第10話 勝利の為に 中編

 フリントが足を止めたのはその一瞬だった。しかしその一瞬はこの戦場では命取りであった。


「やばっ……!?」


 状況を察知した兵士たちが屋根に上り始め、フリントたちの進行方向を塞いでいく。全く足を止めなければ間に合ったのかもしれないが、今はその”たられば”を考えている場合ではなかった。


「ゴーダン! 頼んだぞ!」


 フリントはゴーダンに声をかけ、ミレイヌと共に屋根を走って進んでいく。クーデリアは未だに何が起こっているかわからなかったが、目の前の傷だらけの顔をした少年を見ると、なぜか心が安心するような気がした。自分を抱えてくれているその少年の肩を掴み、クーデリアは少年に身を預けた。


 屋根に上った兵士たちは5人。その内3人がフリントたちの進行方向に立ちふさがり、残り二人は道を挟んでいたために駆け付けることはできなかったが、その手には弓が握られていた。弓を構えている兵士を見て、フリントは舌打ちをする。


「そりゃそうだよなー! この状況なら飛び道具用意するよなー!」


 イシスニアでは飛び道具の使用は一般的ではない。紋章で同様の攻撃手段はいくらでも用意できるのもあるが、それ以上に地形が射撃戦をするのに向いていないからだ。建物が常に密集しているこの石の密林では、有効射程が極端に限られるうえ、防ぐことも容易であること。そして紋章による防御手段に非常に弱く、そして何より矢が非常に高価であるというイシスニアの特殊な事情も存在する。総じてメリットに対しデメリットが大きいものではあったが、この状況下では有効な攻撃手段であった。


 ゴーダンの目の前では兵士が紋章を起動させる。戦槍の紋章を想定し身構えるゴーダンだが、彼らが起動した紋章は全く違うものだった。敵の一人の背後から氷が出現し、ゴーダンに向かって飛んでいく。


「うおっと!」


 ゴーダンは難なくそれを避けるが、続いてほかの二人が鞭を出現させ、それをゴーダンに向かって振りかざす。


「だあっ! くそっ、そういうことか!」


 ゴーダンは慌てて足を止め、敵の射程外から離れることで攻撃を避ける。兵士たち3人は陣形を守るためにその場から動かず、氷の魔法を使う兵士が次の攻撃を仕掛ける準備を行っていた。ゴーダンは身構えて改めて敵3人へと向かい合う。


「なるほど……。ちゃんと状況に応じた紋章を用意してきたわけだあのお嬢様は。中々どうして考えるじゃないか」


 しかしゴーダンは余裕の表情を浮かべていた。そしていつの間にか握られていた氷を頬張り、ボリボリと音を立てながら嚙み砕くとそれを飲み込んだ。


「だが、俺を止めるにはあと10倍の人数は必要だったな。……氷、ありがとうよ」



 フリントに向かって弓が引き絞られ、矢が飛んでくる。フリントにゴーダンのような超人的な身体能力はない、紋章が無い今はただの不能者となんら変わりのない存在であり、飛んできた矢など避けようはずがない――フリントは。


 フリントは弓がこちらに向けられていることを確認はするものの、一切止まる事なく前に突き進んだ。なぜなら信頼できる仲間が横にいることが分かっているから。


「危ない!」


 ミレイヌは加速の紋章のスピードで矢を弾いて防いだ。矢を射った兵士二人は生身の人間が矢を弾くという異常な光景に驚いて次の行動が止まってしまう。そしてその隙をミレイヌは見逃さなかった。道を挟んだ屋根同士で間は10m以上離れていた。そして間の道には人がごった返しており、対面の方に行くのは困難であった。


 しかしミレイヌの加速の紋章は身体能力の強化はしないが、魔力を使用した反作用での加速をかける能力である。先の地下での戦いでフォルリザードの身体を飛び回るような動きをしたときと同じように、跳躍力において、容易に人間の限界を超えた動きをミレイヌにもたらした。


