最終話 ”その”先にあるものが思ったものではなかったとしても①

 ロードは目を瞑りながら意識が覚醒した。ベッドの上で身体に毛布が掛けられている事を感じ、自分が“生きている”ということを実感した。そのまどろみの中で、自分の記憶を辿る。なぜ今自分はここで寝ているのか、そもそも自分に何があったのか。


 ――そして思い出す。フリントに負けたこと。聖剣の紋章に身体を乗っ取られ暴走していたこと。そして魔剣の紋章との共鳴により異空間に連れてかれたこと。――そしてそこでもフリントに負けたことを。



 ロードはゆっくりと瞼を開ける。本当は身体を一気に起こしたかったのだが、身体が言う事を聞かず、目が開けるのが精いっぱいだった。そしてロードが目を開けると共に、横にいた何者かが、ロードの意識が覚醒したことに気づき、声をかけた。


「ようやく目覚めたわね」


 その声には聞き覚えがあった。ロードは首を動かすのも億劫でその人物の顔を見はしなかったが、間違うはずのない声でもあった。――なんせ“元婚約者”なのだから。


「ティファニー……ですか……」


 ティファニーはロードが首を動かすのも難しいと判断すると、その身体を起こしてやった。どうやら随分長い間寝込んでいたのか、身体の肉は落ち、久しぶりに動かした身体は各所が悲鳴を上げていた。ロードが咳き込むと、ティファニーがその背中を擦ってやる。そして落ち着くとロードは初めて自分の状況を確認できた。比較的綺麗な寝室におり、外からは賑やかな声が聞こえてくる。そしてティファニーだけでなく、確かティファニーお付きの秘書であるリチャードとかいう男もいた。リチャードは顎に怪我を負っているのか、ギブスのような物をつけていた。


「ここは……?僕はなぜ……?」


「ここは第一区画のナタール家邸宅。一応聞くけどフリントと戦ってたことは覚えてる?」


 ロードはティファニーの質問に頷いて答える。


「僕は……確か聖剣の最後の力を解放して……それで……」


「そう。私たちも近くにいたから危うく巻き込まれかけたわよ。……おかげであんたが消えたとき、すぐに見つけることもできたけどね」


 ティファニーは立ち上がると、剥いてあったリンゴを載せた皿を近くの机から手に取り、ロードの近くの机に置いた。


「あの戦いから1週間経ってる。その間あんたはずっと意識を失ってた。……起きて呼吸するだけでも精一杯だろうけど、まずはこのリンゴだけでもいいから食事を取った方がいい」


 ティファニーがリンゴを一切れ掴んでロードに食べさせようとするが、ロードはそれを顔を背けて拒否をした。


「……すみません」


「まぁ……今すぐ食えとは言わないけどね。ただ体力が……」


「いえ……もう食事を取る意味も無いんです……僕は……」


 右手を力強く握ろうとするが、力が無くそれすらもできない。


「僕は……また情けをかけられたのか……!」


 ロードは悔しくて涙がでた。またフリントに生殺与奪の権を握られ、また生かされたことに。そしてもう何も生きる目的も、意義もない自分に。


「それは違うわよ」


「え……?」


 だがティファニーの予想外の言葉に、ロードは思わずティファニーを見た。


「あんたを見つけたとき、あんたがどれだけの怪我を負ってたか聞きたい?人間かどうか判断がつかないくらいにグッチャグチャだったのよ?……間違いなく、フリントはあんたを殺すつもりだったし、実際死んでない方が不自然なほどだった」


 ティファニーの露悪的な表現に、ロードはげんなりとした表情を浮かべた。


「あんたが生き残ったのはあんたの人間離れしたしぶとさと、幸運に他ならなない。フリントもあんたが死んだと思ってるでしょうね」


 ロードは自分の左手を見た。まだ聖剣の紋章は刻まれたままであり、その感覚から機能も問題ないようだった。地下に幽閉されたときにこの紋章に助けられたときは神のお告げであると思っていたが、今となっては忌まわしい呪いの印のようにも思えた。


「でも……もう……僕は……」


「ギミ家の人間を大量に殺害して、帰る場所も何もないとか言い出す?……その件ならもう解決してるわ。ゴーダン含めたあの裏稼業3人組に全部の罪を着せて、あんたはその仇討ちをしたことになってる。……つまりもうあんたが問われる罪はないわけ」


「な……!」


 突然のティファニーの話にロードは驚愕して手を伸ばそうとする。だがその力すら出すことができず、ティファニーの方へ倒れこむ形になってしまう。ティファニーはそんな倒れそうになるロードを抱きかかえると、元のベッドの位置に戻してやった。だがロードはティファニーを非難する目を変えなかった。


「あれは……僕が行った“罪”だ……! なぜ僕からその罪を背負う機会を奪った……!」


 ロードの言葉にティファニーは呆れ返った目線を向ける。


「あのねえ。その言葉、あんた自分がやってきたことが許されるとでも思ってるの?」


 ロードは言葉に詰まり、唾を飲み込む。ティファニーはため息をつくと、ロードのベッドの横に座り、もう一度深いため息をついた。


「…………私ももう許される立場ではない。おじい様が保身の為に紋章を売った事実を知って、私はひどく憤慨した。自分たちの身は無事が保証されても、他の残された人たちはどうするのかって。…………それ以上にミレイヌによってもたらされた情報って所に怒ったかもしれない。……そしてこの手でおじい様を殺した」


 ティファニーの告白に、その辺りの事情を知らなかったロードは目を丸くしてティファニーを見た。そのロードの視線に気づいたのか、ティファニーは自嘲気味に微笑むと話を続けた。


