第3話 霧の中でもがくもの 中編①

 フリントはメモ以外で必要そうなものを準備すると、小屋の前で待機することになった。ミレイヌが支度をする必要があるとのことで、小屋の外に出るように言われたからだ。その待ってる時間の間、フリントはシェリルに話しかけた。


「隠れ家を出る前の話の続きだ。どうして俺の名前を、ギミ家にかかわりがある人間だったと知っていたんだ?」


「……タイレルから連絡をもらっていたから。身動きが取れない状態でフリントという少年に良くしてもらっていると。君のことはとても褒めてたわ。……親切で素晴らしい少年だって」


「そうか……」


 フリントは体調を悪くしていたタイレルの事を思い出していた。どのタイミングで俺にクーデリアを預けることを考えていたのだろうか。一体どういう経緯でクーデリアと共に集落に来たのか、クーデリアは何者だったのか。知らなければならないことはいくらでもあるが、今はただ脱出手段の確保が先決だった。


「お待たせしました」


 小屋の扉が開き、ミレイヌが外へ出てくる。


「お、準備終わったか……って!?」


 フリントとシェリルはミレイヌの姿を見て驚愕していた。先のメイド服からは考えられない、ピッチリと身体のラインが浮き出る戦闘用のスーツに着替えていたからだ。


「ミ……ミレイヌさんその恰好……!?」


 シェリルの言葉にミレイヌはあっけらかんと返す。


「あの服のまま動き回る訳にはいかないでしょう。というよりフリント。私が軍出身ということは知っていたでしょう?あなたに剣を教えたのは私なんですから」


「いや、まぁそうだけどさぁ……」


「それにそんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか……」


 ミレイヌの少しいじらしい態度に、シェリルは何か感じるものがあったが、気のせいだと思うことにした。――それよりも。


「二人とも、気を付けて。……囲まれてる」


 シェリルの言葉に、場の空気が張りつめる。


「嘘だろ?全くそんな気配は……」


 シェリルは右手をフリントにかざし、手から出ている風をフリントにあてる。


「私の風魔法で周囲の気配を感じ取った。……おそらく20人くらい、武装してる兵士が周りを囲んでる」


「それは……紋章術ではない……!?」


 ミレイヌはシェリルの使用した魔法にこの世界に生きるものなら当然の疑問を持った。イシスニアでは紋章術以外の魔法は、すでに失伝されており、使えるものは誰もいないとされていたからだ。


「そう。これは魔力元素(エレメンタル)を使用した魔法。外の世界ではむしろ紋章術のが珍しいですからね」


 フリントは小屋の中にいたセーラに話しかける。


「親父は屋敷にいるのか?」


 セーラは首を横に振る。


「いえ、昨日の事件から対応に追われ、ロード様と共に外泊しております」


 セーラの回答にフリントはやられたとばかりに両手を合わせる。


「となると俺が戻るのは既にバレてたか……なんならセーラやミレイヌが裏切ることも想定済みってわけだ。この家じゃ数少ない俺の味方だったからな」


 フリントは改めてセーラに質問した。


「セーラ。お前がさっき言っていた身を守る手段は、ここで使えるのか?」


 セーラは悔しそうに歯噛みしながら答える。


「いえ……ですが私の心配はいりません。あなたたちは脱出を……!」


「ダメだ! どうすればセーラの身の安全は確保できるか教えてくれ!」


「しかし……!」


「しかしも何もない! お前をただ置いて行けるわけないだろう!」


 フリントはタイレル、そしてクーデリアの事を思い返していた。そして自分の右手の紋章も見る。心なしか、紋章も今のフリントの決断を肯定しているように思えた。


「それにおばあ様が人質になれば、どこかで私たちの脅迫に使われるのは目に見えてますしね。私もフリントに同意です」


 シェリルは周囲の状況の把握に努めながら答える。ミレイヌも同意するように頷いた。


「私も同じです。お母様の身に何かあれば私は……!」


 セーラはやれやれと息を吐く。


「全く……若い者に守られる年寄りとは、情けないものですね……。わかりました、脱出の手伝いをお願いできますか」


 全員頷いて同意を示した。



 ギミ邸の周囲にはシェリルの探知通り、20名の兵が配置されており、その中にはロードの姿もあった。近くの民家を借り上げ、そこからギミ邸を監視していた。


ロードは見慣れた自分の家の庭を監視しながら思った。奴らが周囲にいるこちらの兵の数を何らかの方法で把握していたとしても、まだ周囲の建物の中にはその倍の数が待機しており、合計40名で包囲網を作っている。――逃げられるはずがない。


「大丈夫ですか?」


 ロードの側についている副官のミリーが、ロードの頬についた痣を触りながら言う。


「ああ、大丈夫だ。……昼に父からの叱責を受けたというだけだからな」


 昨夜の任務失敗の責を問われ、父であるブリッジから折檻を受けた跡が頬に残っていた。本来この任務からも外される予定ではあったが、敵の正体が未だ不明かつ、敵の情報を持っていて動けるのがロードだけだったこともあり、失敗は許されないという前提でなんとか任務を続けることができた。


