第6話 次なる決断へのアントラクト 後編

「なぜならイシスニアという不良債権を誰も預かろうとは思わないから。外の世界でも4000万人という難民を受け入れようとするところなんてない。紋章技術の特異性は確かに交渉材料になり得るけど、それでも4000万人は賄いきれない」


 シェリルはイシスニアという国を外の世界の人間の目線から正確に評した。ただ事実を聞かされたフリントとミレイヌは言葉にすることもできず、視線を落としていた。


「そして……その真実はほとんどの人間に隠されている。理由は簡単、そんなこと皆知ったらパニックになるだけだからね。だけど一部の人間……6賢人はそれを知らなければならず、そして知った人間はいくつかの反応に分かれる」


 シェリルは3本の指を順に伸ばしていく。


「維持か、諦観か、……絶望か」


× × ×


「ギミ家当主ブリッジが紋章を求める意味は一つ。自分を止める敵を失くすためだ。聖剣の紋章と魔剣の紋章を手中に収めればもう敵はいない。……すべてが思うままになる。未来に絶望した人間が遊ぶには充分な箱庭が手に入る」


 ベイシスの説明にセーラは暗い表情を浮かべ、視線を床に落としていた。セーラの家系がギミ家に代々仕えている使用人の家系であり、当然セーラとブリッジは幼馴染ともいえる関係だったからだ。年代も近かった彼らは若いころは主従というより友人に近い間柄だった。


「奴の目的はこの滅びが定められた世界で、最後のおもちゃ箱をひっくり返そうとしている……子供じみた理由からだ。恥ずかしながら私がそれを知ったのが1年前……お前とロードの婚約が改めて決まった時だった。それまで……私は奴を評価していたんだ」


 フリントが不能者だと判明し一度ナタール家とギミ家の婚約関係が破綻してからも、交流がなかったわけではない。しかしベイシスはフリントの待遇に対してギミ家に口出しを行っており、しばらく関係は悪化していた。だが1年前、改めてギミ家からロードとティファニーの婚約に対しての申し出があり、ナタール家は断ることもできないまま、それを受け入れざるを得なかった。


「ブリッジの思い通りにさせるわけにはいかない。そう思った私と……お前の父であるワイスはある手を打った」


「お父様が……?」


 ティファニーはもうしばらく会っていない父の名前が出てくるとは思っていなかった。最後に父とまともにやり取りをしたのは1年以上前。第三区画における農場の管理に行ってくると言ったきり、帰って来ていなかったからだ。元々あまり家にいるような人間でもなく、仕事第一であり家庭を顧みなかったこともあり、ティファニーもさして思い入れがなかった。


「お前の父は第三区画にいるのではない。外の世界に大使として滞在している。……お前には悪いが外の世界で家庭も持っていると言っていた」


 ベイシスの言葉にティファニーは胃がうねるのを感じた。一体何がどこまで隠されていて、明かされていない真実がある? 母はそれを知っているのか? ――恐らく知っている。でなければ外に男を作ってはいないし、それをおじい様も黙認していないだろう。


「そしてワイスと連絡を取り、奴がいる国……”ルイーニン”とある取引をした」


「まさか……!?」


 ティファニーは話の内容に想像がついた。そして目の前の老人と自分の父がしたことの重大さに声を震わせる。


「究極紋章を……”売った”……!?」


× × ×


 フリントはシェリルの話の内容に言葉を失っていた。ナタール家は魔剣の紋章をイシスニア外に逃がすため、シェリルの国と取引をした。究極紋章を差し出す代わりに、ナタール家の安全を確保するようにと。これはベイシスがブリッジに紋章を渡さないための策、とは到底言えるものではなかった。これは――。


「…………売国奴」


 フリントは両手を握り、それを額に当てながら目をつぶる。フリント個人が感じるベイシスへの感情は、敬意や友情といった感情が大きい。幼いころに一緒に読書をし、世話をしてもらった恩があった。


