フリントはあえてシェリルの顔を見なかった。――その会話には覚えがあったから。
「これは“自動車”の鍵……。第3区画と第4区画の間にガソリン満タンで止めてある。これを使えば第4区画の荒野を追手を振り切って逃げることができる……! 早く……!」
だがフリントはシェリルを一切見ようとしない。
「私の目的は“魔剣の紋章”を外に出すこと! こうなることだって覚悟はしてたし、私の身よりも君たちの方が重要なの! だから……!」
「少し黙ってろ!」
フリントは苛立ちながらシェリルに怒鳴るように言う。その鬼気迫る態度にシェリル、そして近くにいたクーデリアも只ならぬ様子を感じ取った。
「誰も彼も俺を先に行かせるために何もかも託そうとするんじゃねえよ! 俺だってなぁ! 何をしたらいいかわからねえんだよ! 自分がやってることが正しいとか、善い事だとか何て全く思っちゃいねえ! むしろ魔剣の紋章なんてこの石の密林の中に閉じ込めておくべきだと今でも確信してる! ティファニーの目的も恐らくそれだろう!? 先が見えようが見えまいが、常識で考えたうえで最善のことをするならそうとしか言えねえんだよ!」
フリントは自分の傍らにいるクーデリアを見る。
「……だけど、もう俺は決めたんだ前に進むって! だったら行くとこまで行ってやるって! シェリル! お前をタイレルさんと同じようにしてやるもんかよ! 必ず皆で外に行くんだ!」
「……ええ、そうです。もう引き返さない!」
建物の上階から銃を構えていた兵士の一人が、突然縁から押し出され、地面に叩きつけられる。その異常が発生した音に兵士たちは目を――そして銃を向ける。そしてそれは銃口がフリントたちから離れたことを意味する。フリントも何が起こっているかは理解できな――いや一瞬で理解ができた。そしてシェリルの身体を持ち上げ、肩に乗せる――シェリルがその背負い方をされるのはここに来て2度目だった。
「傷が痛むだろうが我慢しろよ! まずは距離を取……」
逃げようとするフリントをティファニーは混乱の最中でも見逃すことはなかった。
「逃がすと思う!? 射撃部隊! 狙いをつけなくて構わない! この距離なら頭を打ちぬいても即死はしない! 撃て!」
「怖いこと言うんじゃねえよ!」
ティファニーの射撃命令にフリントは皮肉を言いながら全速力で逃走しようとする。銃を持っている兵士たちはティファニーの命令を優先するために再度銃口をフリントに向ける。敵が例え射撃の陣形を崩そうとしても、敵が一人ならばいかに妨害行為を取ったところで先にフリントたちに銃弾が届くのが先だから――。ティファニーはそう判断したし、それはけして間違っていない。そして兵士はそこに考えは至らずとも上官の命令には無条件で従うようになっている。――だが“この敵”は普通ではなかった。
「加速(ハイドライブ)の紋章……! 全!! 開!!!」
今の一連の銃を向けなおす動きで、敵の位置はすべて把握した。あの“銃”と呼んでいた古代の遺物は動かすときに金属音が鳴る。今フリントたちに銃を向けているのは――7人。
フリントの真正面の通路で銃を構えていた兵士はふと風を感じた。先ほど落とされた味方がいるのはわかっていたが、自分のところには来ないと判断し、前面の目標に集中していた。なぜなら自分の周りには戦槍の紋章を展開した味方が3人もいる。敵の標的になるのは護衛がいない上階の哀れな誰かだと思っていた。だからその風にもあまり注意を割かなかった。そしてそれを後悔する暇もなく、その兵士の意識は突然の後頭部の衝撃により、闇に吸い込まれていった。
「噓……!?」
ティファニーはけして目を離さなかった。銃を持っている部隊は全て“不能者”で纏められている。それは戦力の均衡化もあるが、魔力正常者は銃などの武器に対し忌避感を持つ傾向があったからだ。自分の魔力が信用されていないという反発心もあったのかもしれない。つまり銃を持った人間は狙われると弱いということは理解していたし、それを前提とした編成を行った(とはいえその辺りの運用指針はベイシスが纏めていたが)。
だがその前提をもってしても今目の前で起こったことは異常としか言えなかった。フリントに銃口を向けなおし、狙いなおすまでにおおよそ5秒。その間に“配置した射撃部隊がたった一人の女に全滅させられる”なんて。
その異常事態を引き起こした女はフリントたちが逃げていった通路を陣取るように立っていた。息を切らし、肩を上下に動かしうなだれていた。戦槍の紋章を持った兵士たち10人ほどがその女を取り囲むように戦槍を構える。
「貴様! 一体何をした!」
兵士の一人がその女に向かって叫ぶように言う。だがその女は何も言わずに顔を勢いよく上げ、長い黒髪が艶めかしく靡いた。そしてフリントたちが通路の先で消えたのを脇目で見ると、唇を微かにゆがめながら言う。
「くくく……。何をした?そんなの決まっているじゃないですか。あの子たちが逃げるために、障害を排除させていただいただけです。空を飛んでいるとき、私だけが奇襲に……その“銃”の存在を“知っていた”私だけが無傷で事前に着地できたんですから」
その女は上階にいるティファニーとリチャードを見上げた。
「私は確かにナタール家と取引をし、ベイシス様とも関係を結んでいました。……ですが、私の目的はただ一つ……もうその目的すらも怪しいですけどね」
「……何を言っている!」
周りの兵士を気にしないかのように一人で呟きつづける女に、兵士たちは恐怖を覚え始めていた。仕掛けるならいつでもできるはず。なのに槍を向けている自分たちの方がそのたった一人の女に気圧されていた。
「何を言っている…? そんなわかりきったことを説明しなければなりませんか……」
ミレイヌは深く深呼吸をすると、肩の上下の動きが止まり、殺意を込めた目で周囲の男たちを見る。そして普段の彼女からは考えられない語気で、殺意を込めた言葉を口にする。
「…………お前ら全員ぶっ殺してやるから、遺言でも考えてろって言ってんだよ」
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