第3話 霧の中でもがくもの 前編

 街の人々が寝静まり、人気の全く無い深夜。第一区画におけるギミ邸の前に、二つの影が潜んでいた。その影の目元が街灯に照らされて光を反射する。どうやら双眼鏡を使い、周囲を観察しているようだった。


「本当に行く気なの?」


 双眼鏡で周囲を見回すシェリルは、横にいる顔に湿布を貼ったフリントに話しかける。フリントも顔にシェリルの物とは違う、仰々しいゴーグルをつけていた。


「ああ。今なら見張りもそんなにいない。行ける……しっかしこれはすごいな。夜だってのに辺りが鮮明に見える」


「ええ。暗視ゴーグルってやつで僅かな光を増幅して、夜でも見えるようになるって物よ。他にも機能があって――」


 シェリルは得意げに語るがフリントはそれを鬱陶しそうに払いのける。


「どうせお前が作ったわけじゃないんだろ……。それより周りに人がいないかちゃんと確認してくれ」


「……なによ、説明しがいがないわね」


 二人は周囲を見回し、人がいないことを確認した。今日の天気は晴れてはいるが雲がところどころあり、ちょうど月が雲に隠れて暗くなるタイミングを見計り――


「よし、行くぞ」


 × × ×


「いっちち……!」


 日が暮れ夜になってフリントは目が覚めた。そして顔に貼られた湿布を交換し、切り傷になっている個所に少女の持っていた傷軟膏を塗る。まだ完全に治ったわけではないが、昨晩よりはマシな状態だった。


「……で、シェリルっていったか。お前の目的は俺を……この紋章を外に連れ出すことだと」


 フリントは右手を前に突き出す。魔剣――クーヒャドルファンの紋章を。


「ええ。タイレルから聞いたでしょう?このイシスニアでは外の世界が滅んでいると教えられてるけど実はそうじゃない――。外の世界はすでに復興して、このイシスニアよりもよっぽど発展してる」


 少女は先ほどまで操作していた光る板をフリントに手渡した。


「これはタブレットというもので、”電気”を利用して動くの。……君みたいな不能者でも、魔力を使わず魔法みたいなことができる。むしろ外じゃ魔法を使える人間のが珍しい扱いになってるわね」


 フリントはタブレットをしばらく眺め、そして操作方法がわからずに返した。


「あら、案外素直に返すんだ。もっといじり回すもんかと思ったけど」


「部外者の俺にそんな簡単に操作できるように渡すはずないしな。……それにそんな時間もない」


 ケガの治療を終えたフリントは立ち上がろうとし、シェリルはそれを止めた。


「ちょっと待ちなさいって! まだ足腰が立つほど回復したわけじゃ……!」


「いや、もう時間がないんだ。急いで俺の家に戻らないと……!」


「君の家? ……ギミ家の邸宅のこと?」


 シェリルの言葉にフリントは不本意ながら頷いて答える。


「どこまで俺のことを知ってやがる……。ああそうだ。急いで俺の家に戻らないと、部屋にある書類が全部処分されてもおかしくない」


「君の部屋にある書類が何の役に立つわけ?」


「……外への脱出方法及び、俺が調べた地下の地図をメモしたものがある。外に出るならそれは必ず役に立つはずだ」


 フリントの提案にシェリルは顎に手を当て考える。


「いや、リスクが大きすぎる。それに地下なら私だって調べて……」


「ダメだ」


 フリントが語気を荒くして否定した。


「お前が何か月前にここにきて、どれだけ調べたか知らないが、お前が把握しているくらいの地下道なら、今頃全部封鎖線が貼られてる。この世界の地下は何層にも迷路のように道が張り巡らされてる。……俺は10年地下で生きてきたんだ。お前より知らない道は知っている」


 なおも動こうとするフリントにシェリルは観念して答える。


「……わかったわよ。君に頼る。……ただ一つ聞きたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


「もっと私の事質問しないの?外のどこから来たー? とか、なんで俺のこと知ってるー? とか、どうやって外出るのー? とか」


「……………」


 シェリルの緊張感のない発言に、フリントが逆に気が抜けてしまった。


「……お前工作員というかスパイってやつなんだよな。一応」


「うん。そうだけど」


「…………工作員向いてないぞ」


「はー!? 何よそれ!?」


 フリントは呆れて顔に手を当てる。


「いや、それで油断させるって作戦か……? なんにしても……とりあえず……」


 フリントの呆れ顔にシェリルはますます怒って問い詰める。


「何が言いたいのよ! 答えなさいよ!」


「……少しは駆け引きをしろ」


「何よー!」


 × × ×


 ギミ邸内部には見張りはおらず、月明りが隠れたタイミングを見計らったこともあり、二人はやすやすと侵入することができた。


「なんでこんなに簡単に侵入できたの? 普通、家族から犯罪者が出たなら、もうちょっと警備増やさない?」


 シェリルのその質問に、フリントは少し寂しそうに答えた。


「とっくに家族じゃないからさ。まあ、そういうことなんだろうな」


 潜入した二人は闇に紛れ、フリントの元住んでいた小屋に入る。フリントは1日ぶりの――そしておそらく最後になる自分の部屋に帰ってくると、暗闇の中、器用に部屋を漁り始めた。暗視ゴーグルを着けているとはいえ暗闇で見づらい部屋の中を、まるで昼間と同じように歩く様子を見て、シェリルは感心したように鼻を鳴らす。


