第13話 貫く決意 後編②

 目に光が入り込み、シェリルはその刺激で目を覚ます。起きてまず思ったのは明かりの強さや、少し寒気を感じる温度から朝日が目に入ったんだな、という事だった。そして自分が車の中におり、隣でフリントが、運転席でミレイヌが寝ているのを見て、ようやく頭の中がはっきりし始めた。


「フリント君! ミレイヌさん! 生きてる!? 目を覚まして!」


「う……うるせえな……」


 シェリルの甲高い叫び声を聞いて、フリントが不機嫌そうに目を覚ました。


「うるせえな……じゃないわよ! 私たち、生き残ったの!?」


「生き残ったって……あっ」


 フリントは屋根から頭を出すと周囲を見渡した。


「あいつがいない……。勝った……のか……?」


 呆けているフリントの頭をシェリルはひっぱたいた。


「いや君がなんかやったんじゃないの!? ちょっと不安にさせるようなこと言わないでよ!」


 フリントは耳を抑えながらしかめっ面を浮かべる。


「キンキン騒ぐなって……! 俺だって何やったかわかんねえんだよ……。しっかし周りに何にもないな……。逃げながら戦っている間に、結構進んでたのか?」


 周囲にはただ地平線が広がり、草木一つ生えていない荒野が続いていた。建物があった第三区画ももう地平線の向こうに隠れてしまっており、乾いた風がフリントの頬に当たる。そして物思いに耽っているフリントの頬をシェリルは微笑みながらつねった。


「な……なんだよシェリル……」


「まだここは外じゃないよ♪ その感動に浸るなら、外に出てからにしましょう。ミレイヌさん、起きてるんでしょう?」


 シェリルはミレイヌの名前を呼ぶと、ミレイヌは気だるそうに答える。


「ええ……起きておりました。お二人の邪魔もできないので静かにしておりましたが」


「えーとちょっと待っててくださいね……」


 シェリルは袋の中からタブレットを取り出すと、方位磁石のアプリを起動し、現在の方角を確かめた。


「……うん。東は向こうだから……ミレイヌさん、このまま真っすぐ走っちゃってください!」


「承知いたしました」


 ミレイヌはエンジンキーを回し、車のエンジンを起動させる。フリントとシェリルはそのまま席に座り、フリントは車の屋根を閉めようとした。そしてその際に第三区画がある方角へと顔を向ける。


「どうしたの?」


 第三区画の方角を見たまま動かないフリントに、シェリルが声をかけた。


「いや……」


 シェリルに声をかけられたフリントは屋根を閉めて席に座った。今まで外に出たいと思わなかった日は無かったのに、こうして外が目前に迫っていると、名残り惜しいという気分が湧いてくるもんなんだなと思っていた。いい思い出なんて、何もなかったはずなのに。


× × ×


 しばらく走りつづると、進行方向に地平線に何か小さく建物が見え始めていた。


「あれ……なんだ?」


 フリントは見えてきた建物を指さすが、近づいていく度に“建物”という表現が誤っていたと気づく。


「これ……“壁”……なのか! ?」


 地平線から見えてきた建物は、進む度に横に広がっていき、そして全景が見えた時点でようやくフリント壁だと気づいた。


「そう、壁。1000年前の戦争の時に、イシスニアが築いた外との境界線。高さ5m、長さにして2500km近くある狂気の壁。ま、これが世界最長ではないんだけどね。世の中にゃあ1万km以上もある壁があるって聞くし」


