第6話 次なる決断へのアントラクト 中編

 第一区画ギミ邸書斎。ギミ家当主ブリッジは普段この部屋で作業を行っており、この日も部屋に置かれた机で書類と向き合っていた。そして机の前には直立不動で立つロードもおり、その表情は暗く俯いていた。


「…………あのゴミを逃がしたようだな」


 ブリッジは一切の感情を込めずに言う。仮にもフリントは自分の子供であるのだがその事は全く考えられていない――それは目の前のロードに対してもそうだった。


「……すみません。ですが次は必ず!」


 ロードは胸に手を当てて弁明をする。だがブリッジはロードを全く見ずに冷たく言い放った。


「いや、もういい。お前には失望した。……その紋章も返してもらおう」


「…………え?」


 ロードは全身から冷たい汗が流れるのを感じた。確かに今回の任務から降ろされることまでは覚悟をしていた。だが”紋章を返す”?


「父さん?それは一体……!?」


「もうお前は用済みだということだ。ナタール家との婚約も解消し、お前も軍を辞めてもらう。お前のような恥さらしをギミ家の跡継ぎとして扱っては、家名の威厳にも関わる。……しばらく地下にいてもらう」


「な……! 父さん……!」


「私を父と呼ぶな! お前はすでにギミ家の人間ではない!」


 縋り付こうとするロードに、ブリッジは激昂して言い放つ。その声と同時に本棚から二つの影が現れ、ロードの両腕を掴む。


「さて……お坊ちゃん、一緒についてきてもらおうかしら」


 左腕を掴んだ青い髪をした、中性的な恰好をした男が、からかうように言う。


「離せ……! 父さん聞いてくれ! アイツは僕が……僕がやらないと……!」


「黙れ……!」


 右腕を掴んでいる長い黒髪をした男がロードの腹部にパンチを入れる。悶絶するロードだが気絶するまでには至らず、抵抗しようと石術の紋章を起動する。


「は……離せ……! 僕に触れるな!」


 横にいる二人を引きはがすように床から石を出現するように紋章を起動させた――はずだった。


「グハッ!?」


 だがその瞬間、ロードの意識は闇に吸い込まれた。意識を失う寸前、ロードは確かに見た。二人の下から石を出現させるようにしたはずなのに、何故か自分の足元から出現し、顎にクリーンヒットしたのを。――何故?


「あら~……さっすが温室育ち。ぬるいわね」


 青い髪の男は気絶したロードに嘲るように言い放つ。額に刻まれた紋章が光っており、ロードが気絶して石が砕けると共にその紋章の光も消えた。


「じゃあこのお坊ちゃんを地下に閉じ込めてくるわね~」


 青髪の男はブリッジに手を振ると、黒髪の男と共に書斎からロードを連れて出て行った。3人が出て行って静かになった後、本棚の影から一人の男が姿を現す。はちきれんばかりの筋肉をした胴着姿をしており、その姿に似合うような傲岸不遜な態度をしていた。


「ったくひっどい父親じゃねえか。あんた今となっちゃあのバカしか跡取りがいないんだろ?全くいいのかねこんな適当に扱っちゃって」


「構わない。……あいつは所詮”正攻法”で魔剣の紋章を得るための手段でしかなかった。今は事態が動き、手段を選ばずに紋章を手に入れられるようになった。……もう用済みだ」


 ブリッジはあと一人残った息子をまるで壊れた道具のように評した。それを聞いた傲岸不遜な男は不愉快な表情を隠さずに言う。


「ふん。まぁいい。……それで、次にやることは決まっているんだろう?」


「ああ。次に奴らが取る行動もおおよそ予測はできる。手に入れるぞ。我がギミ家に伝わる究極紋章……聖剣(フィルスタリオン)の紋章に対を為す、魔剣の紋章を。そのためにお前を手中に置いているのだからな。……ゴーダン」