 シェリルはフリントのミレイヌの気持ちが落ち着くのを待った。そして数分の間、息を置いてから話を続けた。




 とかく半年前にナタール家から究極紋章の譲渡の話を受けた私たちは、イシスニアへの潜入計画を実行した。イシスニア全土に展開されている紋章障壁はどういう仕組みかわからないけども、”攻撃する意思”を持つものだけを弾く造りになっている。ミサイルや投石といったものだけでなく、電波や放射能までも障壁は防いでいた。


 だけど単に攻撃目的でない、単純な侵入に関しては障壁を素通りすることができる。そして中では紋章を利用した魔法を使う者が大多数ということもあり、兵器を持ち込まずに紋章使いたちと対等に戦うことができる少数精鋭の魔術師が潜入することになった。それが私とタイレル。――潜入したのは今から三か月前。




「そして潜入してからナタール家の手引きで地下4層の地下鉄を確保し、タイレルは上手くナタール家から紋章を盗み出す体での奪取準備、私はひたすら線路のガレキの除去と電車の整備をして、いざ脱出の際に列車が止まらずに進めるための準備をしてた。……それが、今私があなたたちに話せる全て」


 シェリルは深く息を吐き、フリントに淹れてもらってから既に冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。だがフリントにはまだ知らなければならないことがあった。


「…………まだだ。まだいくつかわからないことがある」


 フリントは魔剣の紋章が刻まれた右手を突き出した。


「なぜ、そこまで話がついていながらタイレルさんは瀕死の状態だったんだ?……そしてクーデリアは一体何者だったんだ?」


 シェリルは暗い表情で俯くと、首を横に振った。


「タイレルが何故そこまで追い詰められたのかはわからない。ナタール家が裏切ったのかも知れないけど、その理由もわからない。……ただクーデリアって子のことなら答えられる」



 私たちはナタール家から紋章を盗み出す際、ある事を聞いていた。それは紋章は少女の姿をしていると。究極紋章と他の紋章の決定的に違う点、それは究極紋章は意思を持つことがあり、化身(アバター)として顕現する事例があると。


 私は結局のところそのクーデリアという娘と会う前に、タイレルたちと合流できなかった。イシスニア内では障壁の影響で無線等の通信もできなかったから、仲介人(クッション)を介した手紙でのやり取りしかできなかったからね。だけど、一つわかることがある。



「わかること……?」


 フリントはシェリルに尋ねた。シェリルはフリントの紋章の刻まれた右手を掴む。フリントは慌てて引き離そうとするが、その手を掴んだままシェリルは薄く微笑んだ。


「その子は優しい子だったってこと。少なくともタイレルが死ぬまでの一か月間、周囲の魔力を吸い取るのを最小限にしていたはず。魔剣の紋章の特性上、他の魔力を吸い取らなければ生きていけない。その子が感じていた飢餓感は相当のものだったはずよ。そして、今君の右手にあることで、私たちも想定しなかったことが起きてる」


「どういうことだ?」


「魔剣の紋章はその持ち主からも魔力を吸い取り、結果として持ち主に魔力の吸収を強制させる狂戦士を作り出す紋章とも言われてる。だけど君が……魔力不能者が持つことで、結果として、魔力を必要以上に吸い取ることが抑えられてる」


 フリントはシェリルの言葉を受け、自分の右手を見た。――思えばクーデリアが食事をしているところをフリントは見たことがなかった。もしシェリルの言う通りクーデリアが自分の身体を維持するのに魔力が必要なら、不能者の集落に居続けることはリスクでしかない。――そして。


「……なぁ、シェリル。もしかしてタイレルさんは……!?」


 フリントはあることに気づき、目を見開いてシェリルを見た。シェリルは悲しそうな顔をして頷く。


「……そう。クーデリアが、魔剣の紋章が必要以上に魔力を吸収しないよう、自分の魔力を差し出してた。やろうと思えば適当な犠牲者を用意して、そいつから魔力を吸収してしまえばよかったけど……二人はそれを拒否した」