「こんなデカいのに……外にはまだデカいのがあるっていうのか……!」


「世界は広いからね~。イシスニアは東大陸の1/8くらいを占めてるとは言うけど、その東大陸だって世界で一番大きいわけじゃないしね」


「……外の世界では、ここは東大陸って言うんだな」


「そう。あと北大陸、西大陸、南大陸が存在するの。私の故郷は西大陸にあるから、海を渡っていく必要があるけどね」


「“うみ”……か。言葉でしか聞いたことはないな」


「じゃあ港での買い物や、海水浴も外での楽しみに加えておきましょうか。ミレイヌさんも一緒に泳ぎましょう♪」


「え……ええ。そう……ですね」


 シェリルに声をかけられたミレイヌだったが、その返事は歯切れの悪いものだった。フリントはその声の口調を聞き逃さず、車を運転するミレイヌの後ろ姿を見た。



 壁の目の前に到着した3人だったが、高さ5mもある壁は車では超えられそうもなく、フリントとミレイヌは立ち往生していた。


「どーすんだこれ……」


 フリントとミレイヌの二人はシェリルに意見を求めようと振り向いた瞬間、背後で爆音が鳴り響き、咄嗟に耳を塞ぐ。同時に土煙が壁から巻き上がり、パラパラと音が鳴っていた。フリントはシェリルを見ると、シェリルは得意げな顔で指から煙を飛ばすように息を吹いた。


「フッ……どう?」


「どう、じゃねえよ……。やるならやるって言え!」


「どうせ見張りはいないし、ここまでくれば音立ててももうバレることは無いわよ。……それに、あれ」


 シェリルは自分の魔法へ壊した壁の向こうを指さした。


「ようやくご到着ってとこね…………外に」


 煙が薄くなってくると共にフリントとミレイヌはその先の光景に目を凝らす。そして見えた光景に二人は息を漏らした。


「これが…………」


「外なんですね…………」


 荒野続きだった第四区画と違い、壁の外には草木は生い茂る草原が広がっていた。生まれてからずっと石に囲まれて生きてきた二人にとって、はるか向こうまで続く草木というのは初めて見る光景であり――ここまで進んできた道程の達成感を感じさせるものだった。


「ようやく…………か」


 フリントは右手を太陽にかさず。まだ午前中ということもあり、太陽は東日であり、目の前の光景にちょうど一致する形で日を射していた。


「よくやるよね。そのポーズ。かっこつけてるの?」


 シェリルが無神経にフリントに突っ込み、フリントは顔を赤くして手を引っ込める。


「う……うるせーな! 別に昔っからこんなことしてるわけじゃねーよ! 魔剣の紋章が右手に刻まれてからの癖だ癖!」


「ふーん……ということは“そういうやつ”ってことね。……まぁ私もよくやるし、まあうん」


「“そういうやつ”ってなんだそういうやつって!」


「“中二病”とか言っても、そもそも中学校がないでしょイシスニアって。こういう場合なんて言うんだろ? ニヒリズム? 痛い人?」


 フリントは顔を真っ赤にして手で抑える。


「もうやめて……」


 ミレイヌは仲良く会話する二人の様子を見て、満足気な笑みを浮かべた。――もう私の役目は終わった。シェリル様なら、フリントを見守ってくれる。あの二人なら、私がいるよりも幸せな未来に進んでくれるはず。あとは機を見計らって――。


「……で、ミレイヌ。お前は何を考えてるんだ?」


 フリントに急に声を掛けられ、ミレイヌはドキリとした内心を隠せず挙動不審な反応をしてしまう。


「な……なんのことで……」


「あのなあ……」


 フリントはミレイヌの右手を掴む。それは単にどこかに連れて行こうというものだけではなかった。遠くに行ってしまいそうな彼女を離したくないという思いがその手には込められていた。


「お前……どさくさに紛れてどっか行っちまうつもりだったろ」


 図星を突かれたミレイヌは思わず顔を反らす。その様子を見てフリントは深くため息をついた。


「なんか怪しかったんだよ。どうせ自分の今までの汚れた行為とか、タイレルさんの事とかの自責の念からとか言い出すんだろ?」


 タイレルの名前が出てきて、シェリルは顔を曇らせる。確かにミレイヌにもそれなりの事情があったということは今になっては理解できるが、やはり今まで二人で生きてきた兄の死を過去にできるかというのはまた別であった。