 ブリッジにゴーダンと呼ばれたその男は口元を歪ませた。


 × × ×


 私の名前はシェリル・コーミズ。このイシスニアの外にある国の一つ、ルイーニンという国から来た。イシスニアでは魔法を使えない人は魔力不能者として差別待遇にあるけど、外の世界は違う。むしろ魔法を使えるほうが”魔女”や”化物”として忌避される存在だった。そして私は兄さん――タイレルと共に施設でずっと暮らしてきた。――両親はいなかった。何をして私たちと離れ離れになったかは今もわからないけど、今までずっとタイレルが私を守ってくれていた。


 私たちがいた施設は魔力の素質のある子どもを集めた諜報機関だった。魔法を使える人間を化物扱いしていても、過去の世界大戦で起こった究極紋章による破壊は実際にあったことであり、それらがなお存在するというのなら対策は必至だった。それが、その他大勢の人間には魔法に触れさせず、身寄りの無い魔力の素質をもった孤児にそれらの問題を解決させるという歪んだ対応を生んだ。


 私”は”その施設において歴代でも最高の魔力の持ち主だった。ただ魔法以外の課目――特に思想訓練などでは全く成績が残せず、そのたびにタイレルに助けてもらっていた。


 ただ追い出されるといったことも無かった。過去の世界大戦からすでに1000年が経過しており、ここの施設出身の人間の多数が国の中枢に関わるところまで社会進出は進んでいた。差別感情を撤廃するまではいかずとも、イシスニアにおける魔力不能者のように問答無用で殺されるほどまで人権が認められていないわけでもなかった。――つまるところすでに平和の根は世界に根差していた。


 × × ×


「なんか話聞いてると何も問題が起こってるようには思えんのだが」


 フリントはシェリルの途中で口を挟んだ。コップに口をつけるがすでに飲み干していることに気づき、ケトルを取って自分のコップに注ぐ。そしてミレイヌのコップに手を伸ばし、ミレイヌにアイコンタクトを取る。ミレイヌは一言ありがとうございますと言い、フリントはミレイヌのコップにもコーヒーを注いだ。シェリルのコップにもコーヒーを注いでやり、シェリルも素直に礼を言う。そして一口飲んで一息つけてから続けた。


「そう、何も問題はなかったのよ。……半年前にある話が来るまではね」


 × × ×


 ナタール家邸宅における家政婦長用の部屋――セーラの寝室で、ベイシスとティファニーは向き合って話をしていた。不能者への待遇問題で祖父と共に行動することが多いティファニーだが、普段の好好爺の片鱗が一切見えない、それだけ深刻な話だと認識させられた。


「ことは半年前に遡る。……いやもっと前だな。13年前、お前とフリントの婚約が決まった時からだ」


「私とフリントの婚約……?」


「ナタール家とギミ家の関係はこれまで良好なものだった。それは単に領土が隣同士だから、というものではなく、引き継がれてきた究極紋章の性質にもよるものがあった。……とはいえ今はその究極紋章も無いが」


 究極紋章の単語を聞き、ティファニーは2日前におけるロードの不能者の集落への襲撃を思い出していた。


「あれは……そういうことだったの……!?」


 ティファニーもロードが自分の家の盗まれた紋章を探していることを聞かされていたが、それが究極紋章だとは聞いていなかった。本来究極紋章が盗まれるとは”そういうこと”なのだ。ティファニーは自分の足元がグラつく感覚を覚えるとともに、なぜか平静さを保っている祖父への疑念が沸き上がっていた。


「なんでおじい様はそんなに落ち着いていられるの……! 我が家の究極紋章が盗まれたとなれば! 他家からの圧力は避けられないんですよ! それにギミ家だって……! !」


 ティファニーは祖父に詰め寄ると共にギミ家の名前を出した。ティファニーもフリントやロードと幼い頃から共に遊んでおり、子供心にフリントとの婚約には胸躍る時期もあった。――だがそれは幻想だと時が経つにつれ思い知らされた。


 6賢人のそれぞれの力関係は対等とされているが、実際にはそれぞれの家での力の差は存在していた。特にナタール家は先々代の資産運用の失敗の煽りを受け、ベイシスの代で辛うじて持ち直しはしたが、その際に借りを作ったギミ家への立場は弱いものだった。


