決断の価値―この石の密林から自由を目指す―
@gurefa
第1話 魔剣の紋章 前編①
あらゆる生命や自然に存在する力を『魔力』として利用する術を得て、高度な発展を遂げた国『イシスニア』。この国では『紋章』と呼ばれる魔力を効率的に使う技術が浸透し、日常生活のあらゆる所で魔力が利用されていた――。
「そっちへ行ったぞ!」
軽装の鎧を着た兵士たちが石造りの町の中を駆け回っている。彼らが駆けている前方には、ボロボロの身なりをした青年が“戦利品”を持って兵士から逃げ回っていた。青年はフードを深めに被り顔を見られないようにしていた。
「くそ……! しくじった……!」
その青年は曲がりくねった路地を走って抜けていくが、路地の出口に到着する直前、その出口から別の兵士が姿を現す。
「この“不能者”が! 俺たちのモノを盗むとはふてえマネしやがって!」
「金が払えないんだ! そんなのどうしようも無いじゃないか!」
深めに被ったフードから少しだけ見える青年の顔には、無数の傷が刻まれていた。顔だけではない、体中に傷の無い箇所はなかった。その傷がこの青年がここまで生きるにあたって、どれだけの凄惨な目に合ってきたかを克明に表していた。
「お前の言い訳なんぞ知るか! 総員! 紋章を展開しろ!」
兵士の一人の合図と共に、青年を挟み撃ちにしていた兵士たちは右手に刻まれた“紋章”を起動する。すると何もない中空から背丈ほどはある槍が出現し、兵士たちはその槍を青年に対して構えた。
「どうやら“生きて捕らえる”、なんてお優しいことは全然考えてないって事だな……!」
青年は右手を上げて指を鳴らした。
屋根の上で白髪の少女は景色を眺めていた。地平線まで石造りの建物が並び、青く晴れている空にはモヤのような障壁が貼られ、太陽の光が揺らめいていた。少女はその景色を見ながら呟く。
「石の密林……か」
そして合図である指を鳴らす音が聞こえ、少女は階下を覗き見た。そこでは青年が兵士たちに囲まれ、武器を突きつけられていた。青年は白髪の少女が姿を現した事を確認すると、兵士たちに向かって笑みを浮かべて言う。
「今だ! 落とせ!」
青年の合図とともに、白髪の少女が屋根に積まれていたガレキを兵士たちに向けて落とす。兵士たちは防御するために槍を上空に構えると、その槍は盾のような形に変形した。
「上からの攻撃だ! 防げえええ!!!」
「あんがとさん」
その兵士の合図と共に、青年は出口に向かって駆け出す。
「バカな!? お前もガレキに……!」
兵士の一人は青年の行動に驚くが、同時に自分たちの致命的なミスに気付いた。
「しまった……! こいつ俺たちを盾に……!」
兵士たちが自分たちを守るために展開した盾が、皮肉にも青年がそこを通り抜けるための盾になってしまっていた。兵士たちが降ってきたガレキの防御で動けなくなっている間、青年は悠々とその間を通り抜け、近くにあった下水道から地下へと抜け出す。
地下は建て増しの影響で、地図もなく入れば同じ場所に戻ることは保証できない迷路と化していた。兵士たちの中で地下の地理に明るい者はおらず、追跡を断念せざるを得ない状況になってしまった。
「フリント! 無事だった?」
地下の曲がりくねった道を逃げている最中、フリントと呼ばれた黒髪の青年は、被っていたフードを取り、自分の名前を呼んだ方へと顔を向ける。
「ああクーデリア、ナイスだったよあのタイミングは」
フリントの名前を呼んだのは先ほど屋根の上からガレキを落とした白髪の少女で、フリントが逃げているどさくさに紛れて、少女もあの場から逃げていた。その少女をクーデリアと呼んだフリントは手を伸ばし、クーデリアもそれに合わせて手を伸ばしてハイタッチをする。
「これで”あの人”に薬を持って行ってやれる……! まずは集落に戻って、用を済ませてからだな」
× × ×
「逃がしたのか……」
兵士たちは不能者を逃がしてしまった報告のために詰所に戻っていた。そこには先ほど逃げていた青年と同じような顔をした――しかし傷が一切刻まれていない青年が、兵士たちの前に立っていた。この中では一番年下のように見える青年であったが、一番気品あふれそして――堂々としていた。すぐそばには同年代と思われる眼鏡をかけた少女がおり、その青年に身を寄り添っていた。
「申し訳ございません……ロード隊長……!」
