第1話 魔剣の紋章 前編②

「おいゴミクズ共が! そこに並べ!」


 広場の一角で、鎧を着た兵士2人が不能者に対し槍を向け、並べさせていた。示威行動のために斬られたのか血を流して倒れている者もいる。不能者を並べさせた後、兵士の1人が近くにいた黒髪の青年に対し、敬礼をしながら報告をする。


「ロード隊長! この場にいた不能者共を整列させました!」


 ロードと呼ばれた青年は薄く微笑みながら答える。その顔はまるで傷が刻まれていないフリントと言えるほど似ていたが、身にまとう雰囲気はむしろ真逆――。傷だらけでありながらも優男な印象であったフリントと違い、ロードは他者を威圧するような印象を与えていた。


「ご苦労」


 ロードは並んでいる不能者達をそれぞれ睨めつけながら、彼らの前を歩く。


「さて、君たちにこうして並んでもらっているのには理由がある」


 ロードは腰にかけた剣を抜き、並んでいた初老の男性の首元に突き付けた。その男性は恐怖から腰を抜かして倒れてしまう。


「……動くなといったはずだが?」


 ロードは一切の感情を含めずに言い、剣を振りかぶる。そして剣が男性に当たる直前に、何か黒い影が男性の目の前を通り過ぎ、ロードの剣は空を切り、地面にぶつかり音を立てた。ロードが不機嫌そうにその影が通り過ぎた方向を見ると、フリントが息を切らせて、男性を庇っていた。


「はぁ……はぁ……ロード……様……! 一体彼らが何をしたっていうんですか!?」


 ロードはフリントを見ると下卑た笑みを浮かべ、フリントに近いた。そしてフリントの顔面に思いっきり蹴りを入れる。フリントは防御もすることができず、鼻血を流しながら顔をのけ反らせて倒れた。


「フリントか……貴様はまだ自分の立場がわかってないのか?貴様が僕に何か質問をしていい立場だと思っているのか?」


 ロードはこめかみに血管を浮かべながら、無理やりに笑顔を顔面に張り付けながら言う。フリントは激痛に鼻を抑えながら、フラフラと身体を起こして答える。


「い……いえ……」


 ロードはフリントの反論にさらに怒りながら、今度は頬を蹴飛ばした。


「じゃあなんだその目は! 貴様なんかいつでも殺しても構わないんだぞ! 僕の温情で生かされているということを少しは理解したらどうだ!」


 ロードはさらに顔面に蹴りを入れる。フリントは抵抗できず、ひたすらロードの暴力を甘んじて受けていた。だが目の光だけは消えず、ロードを睨む。それがロードをさらに不愉快にさせ、暴力を助長させた。


「おやめください!」


 この場に似つかわしくない気品さを持つ女性の声がして、ロードは足を止める。


「……おやおやティファニーじゃありませんか?どうかしましたか?」


 ロードは”婚約者”としての態度をティファニーに向けながら言った。ティファニーはフリントに今すぐ駆け寄りたい欲求を何とか抑えながら、ロードの下へと寄って歩く。


「貴方はまだ人を集めた理由をおっしゃっておりません。それなのにただ剣を振りかざしているだけでは、この人たちも答えようがありません!」


 ロードは息を切らして蹲っているフリントを一瞥し、舌打ちして剣を鞘に納めた。


「…………申し訳ありません。この薄汚いゴミクズ共を集めさせるために、血を見させる必要があったんですよ。ああそうそう。ここに不能者共を集めたのは、あなたにも関係があるんですよ」


 ロードは整列させた不能者達に向き直り、叫び捨てるように言う。


「1月前! このナタール家ご令嬢の屋敷から、ある紋章が盗まれた! 機密故に紋章の種類を話すことはできないが、その輩がどこかの不能者の集落に逃げ込んでいるとの情報を掴んでいる! お前たち! 何か知っていることはないか!」


 ロードの言葉に並んでいる不能者達はざわつき始める。だが彼らも心当たりがないのか暫くたっても名乗り出るものはいなかった。


「なお、庇っていても無駄だ! すでに証拠は固まりつつある! もし庇っていることが分かったのなら、貴様ら諸共死罪となるぞ! いいのか!」


 兵の一人が大声で叫び、不能者達に通告する。だが彼らには答えようがなく、ただ狼狽えているだけであった。――ある一人を除いては。そしてその一人をティファニーは見ていた。 

  

 脇腹を抑えて地面に突っ伏しているフリントであったが、その顔色は明らかに悪くなっていた。名乗り出るものがいないとわかると、ロードは鼻を鳴らし、その場から離れようとする。


「どうやらこの集落ではないようだ。明日は別の集落を回るとしよう。……帰りますよ、ティファニー」


 ロードはティファニーの腕を強引に掴むと、フリントに手を振った。


「じゃあ、これで僕は先に帰りますよ。あなたも暗くなる前に帰ることです。“兄さん”」


 フリントは腫れ上がり始めた顔を抑えながら、集落から離れていく”弟”を、そして近場に隠れさせたクーデリアへと視線を向けた。クーデリアはフリントに駆け寄ると、不安そうに腕を掴む。そんなクーデリアにフリントは優しく声をかける。


