第1話 魔剣の紋章 中編
フリントは入り組んだ地下街を慣れた足取りで進み、上層へつながる階段を駆け上がっていく。そして荷物からフードを取り出して顔を隠すと、明るい街並みへと紛れ込んでいった。
ここはイシスニア第1区画。国から配布されている地図では、イシスニアは巨大な円の領土となっており、その円の中央にイシスニア王城が存在する。王城付近を第1区画。そこから距離が離れるごとに第2・3・4区画まで指定されている。
イシスニアでは古くなった街に上から石を積み上げることで、新たな街として整備してしまう慣習があり、誰も把握できない地下街が存在していた。そしてそれは不能者が隠れながら暮らすのに絶好の場所となっていた。先ほどフリントがいた不能者の集落もこの地下街に存在していた。
王城付近の第1区画ということもあり、人の往来は多く、商店街も賑わいを見せていた。遠くでは魔動列車の汽笛も聞こえ、先ほどの地下街とは打って変わって明るい雰囲気が街を包んでいる。だがこれはイシスニアでほんの僅かの上流階層の人間だけが得られる繁栄だった。2区画以降は上の人間たちとっても厳しいものであり、明日のパンの値段にすら悩むような欠乏を見せている。
フリントはなるべく人と顔を合わせないように人ごみに紛れ込み、自分の家へと向かった。上層に来たら逆に裏路地などは通ってはいけない。いつゴロツキに絡まれてもおかしくはない、そして絡まれようものなら不能者のフリントには勝ち目は無いからであった。そうして何とかフリントは自分の家へとたどり着く。王城近辺の一等地に存在する”六賢人ギミ家本邸”に。
屋敷の敷地は土地の値段が非常に高い一等地にも関わらず大きな庭付きであり、庭もとても綺麗に整備されていた。草木は生えていないが、代わりに石の彫刻が立ち並び、その壮麗さは6賢人という存在がこの世界でどれだけの権力を持っているかを公然に示していた。もう日は完全に暮れ、屋敷のところどころに灯りはついているが、庭の管理をする使用人たちも屋敷内に入って身体を休めていた。だがフリントはそれでも警戒し、誰とも顔を合わせないようにする。
そうして庭の隅に彫刻で隠すように建てられた掘っ立て小屋へとたどり着く。中に入ると灯りも何もついていないが、魔力を使えないフリントに灯りをつける術はない。だがフリントは慣れたように固い石のベッドに自分の荷物を置き、月明かりが差し込む机の前の椅子に座る。そうしてやっと一息つくと、急に目の前が真っ暗になり、何か暖かいものが目を塞いだ。
「だーれでしょうか♪」
背後から女性の声が聞こえる。フリントはもう慣れたとばかりに驚くわけでもなく、冷静に答えた。
「お前以外に誰が俺の小屋に入るんだよ。ミレイヌ」
「なんですか、つまらないですね」
フリントの目を隠していた手がどけられ、フリントは目を開けると小屋の灯りがついていた。そして振り向くと、メイドの服を着た黒髪の女性がフリントに優しく微笑みかけていた。彼女の名はミレイヌ。先祖代々ギミ家に仕える使用人の家系であり、彼女もまたメイドとしてギミ家に仕えている。そしてフリントが物心つく前から彼の面倒を見続けており、姉とも母とも言えるような関係だった。
「今日は少し遅かったですね……ってフリントその顔!?」
灯りがついたことでフリントの腫れあがった顔を見て、ミレイヌは心配そうに声をあげる。そしていたわるように両手で顔を包み、鼻と鼻が触れ合うくらいまで顔を近づけた。フリントは顔を赤くして、離すためにミレイヌの両手を掴んだ。
「ミレイヌ近い近い! 大丈夫だって骨とかに異常はなさそうだから!」
「大丈夫って……! また街の不良に絡まれたんですか!?」
「違う……ロードの奴にしこたま蹴っ飛ばされたんだよ」
フリントは何とかミレイヌの手を離すと、部屋の隅にある水瓶を取り、タオルを濡らして顔を冷やす。ロードの名を聞いたミレイヌは複雑そうな表情を浮かべる。
「そうですか……すみません……。"双子の兄弟"なのに……どうして……」
“兄弟”。その単語を聞いてフリントは顔をしかめる。
「兄弟じゃないよ。俺はもうギミ家の人間じゃない。いや”人間そのもの”ですら、ないんだから……」
× × ×
フリントは16年前、フリント・ギミとしてこの世に生を受けた。自分が生まれて1時間後には弟であるロードも生まれた。6歳のころまではギミ家の嫡男として何不自由無く暮らしており、また子供らしからぬ聡明さを持ち、神童として扱われ、一つ上の歳であるナタール家令嬢のティファニーとも婚約も決まっていた。ロードともこの時まではとても仲が良く、一緒にいない時間を数える方が早いほどだった。
だが6歳になったころ全てが変わってしまった。魔力への目覚めには個人差があるものの、おおよそ5歳までには魔法が使えるようになるのがこの国での常識であった。しかしフリントは6歳になっても使うことができず、検査を行ったところ、魔力不能者であることが判明したのだった。