 あの不能者の集落に健常な魔力の持ち主は来なかったか?答えはNOだ。ティファニーはいたし、彼女の付き人だっていた。何なら巡回で見て回る兵士もいたはずだ。だがタイレルとクーデリアは彼らから魔力を吸い取るのを拒否した。――犠牲を広めないために。


× × ×


 ティファニーは愕然としていた。祖父から聞かされた話はどれも非現実的で、それでいて筋が通った、自分が信じてきた全てが崩されるものだったからだ。項垂れる孫娘の様子を見て、ベイシスはティファニーの肩に手を置く。


「……まだ考える時間はある。一人で抱え込むことだけはするな。……私はお前の味方だ」


 ティファニーは目の前の老人の、手汗でびっしょりと濡れた手を見て、あることが頭に浮かぶ。


「……おじい様。一つ聞かせて。…………ブリッジのその目的は”一体誰から聞いたの?”」


「それは…………」


 ベイシスはティファニーに正直に答えた。特に隠すようなことでもないと判断したからだ。だがその答えを聞いたティファニーは”全てを理解した”。


「そう……ありがとうおじい様」


「私はもう外へ出る。……まだ昼を回っていないがお前は疲れただろう。……少し休みなさい」


 ベイシスは椅子から立ち上がり、扉の方向へ振り返った。――その時だった。


「ええ……。ゆっくり休んで”ください”。……おじい様」


 ベイシスは突如喉元に感じた熱い感触に目を見開いた。声を上げようとするが、口が塞がれ――そして喉から空気が漏れて声が出せない。そして喉元に当てられたナイフが思いっきり引き抜かれ、鮮血が部屋のドアを濡らした。


「な…………!? ティ…………!?」


 ベイシスは力を失い床に仰向けになって倒れ、喉からの出血を抑えようと両手を当てた。だがティファニーはそのベイシスの手をどけ、トドメを刺す為に首を思いっきり絞める。――傍目から見れば、必死に止血を施そうとする孫娘にしか見えないように。


「な…………なぜ…………!!!???」


 ベイシスはティファニーの手をどけようと足をバタつかせるが、抵抗もむなしく徐々に力を失っていく。ティファニーの顔は憤怒と――侮蔑の表情で染まっていた。


「自分の身の安全を確保するために全てを売って、何自分は正しいことをした風な態度をしているんですか……!? この……クソジジイが…………!!」


 ベイシスの瞳孔が散大し、体の抵抗が無くなったことを確認すると、ティファニーは冷静にベイシスを殺害した凶器であるナイフを手にする。そして目の前の凶行に言葉を失い、身動きが取れなくなっていたセーラにナイフを手渡した。つい受け取ってしまったセーラはようやく状況を把握し、全身の毛が逆立つ。


「…………いつからこの老人と内通していたかは知らないが、これでお前は6賢人殺しの主犯になった。”不能者たちに施しを与える聖女”と言われる私と、つい先日までギミ家のメイド長だった”裏切り者”。どっちの言葉が信じられると思う?」


 ティファニーの唇が邪悪な笑みで歪む。騒ぎを聞きつけたナタール家の使用人たちがドアを開け、中の惨状を見て悲鳴を上げた。そしてナイフを持っていたセーラを取り押さえる。


「な……!? 違う私じゃ……!」


 セーラは弁明をしようとするが、瞬く間に全身を拘束され、部屋から連れ出されていった。その他の使用人たちはベイシスを何とか蘇生しようとする者、”祖父の死に放心状態である”ティファニーを介護しようとする者など、忙しなく動いていた。


 ティファニーは部屋から連れ出される直前、床に横たわる祖父だったものと目が合う。その目は何かの無念を訴えているようだったが、ティファニーは心の中でその顔に唾を吐いた。


 この老人は言った。真実を知ったものは3つの反応に分かれると。”維持か、諦観か、絶望か”。だが私は違う。滅びが見えた維持でも、考えることを辞めた諦観でも、くだらない妄執による絶望でもない。――私は前進する。止まってなどいられない。そう『決断』したのだから。ねえ?フリント。あなたもそうでしょう?

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