第12話 決断の価値 前編①

 フリントは息を切らしながら、上階にいるティファニーと顔を合わせた。周囲には魔剣の紋章により魔力を吸われ、衰弱した兵士たちが転がっている。フリントが疑問に思ったのは銃とかいう道具を持った不能者がこの中にいない事だった。


「そんなに数はいないのか……?それとも別の個所に配置しているから……?」


 ティファニーは用意した兵隊がすべて倒されても、まだ余裕を保っていた。魔剣の紋章が再びフリントに宿ったことは予定外だったが、人智が及ばない究極紋章ならそれくらいのイレギュラーはあると想定していた。


 そして一番想定していたことは未だズレてはいない。フリント達自身が恐らく目を背けている重大な“弱点”は、想定通りだったとフリントの周りに倒れている兵士たちが証明していたからだ。


 ティファニーが未だ表情を崩さずにこちらを見ている様子を見て、フリントは舌打ちをした。ティファニーがここまでやるとは全く思っていなかった。確かに昔から自分たちを振り回すタイプではあったが、年が経つにつれ普通のお嬢様になっていたと思っていたからだ。


「さて……ここで問題。今、この周辺に兵士はどれだけいると思う?」


「……何言ってんだ?」


 ティファニーは余裕の笑みを崩さなかった。


「正解は200人。ギミ家から引っこ抜いた兵隊に、前々から用意してた不能者の軍団を合わせてそのくらい。今あなた達に倒された兵士の数はざっと50人。……あと150人、あなた達に倒せると思う?」


 ――本当はあと50人近くいるんだけど。とはティファニーは心の中で思っていた。ただその50人の到着がやけに遅い。駅前での戦闘が終わったらこちらに合流するようには伝えているはずなのだが――。


「……別に俺は大量殺人の記録更新を狙ってるわけじゃねえ。この場を切り抜けられればそれでいいさ。……時間でも稼ぎたいのか?」


 フリントの返答にティファニーは表情を悟られないように心の中でほくそ笑んだ。やはりフリントは自分の弱点に気づいていない。今までの戦闘で死者が全く出ていないという事実に。


 ティファニーは魔剣の紋章がフリントに刻まれてからの被害状況を確認する中で、ある異常に気が付いた。それは重傷者が複数名いれど、死者が0であるということ。しかもその重傷者も後遺症を背負うほどではないという事実。


 これにはいくつかの要因が重なっていた。シェリルは殺人への抵抗感を捨てることができずに意図して加減を行っていた。ミレイヌは基本攻撃手段が殺傷力の低い素手であるということと、“死者”を出すと追撃の手が厳しくなると考えていた。そしてフリントは――。


「ちっ……! やっぱりまた来たか……!」


 増援が周囲の通路から現れ、フリントに向かっていく。フリントが疑問に思ったのは、周囲に倒れた兵士が数多く転がっているのに、増援の足が止まらない事だった。まるで、死ぬことはおろか、怪我を負う心配もないかのように。


「残り150人。果たしてあなたの体力がもつかしら?」


 フリントの攻撃で死者が出ていない理由は“恐怖”。フリントとクーデリアは自身の力への恐怖心を持っていた。その結果、足腰が立たなくなるくらいまでに魔力は吸われるものの、基本怪我を負うこともなく、数日休めば治るくらいの負傷しか与えられなかった。そしてそれがわかっていれば、攻撃を仕掛ける側もそれなりの覚悟で足を進めることができる。100人倒されても死なない程度の怪我しかしないなら次の100人で。皮肉にも全ての命を奪うとされる曰く付きの紋章が、絶対に死ぬことはないという担保を敵に与えてしまっていた。


 フリントがいずれ限界を迎える終わりのないマラソンを続ける中、ティファニーは鷹目の紋章を使いリチャードの方を覗き見る。もうそろそろ向こうも終わっただろう。リチャードの実力ならまず負けることはないだろうし、それに“あれ”もある。さして心配することは――。


「……リチャード?」


 ティファニーは鷹目の紋章に映された映像を信じることができなかった。リチャードが地面に倒れ、敵二人が無事に立っている光景を。そして“あれ”を使っていないことも。


「リチャード……! あれを使う間もなかったのか、それとも単に潔癖だったのか……! 自分がやられたらしょうがないでしょうが!」


 ティファニーは即座にリチャードの下へ向かうために建物の天井から天井へ駆けて行った。フリントは周囲の兵士たちと戦いながら、ティファニーがこちらに何も言わず行動を移したのを見て、何かしらの異常が起きたことを察する。そしてそれは、同時にシェリルがやったということも。