 ティファニーとフリント――そしてロードとの婚約関係もそれを示すものだった。つまるところ人身御供であり、ギミ家がナタール家を取り込むための政略結婚であった。


「そうだ。恐らくこれからこのイシスニアでは嵐が吹き始める。……だからこそ、究極紋章を”盗ませる”必要があったのだ」


 × × ×


「今回の紋章の盗難が狂言だって!?」


 フリントはシェリルの発言に驚いていた。確かに自分も廃嫡されたとはいえギミ家の、6賢人の端くれ。ギミ家とナタール家の微妙な力加減には気づいてはいた。


「外の世界でもイシスニアの存在は認知していて、中の人間には一切知らされてないけどイシスニアからの大使だって外にいる。そういう関係だった。イシスニアには過去の大戦で脅威となった究極紋章が多数眠っているとあれば、眠れる獅子は起こさない方がいいっていうのが、世界からの扱いだった」


 × × ×


「だが13年前、現ギミ家当主ブリッジが我がナタール家に婚約を持ち掛けたことで、風向きが変わり始めた」


 ベイシスはティファニーを指さしながら言った。


「これはただの政略結婚ではない、6賢人――つまるところ一つの大きな力を6つ分散して力の集中を避けているところに、2つ分の力を得ようとするという動きだった。それが何を意味するか、答えは簡単だ。究極紋章の力による侵略だ」


「侵略……! ?」


 ティファニーは祖父の突拍子もない言葉に疑問を投げかけた。そんなことをして何になるのか、そもそもたかだか2つの家の力が合わさっただけで他4つの家に叩き潰されて終わりではないかという疑問だった。


「そう。侵略だ。そしてそれはナタール家とギミ家の力が合わされば可能になる。……ナタール家に伝わる魔剣の紋章と、ギミ家に伝わる聖剣の紋章は対を為す紋章。どちらも手中に収めてしまえば止められる敵はいなくなる。そう言い伝えられている」


「でも! 私とフリント……それにロードも別に仲が悪かったわけじゃない! 結婚だって私は問題なかった……! おじい様だってフリントやギミ家の人たちと仲が良かったじゃない!」


 × × ×


「そうだよ! 俺とティファニーが結婚するっていっても、そんなことは何も聞かされてなかったぞ……! ?それに親父がそんな侵略って……! ?そんなことして何になるんだよ! ?」


 フリントの疑問は当然だった。あまりに非現実的で、あまりに荒唐無稽だった。究極紋章の力を手にして、イシスニアを侵略して何をどうするつもりなのか。


「…………私も任務説明でしか聞いていないから正しいとは思えない。だけど、私が聞いたことは一つ。それは」


 × × ×


「”なんの意味もない”だ」


 ベイシスは顎に両手を置きながら言った。ティファニーは祖父の言葉に面くらっていた。


「なんの意味もないって……! 言ってる意味がわからない……!」


 ベイシスは窓から外を見る。朝日も昇り始め、人の往来も活発になってきていた。外の人々はナタール家の究極紋章が盗まれたことなど露知らず、普段通りの日常を過ごしている。その日常の足にすでにヒビが入っていることにも気づかず。


「…………このイシスニアの人口は王家が管理できているだけで3000万人。それ以外の非合法の人間を含めれば4000万以上はいくのではないかという学会の見識がある。……大地が遥か石の下に埋もれてしまっているこの"石の密林"で、それだけの人間が生きていける資源を賄えていると思うか?」


「……いきなり何を……?」


 突如話題を変えたベイシスにティファニーは困惑する。


「答えは”否”だ。現状の水耕栽培ではこれ以上の食糧の増産は不可能であり、そもそも水耕栽培をするための土地があってもその資材を用意できない。……そして既存の水耕栽培の機材はすでに限界を迎えてきている」


 大地の無いイシスニアでは水耕栽培により全ての農耕を賄っている。紋章の力で水と栄養のための窒素を作り出すことができるため、土が無くても作物の栽培は可能であった。だが、結局それをするためには莫大な”魔力”が必要であり、また古くから使われている水耕栽培用の道具もメンテナンスに限界が迎えてきていた。


「そして外へ助けを求めることもできない。……なぜなら」

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