第1話 魔剣の紋章 後編①

 フリントは身体を震わせて目を覚ます。身体が冷え切っており、手足がガチガチに固まっていた。すべて石造りのこの世界は昼と夜の寒暖差が非常に激しい。そのため各家庭に暖房の紋章が置かれているのだが、フリントはその紋章を自分で使えないので持っていない。仕方なく毛布を羽織りながら立ち上がると、屋敷の裏手に向かうために外に出た。屋敷の中に入ることはできないが、暖炉の後ろ側の壁からの放射熱で少しは暖まることができるからだ。


 その時だった。今は深夜のはずなのになぜか空が赤くなっているのを見たのは。


「なんだ……?」


 フリントは背筋に冷たい何かが走るのを感じた。寒さのせいではない、何か気づいてはいけない何かを気づいた汗だった。急いで屋敷の敷地の外に出て、空が明るくなっている方角を見渡せる場所へ向かう。そこで見たのは信じられない光景だった。


「嘘だろ……!? そんな……まさか……!?」


 街の一角で火の手が上がっていた。木造の建物が少ないイシスニアでは火事でここまで火が燃え上がることはない。だが紋章の力を使えば火を起こして、わずかに使われている木材や、布などに火の手を巻き上がらせることができる。そして燃えていた場所は、不能者達の集落がある場所だった。


「何が起こってるんだ……!? 何が!?」


 驚愕するフリントだったが、心当たりはあった――。昼に集落に来たロードと兵士たち。何か盗まれた紋章を探している、不能者の集落に逃げ込んだとの情報。それらが導き出す結論は一つ。


「皆殺しにしてでも紋章を持ってるやつを探し出すつもりか……!」


 そうとしか考えられなかった。このような不能者狩りは至る所で起こっている。フリントも何度か不能者狩りに遭遇し、そのたびに命からがら逃げだしてきたことがあった。本来なら自分がもうどうこうできる状況ではないので見なかったことにして寝るしかない。だが、あることがそれを許さなかった。


「クーデリア……タイレルさん!」


 フリントはミレイヌに助けを求めようとした――。だが足を動かそうとした時に思い出す。


「ミレイヌ……今日は親父の世話の日だった……!」


 ――ミレイヌに助けを求めることはできない。だがフリントが行ったところで何もできはしない。しかし、そんな無力感に打ちひしがれている暇はフリントにはなかった。羽織っていた毛布をマントの要領で身体に結び付けると、何も考える間もなくフリントは走った。


「今の時間帯なら路地裏を通っても誰にも会わないはず……! 近道を使って全力で走れば、15分くらいで着くはずだ……! クーデリア! 待っててくれよ!」


 集落に火の手が上がり、悲鳴があちこちで聞こえる中、クーデリアはテントの中で声を噛み殺して震えていた。タイレルが全く身動きが取れない以上、クーデリアも動くことができなかった。


「おじさん……どうしたらいいの……!?」


 クーデリアの震える手をタイレルはそっと握り返す。だが彼らの目的が自分たちである以上、ここに隠れていたところでいずれ見つかってしまう。手は打ってあるがそれが間に合うか否かは――。そう考えている間に足音が聞こえてくる。クーデリアたちは息をひそめてその足音が過ぎ去ってくれることを祈った。――だがその足音はクーデリアたちのテントの目の前で止まってしまう。タイレルは力を振り絞り、手元に置いてあった剣を握る。そしてテントの幕が勢いよく開けられるが、開けた人物の顔を見てクーデリアたちは安堵の表情を浮かべる。


「フリント……!」


「悪い……遅くなった」


 テントを開けたのはフリントだった。ここまで全力疾走で駆けてきたため肩を上下に動かして荒い息をしている。クーデリアは思わず泣きだし、フリントに思いっきり抱き着く。フリントはクーデリアをなだめながら、タイレルの様子を見る。やはり立ち上がるのは困難な様子であった。タイレルも察したのかフリントに言う。


「フリント……頼みがある……」


「ええ、わかっています」


 フリントはクーデリアを離すと、タイレルを背負い、持ってきた毛布で自分とタイレルを括り付けようとする。タイレルは驚きながら言う。


「な……! フリント! 違う。お前は早くここから……!」


「”俺を置いてクーデリアと逃げろ”ですって? 冗談じゃない。そんなのは一番最後の選択肢ですよ。まずは全員で逃げて逃げ延びる! そっから考えましょう!」


 タイレルはフリントの力強さに驚き――そして確信した。彼に出会ったのは運命であったと。そしてようやく覚悟というものが己の中にできたと。


「フリント、降ろしてくれ。……頼む」


 今までの瀕死が嘘のような力強い声であった。その気迫にフリントはタイレルの覚悟を感じ、地面に降ろす。タイレルはよろよろと立ち上がると、クーデリアの前に立った。


「……クーデリア。約束を守れなくてすまない。俺はここまでだ」


「おじさん……!」


「フリントについていくんだ。……フリントならきっとお前に”外”を見せてやれる」


 ――外?フリントは二人の会話を聞き、この単語が頭に突っかかった。外とは――?


「フリント」


 タイレルはフリントの肩に手を置く。


「今から俺は自分の人生を、矜持を放棄してお前に頼む。初めてお前と会ったあの下水道。あそこをまっすぐ行けば時計台の真下の広場に着くようになっている。……そこで俺の仲間と合流する手はずになっている」


「タイレルさん、あなた……!」


「お前にこんな役割を押し付けてしまうことになってすまない。だけどお前と出会えた事は俺の何よりの幸運だった。頼む。クーデリアと共に外の世界に逃げてくれ……!」


「外の……世界……!?」


 フリントは胸が高鳴った。すでに滅んだと伝えられてきたイシスニアの外。ここではない自分が自分として生きられるかもしれない世界。そこに出ろと、タイレルは言っているのだから。だがそんな感傷に浸っている暇はなかった。


「いたぞ!」


 遠くの兵士がフリントたちを見つけて指をさす。タイレルは力強くフリントの身体を突き放す。そして右手に魔力を集中させた。


「いいから行くんだ! 俺もいつまで持つかはわからないんだ!」


 二人の兵士がフリントたちの下へ向かいながら、戦槍(バトルスピア)の紋章を起動させ、宙空から身の丈ほどの戦槍を出現させる。戦槍を構えながら向かってくる二人の兵士に対し、タイレルは電撃魔法を放ち、衝撃を与えてけん制し、動きを止める。しかし魔力が足りないのか、兵士たちも少しひるむ程度であり、足を止めるほどに効いていなかった。


「行け!」


 タイレルは二人に向かって叫んだ。


「おじさん!」


 クーデリアはタイレルに向かって手を伸ばすが、フリントはクーデリアを抱えた。


「タイレルさん。……今まで、楽しかった」


 フリントが謝るように言うと、タイレルは笑顔で返す。


「……本当にすまない。あとは……頼む!」


 フリントは振り返らず、全力で駆けていく。クーデリアはフリントに抱えられながらも、なおタイレルに手を伸ばし続けた。


「おじさぁぁぁん!!!」

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