「待ちやがれ!」


 フリントはティファニーを追いかけようとするが、まだ周囲には敵が複数人いる。だが、先ほどに比べ終わりは見えてきた。ここで敵をすぐに倒して姿を消せば、指令を出すティファニーが離れた以上、追っ手を振り切ることができる――。


「邪魔だって…………!」


 フリントは今まで倒してきた敵の魔力をすべて集中させる。


「言ってんだろうが!」


 そしてそのオーラを全て爆発させた。


 × × ×


 シェリルとミレイヌはリチャードが目を覚ましても行動ができないように縛りつけると、互いの怪我の応急手当を行っていた。シェリルもかろうじて動けるくらいまでの治療しか終わらせていなかったため、痛みに顔をしかめながら傷の消毒を行っていた。


「いちち……! あともう少し回復魔法かけないとまだ響きますねこれ……!」


「シェリル様……。フリントは無事なんでしょうか……」


「心配なのはわかりますが、今は治療に専念しましょう。今の私たちが行っても、もう兵隊の数人相手にできるかわからないくらい消耗してるんですから」


 シェリルは圧縮袋からチョコバーを取り出しミレイヌに渡す。


「……もうお昼もだいぶ過ぎましたし、朝から動きっぱなしですから少しでも栄養補給しておきましょう。フリント君なら大丈夫ですって!」


 ミレイヌは逡巡しながらも渋々頷き、シェリルから渡されたチョコバーの包装紙を開け、かじった。地下での生活のころから何本かもらっていたが、これだけは文句なしに美味く、ミレイヌは己を鼓舞するかのように一気にチョコバーをかじる。


「モグモグモグ…………ん。……そうですね。フリントなら……きっと大丈夫」


「そう、フリントはまだ無事よ」


 シェリルとミレイヌは上階から聞こえた声に振り向く。シェリルは半ば呆れたようにその声に対して返答をした。


「…………また上から呼びかけるの? 何とかとバカは高いところが好きとは言うけど、よくそのワンパターンを続けられるわね」


「シェリル様……何とかを言う方が逆……」


 緊張感の無さすぎるシェリルの言葉に、ティファニーは怒りながら身を乗り出した。


「こっちは真面目にやってんだから、少しは真面目に反応しなさいよ!」


「充分に真面目だってのこっちだって。だいたいフリント君に逆〇〇〇未遂しかけておいて、自分がマトモな側にいるなんて思わないでよね!」


 シェリルのデリカシーの欠片もない言葉にミレイヌは顎が外れるほどに口をあんぐりさせ、ティファニーは顔を真っ赤にしてシェリルを睨みつけた。シェリルはティファニーを挑発するように舌を出し、おどけた表情を向ける。


「ベーロベロベーだ。どうせアンタは何にもできないんだから、こういう時に挑発はし得ってやつでしょ?……ね?ミレイヌさん」


「わ……私に同意を求めないでください!」


 ティファニーは青筋をこめかみに浮かべるが、一度深呼吸をすると落ち着きを取り戻し、そして勝ち誇った笑みを浮かべる。


「……あなたが私を挑発するのは、私を直接倒すために隙を伺おうとしてるのかしら?」


 図星の回答を当てられ、シェリルは硬直しながら答える。


「……バレた?」


 ミレイヌは呆れながら補足するように言う。


「まぁ……バレバレですね……。色々副次的な被害は出ていますが……」


 ティファニーは自分の横に置いてあった例の“あれ”をシェリル達に見せるように持ち出した。


「でも、あなたの作戦はうまくいかない。……それに、こちらは切り札ってやつを切らせてもらうことにしたわ」


 シェリルとミレイヌは最初それが何なのか理解ができなかった。人間大の塊が建物の屋上の縁からはみ出しているようにしか見えなかった。しかしそれを理解して、シェリル達の表情は驚愕と――怒りに変わった。


「あんた……何してくれてんのよ!」


 シェリルは怒りながらティファニーに言う。ミレイヌは口を手で押さえながら絶句することしかできなかった。


「嘘でしょう……!? “お母様”……!」


 ティファニーの腕一本で辛うじて建物から落ちないように支えられている人間大のそれは、猿轡を噛まされ拘束されたセーラだった。建物の高さはおよそ10m。頭から落ちれば十分に重傷、もしくは死ぬ高さだった。