「ふーん。器用なもんねえ」


「……俺一人じゃ灯りを付けられないから、何がどこにあるかは把握しないと、日々の生活が成り立たないからな」


 フリントは暗闇の中ではあるが、あえてシェリルの顔を見ずに話した。そして記憶を頼りにメモを探し、机の本棚に手を伸ばす。今は月明りが消えているとは言え、置いてある場所は把握しているが――。


「…………ない」


 フリントは机の上の本棚を改めて触る。他の教科書などはあるが、メモは皮のカバーを付けているため間違えようがない。そのメモだけが、存在しない。


「すでにこの部屋も調査されていたとか?」


 シェリルはフリントに尋ねるが、フリントはそれを否定した。


「いや、それはない。それならもっと部屋は荒らされているはずだし……メモだけ抜かれるなんて考えづらい」


「あなたが探しているのはこれですか」


 小屋の扉が開けられ、シェリルは急遽警戒に入り、右手を扉に向ける。


「シェリル! やめろ!」


 だがフリントはシェリルの右手を抑えるようにして、それを止めさせた。その声には聞き覚えが――いや間違えるはずのない声だったからだ。


「ミレイヌ。……無事だったんだな!」



 シェリルは灯りを付けようとしたが、窓から光が漏れるのを防ぐため、フリントが昨晩失くした布団の代わりに適当な服を重ねて窓を塞ぎ、微かな灯りを付けた。そこでシェリルは初めてミレイヌの顔を見る。


「うおっ……!?」


「どうかしましたか?」


「い……いや別に……」


 ミレイヌの顔を見たシェリルはつい驚いてしまった。――とんでもない美人だった。薄暗い中で少しはブサイクに見えてもおかしくないのに、むしろ妖艶さが増して見えていた。


「私はミレイヌといいます。あなたは……」


「私はシェリル。よろしくねミレイヌさん」


 シェリルはミレイヌに握手を求め、ミレイヌはポカンとしてシェリルを見た。そして、困惑の笑みを浮かべながら握手をし返す。


「え、ええ……よろしくお願いします。シェリル様」


「様ってなんかムズムズするかな……。私の方が年下なんですから呼び捨てでいいですよ」


 余りに緊張感のないシェリルの言動に、ミレイヌは小声でフリントに質問する。


「この子……状況が把握しきれていないのですが、スパイか何かなんですよね?」


「ああ……外から来たって言ってた……」


「外!?外の世界から!?」


「ああ。少し状況を説明する……俺もわからないことだらけだがな」



 フリントから何が起こったという説明を受け、ミレイヌは深刻な表情を浮かべていた。無理もなかった。前からフリントの生死について問われていた話が、とうとう抹殺する方針に決まったのだから。そうさせないために努力していたミレイヌのこれまでは、全て無駄となってしまった。


「俺は……外に出ていこうと思う。本当にすまないがミレイヌは不能者たちの後処理をお願いできないか。勉強を教えろとまでは言わない。ただ、ティファニーに話して今後をどうにかしてもらうまで…………」


「嫌です」


 ミレイヌはフリントの依頼をきっぱりと否定した。


「そうか……そうだよな。じゃあわかった。せめてメモは返して……」


「それも嫌です」


「ミレイヌ……!」


 フリントは困り顔でミレイヌを見る。だがそんなフリントの顔を見て、ミレイヌは決意を込めた表情を浮かべ答える。


「だって、私もついていきますから」


「なっ……!?」


 フリントはミレイヌからの急な提案に、思わず立ち上がって拒否する。


「だ……ダメだダメだ! 現状俺たちについていく方がよっぽど不利な状況なんだぞ!? ……なによりセーラに迷惑がかかるだろうが!」


 フリントはミレイヌの母であり、ギミ家メイド長のセーラの名前を出した。


「それには至りません。……フリント」


 小屋の扉が開けられ、メイド服を着た白髪の初老の女性が入ってくる。その女性を見て、フリントはまたしても困惑の表情を浮かべた。


「セーラ……!?」


 セーラと呼ばれた女性は灯りが漏れないようにすぐに扉を閉めた。


「昨日の事件から……いえ、あなたが不能者と宣告された時から、このようなことになることは覚悟しておりました。後の処理は私がすべてやっておきます。……だから安心して外に向かいなさい」


「でも……!」


「大丈夫です。こうなるまでに何年準備する期間があったと思うのですか。私は私で身の安全を確保する準備が整っております。……ミレイヌをお願いします。フリント”様”」


 セーラに頭を下げられ、フリントはただただ困惑するしかできなかった。ミレイヌと共にこの家での数少ない味方であり、可能な範囲内でフリントを助けてくれていた。――自分の娘が主人に強迫されていたことも知っていたはずだ。本当はフリントを恨んでもいい立場のはずだった。


「なんで……そこまで……」


「…………あなたを守ることが、あなたの母上様との約束でした。ですから、私たちはあなたを守ります。……それだけでいいんです。人が人を守るなんて。私は、そう信じます」


 セーラの言葉を受けたフリントは、目に涙を浮かべていた。ミレイヌやセーラに今まで庇護されてきたのは確かに実感していた。だがそれでも何度も死にかけたし、その度に心のどこかで周囲や運命というものを恨んだ。セーラも立場上、フリントに対し直接その優しさを示す機会もなかったため、頭では理解していても心のどこかでは歪んだ感情を持っていたりもした。


「んだよ……なんで今更、人の優しさってやつに触れなきゃならないんだ……なんでだよ……」


 セーラはフリントを抱きしめ、フリントは目に浮かべた涙を隠さず、その胸の中で泣いていた。そしてセーラはミレイヌと顔を合わせる。


「……頼んだよ。ミレイヌ」


「はい……お母様」

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