「でも、今話した通り結局この立場についてから、裏工作や汚い手を使うことになった。……おじい様のことが何も言えないくらいに。つまるところ、私は勝手な判断と感情的な行動で、おじい様を殺したようなものなの。あんたはどう?ロード」


「僕は……」


 ロードは今までの自分の行動を思い出す。今思えばなぜ自分はあんな行動が取れたのだろう。憑き物が落ちた今の立場から考えるのは過去の自分の犯した罪の重さばかりだった。


「僕は……どう償えばいいんだ……」


 ロードは頭を抱え、自らの犯した罪の重さに押しつぶされそうになっていた。だが、そんなロードの様子を見て、ティファニーは安心したような笑みを浮かべた。


「…………よかった。あんたが“マトモ”で」


「ティファニー……?」


 ティファニーは窓の外を見る。“まだ”普段通りの生活をできている群衆がいる外を。


「この1週間でイシスニア内のパワーバランスは大きく乱れた。特に魔剣の紋章を喪失したナタール家と、当主どころか主要な役職の人間までもが多くいなくなったギミ家は他の家の脅威に晒されてる」


 ティファニーは机の上に置いてあった砂時計をひっくり返す。


「イシスニアの滅亡はもう目に見えてる。だからこそのあんたの父親や、おじい様の暗躍があった。だけど、いくら未来に目を向けようが、“今”は確実に目の前に存在するの。……そしてその今を何とかできるのは6賢人の力を持つ私たちにしかできない」


「僕に……何をしろと……?」


「罪を償えってこと。もう、私たちは自分の幸せの為に生きる権利はない。最大多数の今を生きる人達の為の“公人”として、責務を果たす必要がある。…………だから」


 ティファニーはロードの左手を掴んだ。あえて聖剣の紋章が刻まれている左手を。


「政略結婚するわよ。私たち。元々そういう話だったでしょう?」


「なっ……!」


 ロードはティファニーの顔を見るが、その表情に冗談は一切含まれていなかった。


「究極紋章を失ったナタール家がその力を維持するには、ギミ家との同盟を組むしかない。それにギミ家からしてもこちらのリチャードの影響力は代えがたいもの。リチャードを私のお付きから外して、ギミ家軍の総責任者にする。そうすることで、他家の侵略を防いで、互いの領民を守る」


「僕がそんなこと……!」


 ロードは拒否しようとするが、ドアが開きある人物が部屋の中に入る。そしてその人物の姿を見て、ロードはまた感情が揺さぶられることになった。


「いいえロード様。やるしかないのです。……私も補佐します」


「セーラ……!」


 部屋に入ってきたのはセーラだった。セーラはティファニーを一瞥し頭を下げる。ティファニーも表情には出さないようにするが、気まずい空気が二人の間に流れていた。


「セーラは私がハメたのもあって死刑判決が出ていたけどね……。まぁそこはまた裏取引で死人に口なしということでゴーダン達に罪を着せて、逆転無罪にしたわけ。……あんたのサポートをさせるためにね。セーラはギミ家前当主のブリッジの幼馴染でもあり、メイド長だけでなく秘書でもあった。サポート役としてはうってつけだと思うけど」


「そういうことじゃない! 僕はもう……!」


 まだ否定するロードにティファニーは痺れを切らし、その肩を掴んだ。


「“なに”も“もう”も無いのよ! いい!? 私たちにはもう選択肢はないの! 自殺なんて単に楽になることなんてさせはしない……! それが、あんだけの決断をして、おめおめ生き残ってしまった私たちの贖いなの!」


 その力強い言葉にロードは昔のティファニーを思い出していた。あの仲良く遊んでいたころ、自分たちを振り回していた一つ年上の女の子を。


「…………いつの間にか、言葉使いや態度が変わってましたね」


「…………そうね。歳を経るにつれ、子供ままじゃいられなくなっていた。ギミ家とナタール家の力関係のことや、あんたとの婚約も含めて」


「一つ聞かせてください。……今でもフリントの事が好きなんですか?」


 ロードの質問にティファニーは憂いを帯びた表情になる。


「……そうね。私なりに決着はつけたと思ってるけど、未練はある」


「……僕のことは、嫌いじゃないんですか」


「…………嫌いだったら助けないわよ。いい? あんたは私を“無理やり渡されたお下がり”としか思ってないかもしれない。でも、私にとってあんたは、あの“楽しかった思い出”の中にいた一人なの。……あんたも大切な人であることは変わりないの」


 ティファニーとロードは互いに顔を近づける。


「僕は……決めました。……ギミ家を継いで、自分にできることをやれる限りやります。それが……僕の“決断”です」


「うん……わかった。じゃあ私たちがすべきことは決まったわけだ」


 二人はさらに顔を近づけた。


「……ティファニー、これが初めてなんです?」


「…………ううん。もう思い出したくもないけど、一度……ね」


「そうですか……」


「あ、ただ一つだけ」


「なんですか?」


「……浮気は絶対にしないでよね。私その辺すっげえ気にするから」


「じ……自分で政略結婚って言っておきながら、その辺気にするんですか……! 自分だって愛人くらい作ればいいのに……」


「じたばた言わない! 私がそういうの好きじゃないの! …………それに、仕方なく好きになるなんて、そんなの……空しいじゃない。どうせ引き返せないなら」


「本気でやってやる、か。……なんかフリントが言いそうだ」


「フフ……そうね。あいつなら言いそう……」


 二人は口づけを交わした。運命に膝をついた妥協によるものとはいえ、これが生き残った彼らの“決断”だった。

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