“魔力不能者”。その言葉の意味は、単に魔法を使えないというだけではない。古来からこの国では罪人に対し、魔力を奪い不能者にするという刑が存在する。そして一度魔力を奪われると、子孫も魔力不能者として産まれるという性質があった。逆に言えば魔力不能者は犯罪者の家系であるというレッテルが存在し、それがこの国での差別感情を助長していた。そして正常な両親からはまず魔力不能者は産まれない、これがフリントの立場をとても難しいものにした。
両親ともに魔力を正常に持っているならばフリントが不能者になった理由は一つしかない。母側の不貞である。だがフリントの母は全く身に覚えがなく、正常に魔力を持ったロードの存在が事態を複雑にさせた。結果として何もわからないままフリントは存在してはならない異物として、ギミ家から廃嫡され、そのまま屋敷の地下で衰弱死するまで閉じ込められることになった。
だが母と、フリントと個人的に仲が良かったナタール家の当主たちが必死の説得を行い、何とか地下からは出ることは許された。だがやはり人間として扱うことはされず、他の不能者達と同じように暮らすことを強いられた。この過程で母は心労がたたり、わずか1年後に病気をこじらせて死んでしまうことになった。
× × ×
フリントの自虐にミレイヌはフリントを抱きしめ、胸を押し当てる。
「…………そんなこと言わないでください。あなたは人間です。間違いなく」
ギミ家から廃嫡され、この世に存在してはならないモノとされてからも、ミレイヌだけは常にフリントの味方でいてくれていた。自棄になったフリントが何故自分のようなゴミクズに気にかけてくれるのか聞いたこともあった。だがミレイヌは理由も言わず、常にフリントの傍にいてくれていた。――とても大きな代償を支払いながら。
ミレイヌはフリントを離すと、身支度を整えた。
「……今日は旦那様の”お世話”の日になります。ですから……その……」
フリントはできるだけ感情を出さないように答える。
「ああ。いいよ。灯りはもう消して」
ミレイヌはフリントからの返事を聞くと、部屋の灯りを消した。フリント自身で紋章を操作できない以上、誰かに身の回りの世話をすべてしてもらうしかない。だがギミ家としてはフリントには早く死んでもらった方がありがたい。そしてミレイヌはギミ家に仕える使用人の家系にすぎない――となればミレイヌがフリントを世話するためには、差し出さなければならないものがあった。
「……おやすみなさい。フリント」
「ああ、おやすみ。ミレイヌ」
ミレイヌはフリントの小屋から出ていき、辺りは静寂に包まれた。
フリントは机の上に置いてあった手帳を開き、微かな月明かりでそれを見る。――自分なりに調べて記載したイシスニアからの外への出方を。だがそれが無理だとも知っている。地平線まで続く石の密林、外へ出ようとする者を捉える兵士、古代戦争時にイシスニア全域に張られたとされる紋章障壁、そして不能者故に非力である自分、そもそも外の世界は戦争で滅んだと伝えられており、実際この1000年で外からの来訪もなければ、外に出たという話も聞かない。
外に出るという妄想は、まさしく自慰的な考えそのものである。だがフリントはこうでもしなければ自身の辛い現実に耐えきることができなかった。
そう物思いに耽っているうちに父の世話に行ったミレイヌのことを思い出してしまう。そして何もかも考えるのが嫌になり、暗い小屋の中を器用に歩きながら、石造りのベッドに寝っ転がる。そして薄い毛布を被り、両目を瞑った。
× × ×
目を瞑りながらフリントはタイレルとクーデリアたちと過ごしていたこの一か月を思い返していた。今でこそ不能者の集落の教師としての立場として慕われているが、そうなるまでに尋常ではない苦労があった。不能者達からすれば、6賢人の系譜であるフリントの存在なんてものは妬みの対象でしかない。フリントは何度もリンチに合い、死にかけてきた。
自分を人間として扱わないギミ邸にそれでも帰ってきているのは、不能者の集落で夜を過ごそうものなら、いつ襲われてもおかしくないからだ。そしてその辺の道端で眠れば不能者狩りに追われ、人目のつかない地下なら魔獣に襲われる危険性がある。
当然友人なんてものはできたことはない。なんとか不能者たちに勉強を教える立場に着いたのも、彼らに益のある行動をすることで襲われないようにする自衛のためなのが大きかった。ティファニーおよびナタール家に援助をしてもらうことで、かろうじてそのような立場に着くことができたのだから。
フリントがタイレル達を庇ったのは最初は親切心からだったが、その世話をしている中でタイレルがこのイシスニアの現状に非常に詳しいことを知り、教えてもらう機会が多くあった。今まで聞いたことがない話を聞くことは本当に楽しかった。クーデリアもタイレルの話を共に聞き、フリントに勉強を教わりながら、共に過ごす時間は楽しいものだった。初めて友人と呼べる者ができたと思った。そう初めて――。
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