「あえて軍の先輩として忠告するなら、紋章は先に起動しておきましょうか」


 ミレイヌは対面の屋根に目に見えぬスピードで飛び移ると、二の矢を構えさせる間もなく、弓兵二名を無力化した。



 ゴーダンの正面にいた兵士は氷塊の紋章持ちが一人、硬鞭の紋章持ちが二人であり、それぞれが開けた市街地戦を想定していた。――とはいえ戦槍の紋章に比べ汎用性は大きく劣る。彼らは3人でチームを組むことで、戦槍の紋章には持ちえない相乗効果を狙っていた。氷塊の紋章持ちが氷を飛ばし敵をけん制し、硬鞭の紋章がその敵の動きを狩る。本当ならもっと無差別に攻撃できる紋章がベストではあったが、それは一般人を巻き込む危険性が高い――なにより魔剣の紋章の化身を巻き込んでしまうと魔力を吸収されてしまう、という点がネックとなり範囲が絞られる氷塊の紋章を選ばざるを得なかった。


 ゴーダンは無数の戦闘経験からそうした敵の事情まで察知する。そしてイシスニアの兵士が共通して抱える弱点も知っていた。


「まず……飛び道具からだ!」


 ゴーダンは足元を思いっきり踏みつけ、屋根に使われている瓦を粉々に砕く。ゴーダンの行動に反応し、氷塊の紋章持ちの兵士が紋章を起動し、氷塊を複数出現させゴーダンに飛ばそうとする。だがゴーダンは敵の弱点に気づいていた。“紋章の練度”が低いという弱点に。


 敵が氷塊を飛ばすよりも早く、ゴーダンは足元で作ったつぶてを蹴り飛ばす。予想外の射程からの攻撃に氷塊の紋章持ちは反応が遅れ、氷による壁のガードを作りだすことができなかった。仲間の反応が明らかに遅れていることを察知した硬鞭の紋章持ちの二人は鞭を使いつぶてを弾き返す。――だがそれは最悪の一手だった。


「そら、終わりだ」


 ゴーダンはその瞬間、一気に踏み込み3人の懐にもぐりこんだ。そして全員が対応しようとし――自分たちが詰んだことに気が付いた。


 氷塊はすでに飛ばす準備をしており近距離戦に対応できず、鞭はつぶてを弾くためにすでに振り回してしまっていた。そして後悔する間もなく、3人の意識は闇へと吸い込まれていった。


 ゴーダンは余裕綽々と言わんばかりに手をはたいた。イシスニアの兵士が共通して抱える弱点。それは戦槍の紋章があまりに便利すぎ、それ以外の紋章が下手であること。これは数百年以上の間、イシスニア内で戦争が無かったことによる弊害とも言っていい。市内で暴徒を鎮圧したり、闇紋章を使用するような輩と戦う際でも、戦槍の紋章が単純に強すぎてこれ以外つける必要がないことであった。


 目の前の塞ぐ敵を全て倒したフリントたちはこの混乱に乗じて、シェリルとの合流地点にまで急いで走る。確かに先ほどの5人は何とか相手にできたが、これ以上増えてくるとさすがに話が変わってくる。対多人数において最も効果的なシェリルがいない現状、先ほどのゴーダンの索敵で17人の敵――残り12人を相手にするのはさすがにキツイものがあった。


 ティファニーも追いかけようとするが、眩暈を感じ車の中で腰を落としてしまう。リチャードはティファニーを介抱するために席に座らせ、安心させるためにティファニーに報告をする。


「お嬢様……大丈夫です。確かにこちらは奇襲を受けましたが、お嬢様の策は順調に進んでおります。……次に奴らが取りうる行動は既にわかっているのですから……」



「シェリル!」


 混乱する市街地を走り抜け、フリントたちは待機していたシェリルと合流した。


「みんな! よかった無事で……!」


 シェリルはフリントたちを見渡すと、その中に一人見慣れない顔がいることに気づく。そして“触れないように”しながら、シェリルはその少女に声をかけた。


「君が……クーデリアちゃんね。……タイレルから話は聞いてるよ」


「タイレル……?」


 クーデリアは記憶にないのに何故か聞きおぼえのある名前を聞いて、胸がざわついていた。シェリルはそんな様子のクーデリアを見て、フリントに目配せをするがフリントは首を横に振る。


「どうやら記憶が無くなっているらしい。まぁそういう操作ができるなら、そうするよな」


「そう……でも計画には何ら変わりはないわね。みんな! こっちついてきて!」


 シェリルはフリントたちを先導するように前に進んでいく。フリントはシェリルについていきながら、辺りがやけに静かなことが気になっていた。確かにそうするようにこちらが策を練ってはいたが、それにしても索敵する兵士の足音も聞こえないのか?ゴーダンが17人の兵士を見つけてはいたが、見つけきれていない兵士はもっといるとフリントは考えていた。