ロードと呼ばれた青年は、謝っている兵士長の顎を掴むと、歪んだ笑みを浮かべる。
「まあ……誰にもでも失敗はあるものだ。僕だって常に成功している訳ではない」
ロードからの励ましの言葉に兵士長は安堵の表情を浮かべるが、次の瞬間、兵士長のつま先から尖った石が飛び出し、兵士長は苦悶の叫び声をあげる。
「うああああああっっっ!!??」
兵士長が痛みで蹲ると、ロードは声をあげて笑う。
「アッハッハッハ! まあこれくらいで勘弁しておいてあげるよ。これだけされたら上に報告に行かずとも、言い訳がつくだろう?」
任務に失敗した兵士が本部へと報告しなくともいいように、ロードのところで個人的な禊を行わせ内々に済ます。確かに本部に報告すれば今後の進退にかかわる罰が与えられかねないことを考えれば、むしろ優しいとも言える処罰ではあった。
「あ……ありがとうございます」
だがやられる方はそう気持ちのいいものではない。兵士長は渋々頭を下げてロードに謝った。ロードは手を振ると、傍らにいた少女の肩を抱き、その場から離れていった。
× × ×
イシスニアではごく一般的に使われる”紋章”の技術は、イシスニアを大きく発展させた。だが強すぎる力は争いを呼び、世界中が紋章の力を持つイシスニアを敵視した。そしてそれはイシスニア対世界の終末戦争にまで発展することになった。そしてイシスニアが他の世界全てを滅ぼすことで終結した戦争から1000年が経った――。
「…………という訳で、1000年前に世界中が破壊されることになった最終戦争があったと言われています。この戦争の中で、イシスニアは”究極紋章”という絶大な力を持った紋章を使い、戦争に勝利しました。ですがその代償は大きく、このイシスニア以外の外の世界は滅んだと伝えられています」
屋根のない廃屋の下、先ほどまで兵士に追われていたフリントはそんな事がなかったかのように平然としており、黒板にイシスニアに伝わる歴史の要点をまとめた文章を書いていた。彼の前には机に座る子供たちや、部屋の後ろで立ちながら黒板を見る大人たちがいた。――彼らは揃って着ている服はボロボロで、清潔でない身なりをしていた。
「……こういった歴史もあり、イシスニアでは全てにおいて紋章を利用する文化が発達していきました。……それは私たちのような”魔力不能者”が冷遇されるといった土台も作られることとなりました」
『魔力不能者』――。それは人間なら持っていて当たり前の魔力を持たない者を意味する。生活のあらゆる箇所で紋章を使用するイシスニアでは、それは致命的な障害であった。むしろ生命を持つものなら持って当たり前のものを持たない彼らは、"生きていない"と同然の扱いをされていた。
「……これがイシスニアに伝わる一般的な歴史となります。歴史というものは文化であり、文化とはその土地の人の在り方そのものです。このイシスニアに住んでいる私たちが、どのような歴史を紡んできたことを知ることは決して無駄ではありません。……そこに現状の突破の糸口が見つかるはずだからです」
フリントは不能者たち相手に行っていた歴史の授業を、自らの言葉を含めて締めた。イシスニアでは誰もが知っていて当たり前の歴史ではあるが、不能者の彼らにはそのようなことを学ぶ機会さえ、滅多に得られるものではないからだ。
フリント自身も不能者である。だが、他の不能者たちと違い、過去に教育を受けたことがあった。彼は集落で学校を開き、今まで教育というものを受けたことがない不能者達に勉強を教えていた。彼は16歳程度にも関わらず、8年以上前からこの集落で学校を開いており、今では多くの不能者達から慕われる存在となっていた。
彼の横では白髪の少女――先ほどフリント共にいたクーデリアが手伝いをしていた。クーデリアはフリントの言葉から今日の授業が終わったと理解し、持っていた他の教科書を彼に手渡す。
「ありがとなクーデリア」
フリントは礼を言い、クーデリアは言葉を発さずににっこり頷いた。クーデリアは比較的無口であまり話す事はなかったが、馬が合うのか二人は常にいることが多かった。
「これで今日の授業は終わりです。明日は算数の授業を行いますので、今日来れなかった人にも伝えておいてください」
フリントは黒板の文字をそのままにして離れていく。多くの生徒はノートやペンの類を持っていない。なので覚えてもらうためにはそのままにせざる得ないという事情もあった。使っている教科書もフリントが拾った、もしくは譲ってもらったものであり、とてもではないが彼らに配るような余裕はなかった。