 ロードは望遠鏡を覗き、上からギミ邸庭園にいるフリント達を見る。フリント、先ほど接触した謎の女、メイド長であるセーラ、――そしてミレイヌの姿を確認した。


「周囲はすでに包囲している……どうやってももう逃がさない……!」


 ロードは望遠鏡を握りしめながら言う。今度こそ、殺す。



 「敵が一斉にこの庭になだれ込んでこないのは、六賢人の屋敷で血が流れるようなことはあっちゃいけないって建前かね……」


 フリントはシェリルから周囲の敵の位置を聞きぼやいた。各方角に5人ずつ設置され、それぞれが路地裏に潜んだり、大通りに抜ける道を確保していたりしているとのことだった。


「それに私が把握できるのはあくまで”風が通る場所”だけ。つまるところ建物の中にいる敵の数まではわからないから、多分もっといると思う」


 シェリルは魔法の準備をするために両手に魔力を集中させる。脱出のための魔法の準備をしている間、フリントはセーラに話しかけた。


「……セーラ。お前の言う脱出方法は間違いないんだな。駅までいけばセーラの安全は確保されると」


 フリントの言葉にセーラは頷いた。


「ええ。こういう時の為に、避難先を用意しております。駅にまで行けば、兵たちは私に手出しできません」


 イシスニアはその入り組んだ地形のため、車が通れるような大通りは非常に少ない。そのため魔動列車での輸送・運送が多くなるのだが、これを6賢人に寡占させると、流通まで6賢人に支配されてしまうことになる。そのため主要線路は各6賢人の領土の境界線に設置され、鉄道は王家の所有物にすることで、6賢人の支配力を抑えていた。その為この線路の中は6賢人にも不可侵な領域となっており、各家の軍に所属している兵隊もうかつに手を出すことができなくなる場所でもあった。


「ただし工作員……そして不能者であるあなたたち2人への追撃は駅の中でも止まることはないでしょう。あくまで私への拘束の名分がなくなるだけになります」


 フリントは駅の方角を指さす。


「……駅まではここから走って10分ほどだ。仮に敵の数が今把握している数のさらに倍、40人ほどだとして、既に俺たちの動向が把握されてるなら乱戦になる」


 フリントはミレイヌを見た。


「今なら、ミレイヌもセーラも俺とは無関係だったですむ。親父もロードも二人が降るなら、俺への人質に使うまではしないだろう。……本当にいいのか?」


 ミレイヌはフリントの言葉に呆れたような表情を見せ、湿布が貼ってある頬をデコピンした。フリントは痛さに悶絶して屈み、そのフリントを見下ろすようにミレイヌは言う。


「今更それを言いますか! なんならあなたたちとは別に、私も行動して外に向かってもいいんですよ!?」


「わ……わかった……わかったから……」


 ミレイヌは尚もフリントの傷の部分をつねり、涙目で顔を赤くしながらフリントに行った。


「ですから、出たら……」


 だがその言葉は途中で遮られた。シェリルの両手から水蒸気が噴き出して、フリントたちを包み始めていたからだ。そしてそれは周囲に一気に広がっていく。


「これは……!?」


 ミレイヌが驚くのも無理はなかった。紋章が当たり前のこの世界では、一人が使える魔法はその身に宿した紋章一種類か二種類ほどのみ。だがシェリルが今使っている魔法は水魔法に火魔法を組み合わせ、更に風魔法を使用することで周囲に水蒸気を広げ、霧を作り出していた。


「私の得意技は複数の魔法を組み合わせた、連携術って言うの。それぞれ放ったうえで組み合わせる必要があるから、威力を発揮するには時間がかかるんだけどね。こうやって敵さんがわざわざ待ってくれるなら……この通り!」


 ミレイヌが両手を広げると、霧はギミ邸だけでなく、周囲数百メートルに広がり、視界を寸断させた。



 その様子をロードも見ていた。行動を起こそうとするがもう遅く、霧はロードがいた建物まで包み込み、窓から見える景色は乳白色の闇だけになった。


「しまった……!」


 ロードは急いで外に出る準備を行う。副官であるミリーは事態が呑み込めずに混乱しているだけだった。


「な……なにが起こったのですか……!?」


 ミリーの鈍さにロードは舌打ちをする。見た目はさも仕事ができそうな感じだが、所詮自分程度の人間に絆される様な女でしかない。だが今はどんなに使えない駒でも活用しなければならない時だ。


「敵の中に紋章術に非常に精通してる者がいる! そいつがこの霧を発生させたんだ! お前は各兵の待機場所に行き、敵が行動しだしたことを伝えろ! そして予備隊も散開させ、敵を見つけさせるんだ!」


 ロードはミリーに怒気を込めて命令する。シェリルの魔法を紋章術と誤認しているが、何も情報が無いロードには仕方のないことであった。


「はっ!」


 ミリーは敬礼をすると駆けていく。この霧の中でも建物が多いこのイシスニアでは、方角を誤認しにくい。だが兵たちはむしろ持ち場を守るために動かないだろう。まずは駒を使って、兵たちに行動をさせなければ。ロードは剣を握り、精神を落ち着かせる。あいつは必ず僕が殺さなくてはならない。――あいつを殺すことで、僕の人生はようやく始まるのだから。


 そう思うロードの脳裏には、在りし日の思い出が浮かんでいた。フリント、ロード、ティファニー、そして付き人として一緒にいるミレイヌの姿も、そこにあった。

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