「動かないで!」


 ティファニーはシェリル達に叫ぶように言う。


「特にミレイヌ! あんたがあと一歩でもそこから動いたら容赦なく突き落とす。そこからなら、加速の紋章を使っても、庇うのには間に合わないだろうからね」


 ミレイヌは歯を食いしばりティファニーのいう通りにした。どさくさに紛れて万が一落ちても加速の紋章で抱きかかえられる範囲内に移動しようとしたのを読まれていた。


「……セーラ・ディローチはナタール家前当主ベイシスを殺害した罪ですでに死罪が確定していてね。まぁ後は色々と手を打ってこの作戦に使えるように持ってきたの。ミレイヌ、あんたと違って、6賢人ならではの“正攻法”だけどね」


「ティファニイイイイ!!!」


 耳をつんざくような絶叫が聞こえ、ティファニーはその声の主を見た。そして彼にも薄く微笑みを向ける。


「思ったより早かったじゃない。フリント」


「てめえ……! それだけは……!」


 フリントの表情は怒りで染まっていた。フリントも周囲の兵隊を倒した後、ティファニーの進んだルートを追いかけ、今到着したばかりであったが、状況は理解できた。そして頭を高速回転させ、ある一つの答えにも。


「……もしかしてベイシスさんを殺したのは、お前なのか……!?」


「それがどうかした?」


 ティファニーは誤魔化すことはしなかった。自分がした行為に正面から向き合う気であったし、自分が仮に間違っていてもそれを恥じることもしてやらないと覚悟していた。


「あなたはどこまで知ってるの?そこのシェリルとかいう、かわいい工作員さんから聞いた?あの爺が魔剣の紋章を保身のために売ろうとしていたことや、あなたの父親がくだらない世界征服を企んでいたことまで。私はそれを正すために行動してた。……あなたなら、わかるでしょう?」


 フリントは反論することができなかった。今ティファニーが言ったことはフリントも思っていたことであり、同時にすべきことであるともわかっていたからだ。


「……そこに転がってるリチャードは潔癖症だった。だから人質作戦が汚いことも分かっていたし、やっちゃいけない事だってわかってたと思う。……だけど負けたら全部お終いなのよ! あなたを逃がして、はい残念で済むような事じゃないの! なら私はやることは全部やってやる……! あなたが勝手に決意したように、これが私の決断なの!」


 フリントはどういう表情を浮かべているか、自分でもわからなくなった。――ティファニーのことは今でも好きだ。だが、もう相容れない。自分が彼女をあそこまで歪めてしまった。だがセーラを人質に取っていることは許せない。もう、感情の処理の仕方がわからない。


 おそらくこの場の誰もがそのような感情を抱いていた。――セーラを掴んでいる当のティファニーでさえも。だからティファニーは気づけなかった。セーラの、覚悟を。


「え……?」


 ティファニーはセーラを掴んでいた右手の感覚が無くなったことに気づく。全く想定していなかった感覚にティファニーは思考がバグって動きが止まってしまう。そしてそれが何を意味するかを気づいたときには、もう遅かった。


「お母さまあああああああ!!!」


 ティファニーが気づいたときにはセーラは宙に投げ出され――いやその身を投げ出していた。言葉を出せないように猿轡を嚙ませているので何かを言えるはずがない。だがティファニーにはこう言っているように思えた。


「ざまあみなさい」


 ティファニーはベイシスを殺したときに、セーラに全て冤罪を着せたときの事を思い出した。まさかあの時の意趣返しを――。


 数秒後、誰もが凄惨な映像を想像した。――だが、その映像は現実のものにならなかった。シェリルも、ティファニーも、ミレイヌも、フリントも、セーラを助けるために動くことができない中、一人、セーラをギリギリで救出できた者がいた。


「大丈夫ですか……セーラ」


 その者はセーラの猿轡を外し、両手両足の拘束具を剣で切った。そして近くの建物の陰に座らせる。


「さて……どうやら、邪魔者はおらず……舞台に役者は揃っているようだ」


 その人物の顔を見て、ミレイヌと――フリントは全身から汗を流す。フリントは緊張で胃が激しくうねりながら、僅かに肺に残った息で声を絞り出す。


「嘘だろ……お前は……!」


 その声を聴き、その人物は顔を笑顔で大きく歪ませながらフリントを見た。“邪悪”以外の形容ができないほどの歪み切った笑みだった。


「そこにいましたか……“兄さん”……!」


 ロードは左手に刻まれた紋章を激しく輝かせる。魔剣の紋章に対をなす究極紋章――聖剣の紋章を。

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