「先生ー! お願いがあるんですけどー! これ教えてくださーい!」
「あ! 私も私もー!」
学校代わりの小屋から離れようとすると、フリントは子供たちに捕まり、腕を引っ張られて止められる。子供たちの後ろには多くの人が列を作って待っており、彼らもまたフリントに質問したいことがあったのだった。
「ああ~……すまないな。これからちょっと用事が……」
「ええ~! 教えてよ先生~!」
フリントは困ったような嬉しいような――そんな表情を浮かべた。自分が勉強を教えた結果、彼らが勉強に興味を持ってもらえることは嬉しかったが、急がなければいけない理由があった。うまい断り方を思い浮かばずに右往左往していると、彼らの後ろから、この場に似合わない、とても上品な身なりをした金髪の女性が現れ、手をたたいた。
「ほらほら! フリントの身体は一つしかないんだから困ってるでしょ!? あっちで炊き出しとお菓子配ってるから、今は向こうに行ってね?」
「お菓子!? わかった! じゃあ先生! 今度教えてねー!」
フリントに勉強を教えて貰いたがっていた子供たちは、食事の誘惑には勝てなかったのか、みんな炊き出しの方へ行ってしまった。彼らが離れていくのをその女性は手を振って見送り、そしてフリントに向き直った。服装は優麗としたものであり、化粧はいくらか薄いくらいだったが、気品さはまるで隠せていなかった。
「助かった?フリント」
その女性はフリントのことをきさくに呼ぶ。しかしフリントは目をそらし、心苦しそうに返事をした。
「……ええ。ありがとうございます。ティファニー……様」
彼女の名はティファニー・ナタール。このイシスニアを統べるとされる6賢人の一柱、ナタール家の令嬢だった。本来フリントが彼女と話しているだけで牢屋行きは免れないほどの身分の差が存在していたが、彼女からはそのような意識は感じさせなかった。――それは単に彼女が不能者へも隔てなく施しを行うといった善の部分ではなく、もっと感情的なものがあった。フリントもそれを自覚していたが、意識して無視をするように話す。
「今日もボランティアの炊き出しに来ていただき、ありがとうございます。本来であれば貴女のような立場の方がこのような場所に来ること自体、難しいことであるはずですのに」
他人行儀で話すフリントに対し、ティファニーは悲しげな表情を浮かべ答える。
「ええ。けれどもおじい様も国の不能者達に対する扱いのひどさには心を痛めてるから……。私もこれくらいしかできないけど」
二人の間に気まずい雰囲気が流れる。しばらくの沈黙の後、ティファニーが切り出した。
「……もう私たちは昔みたいになれないのかな」
ティファニーはフリントの手をそっと握ろうとするが、フリントは自分の手を慌てて反らした。そしてティファニーから距離を取り、顔を背けながら言う。
「…………すみません。ですが貴女はもう来月にはロード様とご結婚される身です。……不能者である私が貴女と話していること自体、私自身の身の危険すらあります」
拒絶されたティファニーは暗い表情のまま、改めて手を伸ばそうとして――諦めた。そして自分の手を強く握ると、笑顔を無理に作って答える。
「ええその通り。……ごめんなさい。また今度ね」
ティファニーはフリントの顔を見ずに振り返って離れていく。ティファニーが離れていくのを察し、フリントはようやく振り向き、手を伸ばそうとして――そして諦める。うなだれるフリントに対し、一連のやりとりを空気を読んで見守っていたクーデリアが慰めるようにフリントの手を握る。何かを言うわけではなかったが、今はその沈黙がフリントにはありがたかった。
「……わりーなクーデリア」
フリントはクーデリアの手を握り返した。あまり感情表現が得意でないクーデリアも、フリントの前では素直に感情を示すことが多く、長年共にした相棒といった雰囲気だった。――ただ彼女とフリントの間には決定的な違いがあった。
「うわぁぁぁぁぁ!!!???」
集落の離れから男の叫び声が聞こえ、フリントは無理やり現実へと頭を引き戻される。フリントはクーデリアと共に、その叫び声の下へと向かった。
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