「ありがとな……クーデリア。ティファニーを呼んだのはお前なんだろ?」


 クーデリアはフリントの腕に顔を押し付けながら頷いた。フリントが現場に駆け寄る前にクーデリアを隠したのには理由があった。恐らく彼らが捜しているのはクーデリアと――もう一人、クーデリアと共にこの集落に来た者だと、フリントは直感していたからだ。なぜならクーデリアは”魔力不能者ではない”のだから。



 フリントはクーデリアに手伝ってもらい何とか立ち上がると、クーデリアが寝床にしているテントへと向かった。道中顔を痣だらけにし、脇腹を抱えて歩くフリントに、集落の人たちは心配して声をかける。


 フリントは問題ないと彼らに言いながら歩いていくが、内心は気が気ではなかった。魔力不能者は相手が魔力を持っているかどうか感知することはできない。故に先ほどの尋問でクーデリアの名前は出てこなかった。ひと月前に来た人間という符号も、不能者の集落は人の出入りが激しいという点が皮肉にも迷彩になった。だが調査が続いていけば、いずれ兵の誰かがクーデリアを見つけるかもしれない。そしてそれは、“クーデリアのテントにいるもう一人”にとって問題であった。


 クーデリアのテントに着いたフリントたちは中に入る。テントに入ったクーデリアは寝床で寝ていた男性の枕元に腰を下ろし、持ってきた水をコップに注ぐ。フリントたちの気配を感じ、男性は目を覚ましたが、顔を上げることも苦労するほどに衰弱していた。


「や……やあ……。クーデリアたちか……おかえり……」


「喋らなくていいですタイレルさん。今食事を用意しますから。ああ、あと薬も持ってきました。一度食事を取ったら飲みましょうか」


「ああ……すまない……ありがとう」


 タイレルと呼ばれた男性は、苦しみながらも笑みを作ろうとするが、咳こんでしまう。フリントは何とか起き上がろうとするタイレルの腰を手伝って上げさせる。そしてクーデリアに支えるように指示すると、自身は衰弱しているタイレルが食事をとれるように、貰ってきた炊き出しのパンを細かく砕き始める。


「おじさん……大丈夫……?」


 クーデリアはタイレルの背中をさすりながら、水を入れたコップをタイレルの口元へと寄せる。


「ああ、大丈夫……大丈夫だ……」


 だが水を嚥下することすら苦労するのか、タイレルは口に入れた水をうまく飲み込めず、吐き出してしまう。クーデリアは自身が濡れることも構わず、タイレルの口元をやさしく拭いてやっていた。


 1月前にフリントが偶然、集落の下水道の入り口近くで二人を見つけたのが始まりであった。最初はフリントも純粋な親切心から彼らを保護していた。特にタイレルの衰弱具合はひどく、素人目に見ても助かるかどうか怪しいものであり、そうなれば少女が一人でこのスラムに捨て置かれてしまう。それはある意味不能者狩りや魔獣に追われることよりも危険なことであった。弱者はさらなる弱者には容赦がなくなるのだから。


 フリントはタイレルが何とか食べられるよう、細かく砕いたパンを水に浸し、飲み込みやすくして、タイレルの口へと運ぶ。1月前に保護したときよりも体調は悪化しており、あと数日生きられるか、そう感じさせるほどに生気が身体から感じられなかった。クーデリアは甲斐甲斐しくタイレルの世話をしており、その様子は兄妹というより、親子のようなものを感じさせた。フリントは二人の関係をあえて何も聞いていない。脛に傷を持つ者なんてものはこの集落にはいくらでもいるのだから。しかし、フリントは先ほどあったことを伝えなくてはならなかった。


「……タイレルさん。先ほど兵士たちが来ていました。不能者の集落に逃げ込んだ何者かを探していたようです」


 フリントの報告にタイレルは押し黙る。だがフリントは続けて言った。


「このままだと時間の問題です。俺も魔力不能者だからはっきりとは分かりませんが……あなたとクーデリアの二人なんでしょう?ティファニーの家から紋章を盗んだっていうのは」


 フリントの真剣な表情に、クーデリアは不安な顔をしてタイレルを見る。だがタイレルはクーデリアを落ち着かせるように頭をなでると、力を振り絞ってフリントの目を見る。


「明日。明日すべて話す。だが、今日は頼む。準備をさせてくれ……。この集落の人達に迷惑をかけることは絶対にしない。……後生だ」


 タイレルは弱り切った身体を無理やり起こし、フリントに頭を下げる。咳き込みながら頭を下げるタイレルにフリントは慌てて身体を起こしてやる。


「……わかりました。明日また来ます。その時にすべて話してください」


「おじさん。大丈夫だよね?また元気になるよね?」


 テントの外で帰り支度をするフリントに、クーデリアは不安そうな声で質問をする。フリントは答えに詰まる。本当は医者に連れていきたいが、不能者である自分がそのようなことができるはずもない。


「ああ。大丈夫。元気になるようにまた明日美味いもんでも持ってきてやるから……だから……」


 フリントは無理やり笑顔を作って答えた。クーデリアも内心はタイレルがもう手遅れであること理解はしている。だがそれを年端もいかない少女に覚悟させろというのはあまりにも酷であった。クーデリアもそのようなフリントの想いを察すると、笑顔で手を振ってフリントを見送った。フリントもそれを手を振って返してやり走っていく。すでに日は暮れ始めており、フリントの家はこの集落から1時間ほどかかる場所にあった。――魔力不能者が本来足を踏み入れられない場所に。

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