「不気味だ……」


 フリントはシェリルについていきながら呟いた。


「……ナタール家は動かせる兵隊の数が6賢人で一番少ない。そんでもって現当主のティファニーはまだその立場を引き継いでから1週間経ってない。動かせる兵士の数も練度もそんなに用意できないはずだ……そんなに気になるか?」


 フリントの呟きを聞いたゴーダンはフリントに聞き返した。フリントは2日前の地下鉄のことを思い出していた。あの時も情報不足による嫌な予感は的中した。


「……ああ。気になる」


「そうか……」


 ゴーダンは足を止めた。それ気づいたフリントたちも足を止める。


「どうしたの?」


 シェリルがゴーダンに尋ねるが、ゴーダンは意を決して言った。


「俺はここに残る」


「は!? 何言って……!」


 フリントはゴーダンの提案に驚くが、ゴーダンは喧噪が響く後ろを振り向いた。


「こいつがそう言うなら、奴らは何か企んでいる可能性は高い。それに俺もこいつと同じく、この状況は何か変だと思う。俺の場合は勘でしかないがな」


「でもお前は……」


 フリントは心配するように言うが、ゴーダンは笑顔で返した。


「なぁに。俺は元々外に出る気はねえ。あのクソガキに一発入れることしか考えてねえからな。……それにお前ら俺がこんなところでヘマ踏むとでも思ってるのか?」


 そう言われフリントは押し黙った。単純な戦力で言えば、この中で一番強いのはゴーダンなのだから。フリントが渋々納得したことを見て、ゴーダンはミレイヌの耳元に口を近づける。そして周囲に聞こえないように小声でささやいた。


「俺はお前の素性を知っている。……それなりに同情する立場であることもな。だからこそ言っといてやる。……いい加減覚悟を決めろ」


 ゴーダンの言葉にミレイヌは目を見開いてゴーダンを追った。ゴーダンは微笑みを浮かべると手を振って合図をする。その様子をシェリルは訳も分からずに見ていた。


「な……何なに? 何があったの?」


 困惑するシェリルにゴーダンは声をかける。


「シェリル、なんというかお前はマヌケすぎてこっちが拍子抜けするくらいだったな。まさか俺の傷を治すために言う事聞いてくれって言うのが、こいつを助けてほしいとか言い出すもんだから気が抜けちまったよ。こっちの話聞けば俺がこいつを無条件で助けることくらいわかるもんだろ」


 シェリルは顔を真っ赤にして手を振った。


「ちょ……ちょっと今それ言わないでよ! というか余計なお世話でしょそんなの!」


「まぁ……今その条件を聞いてやろうとしてるんだ。ったく厄介な話を受けちまったもんだ」


 シェリルはゴーダンの回答に呆気に取られて言葉を失った。ゴーダンはフリントの前に立ち、フリントの顔を見た。元6賢人の嫡男で、16歳で顔面のみならず体中に傷を負ったその少年を。


「……あとは任せた」


 ゴーダンがフリントにかけた言葉はそれだけだった。フリントはその言葉にどれだけの意味が込められているか、なぜそれだけの言葉しかかけなかったか、理解した上で飲み込んだ。そしてそれに応えるように言葉を絞り出す。


「ああ、任せろ」


 ゴーダンはその言葉を受けて、目をつぶって微笑んだ。そして駆け出そうとしたその時、その意気を折る呑気な声がゴーダンを止めた。


「あ、待った」


 ゴーダンは腰が折れて、目を細めながら振り向く。するとシェリルがにんまりと笑ってゴーダンを見ていた。


「んだよ。せっかく人が行こうって時に」


「これ。忘れもん」


 シェリルはゴーダンに袋を投げ渡す。ゴーダンはその袋を手に取ると、ひんやりとした感覚が手に伝わった。


「待ってる間に氷、作っといたよ。あんたにゃ必要でしょ?」


 ゴーダンは呆気にとられ、そして笑いをこらえる様に歯を噛みしめ、顔をそらした。そして一言、小さな声で言った。


「……ありがとな」


 今度こそゴーダンは走りだしていった。こんな気分になったことは今まであっただろうか。何故か清々しい、何かが心の中を駆け巡っていた。

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