「…………俺さ、今までずっと言えなかったことがあるんだ」


 フリントはミレイヌの手を握っていない右手で自分の頬を掻く。気恥ずかしさで中々取っ掛かりの言葉が出せないが、そうしているうちに時間が経ちすぎている事に自分で気付き、意を決してミレイヌに向き合った。


「本当に……ありがとう」


 その言葉を受けたミレイヌは涙を我慢しようとはした。だが、それでも抑えきれない涙が両目から溢れ、拭うことも忘れてフリントを見た。


「ミレイヌがずっと汚れ仕事を続けてくれたのは俺の為っていうのはわかってる。ずっと、10年も俺の為に……」


 ――違う。ミレイヌはそう言いたかった。あなたのためじゃない。前にあなたから指摘されて否定したけど、本当はあなたを通じてアレクシス様しか見ていなかった。それに別に他の男と身体を重ねるのは嫌いじゃなかった。いや、むしろ自分から望んでそうしている傾向だってあった。私はただ最低な人間、あなたに礼を言われる筋合いなんてない。そう、言葉に出したかったのに、出すことができない。ここでも私は卑怯者なのか。私は――。


「わだじば……ぞんな……あなだに礼を…………礼を…………!」


 ミレイヌは涙でぐちゃぐちゃになり、言葉にならない言葉を絞り出そうとするが、それすらできない。フリントはそんなミレイヌを優しく抱きしめ、そしてフリント自身も涙を流していた。


「本当に……本当にありがとう……! ミレイヌがいたから、俺は今の今まで生きてこれたんだ……! だからお願いだ。どこにも行かないでくれ……! 側にいてくれ……!」


 フリントとミレイヌの二人はしばらく泣きながら抱き合っていた。シェリルは何も言わずに黙って車に乗ると、そのまま二人が落ち着くまで車の中でじっとしていた。


 ――これがこの一連の戦いの終着点だった。どこまで物語は遡るだろう。フリントが魔剣の紋章を宿すところか、シェリルとタイレルがイシスニアに潜入するところか。――いや、始まりはフリントが不能者だと発覚するところだったかもしれない。


 そこから始まったギミ家、ナタール家両家の究極紋章を巡る戦いは今ここに終わりを告げた。ひとしきり泣き終わり、落ち着いたフリントたちは先にシェリルが戻っていた車へと戻る。目を泣き腫らした二人にシェリルは何も言わず、黙ってエンジンをかけた。


「……行きましょうか。ついに……外へ」


 シェリルはアクセルを踏み、車は前に進んでいく。そしてイシスニア中を覆う紋章障壁の境界線の直前まで来たとき、3人の間に緊張が走る。


「ついに……外……か」


「ええ……そうですね……。本当に長かった……」


 シェリルは障壁を超える直前、ハンドルを強く握って念じた。


「お願い……無事に通って!」


 障壁に車が重なり、3人は障壁の中を通過していく。――そして一瞬がとても長く感じる時間を経て、車はようやく障壁を超え――。


「「「いっっっ~~~~やったあああああああ!!!」」」


 ――外に出た。3人は喜び合い、ハイタッチをしあう。


「やったやったやったあああ!!!」


 フリントは大はしゃぎをして隣にいたミレイヌに抱き着く。ミレイヌもフリントの腕を抱き、大いに喜んでいた。


「良かった……本当に良かった……!」


「よし……じゃあこれからは私の故郷に向かうわよ! まず最初の目的地は東大陸の東端にあるシンシープ港! それじゃあしゅっぱーつ!!!」


 フリントは最後に振り返り、壁の向こうにある自分がかつて“囚われて”いた石の密林を一瞥する。


「…………じゃあな。ティファニー……ロード……」


 そして前を向きなおした。もう二度と振り返ることは無いと思いながら。

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