メインディッシュ『胃袋と鮎川愛佳』
41 彼岸と此岸
数ヶ月前。ベランダのヒナソウが開花した時は本当に嬉しかった。水をやるたび、花びらの上を滑る
数週間前。次第に、水をやるのが面倒臭くなっていた。気づいたらヒナソウは枯れ、それを見下ろしながら、やるせなくなった。
昨日。
「ねえ……これ、どうすんの?」
あからさまに眉をひそめ、両目の間に小さな谷を作った。先ほどまで動いていた人間がぴくりとも動かなくなるだけで、これほど不気味とは。
「ふたりはこのまま帰って。あたしが、なんとか……するから……」
愛佳を見ようとしない未来の目線は、どことなく富士彦を捉えている。自分が好意を寄せる男子に助けを求める。これが女子の本能か。とはいえ彼は、殺人を容認するほどマヌケではないだろう。
富士彦は、痛みを顔に宿しながら立ち上がり、
「なんとか……できるわけないだろ! 自己犠牲も、そこまで行くとただの独善だからな! でも、どうにかしないと……どうする……」
未来に近づき一喝したあと、良からぬ発言にいたった。
「いや、あたしひとりで食材を処理すれば……」
反対に、うつむきながら言い返そうとする未来の声は震えている。
「小食のみぃちゃんが、ひとりで会長さんを食い尽くせるわけないじゃん。じゃあバラバラにする? ドロドロにしてトイレに流す? 海にばら撒く?」
愛佳は、まともな判断を失った両者の会話を分断した。ふたりが他人を庇おうとしているのは明らかだった。それが、現実から目を逸らすのと同義だと気づいていないのも明らかだったのだ。
「そんな非人道的な……。それに、この町の法に反するし……」
「この町じゃなくても犯罪だよ。そんじゃ、生き残る方法はひとつじゃん。三人だけのパーティを開くんだよ。いったん整理しようか? みぃちゃんは【五大の罪】を恐れてるけど、友人を助けたい。フジさんは、なんとかこの状況を打破したい。ふたりともお友達想い。だけど――」
愛佳は接続助詞をわざとらしく伸ばし、
「わたしから言わせてもらえば、ふたりの感情のほうが非人道的だよ?」
いつものあっけらかんとした口調で、反面――ドスの利いた低い声で言い放った。その豹変に、富士彦はあからさまに動揺し、未来は言葉を返せない様子だった。
「人を殺したら裁かれる。けど、時は戻せない。じゃあ、その罪を隠しきって今日の一件を
「犠牲もなく生きられるわけない。なにかの死の上に立って、俺たちはお
富士彦が言い淀んだ。柔軟性の足りない、お利口さんな反論だった。
「んじゃ腹を括りなよ。もしふたりが、みんなで仲良く助かりたいなんて夢物語を考えてるなら、これを食材として見るのが賢明な判断でしょ? あはっ」
犯罪を
それを納得するだけの勇気と愚考が足りないのだ。
「さながら、わたしたちは
「い、一番イカれてるのは……」
富士彦はおぼつかない足で調理台に手をつくと、未来は咄嗟にその体を支えようとした。愛佳を見据えてくる富士彦は、その先の失言を
愛佳はイカれた人格を演じるうち、その人知を通り越し、
当然、愛佳の性格を考えれば、犯罪者なんて切り捨てて、真っ当な人生をひとりで歩み続ける。が、こうして殺人を目の当たりにし、感情が変わりつつあった。
人ひとりの人生が、どのように狂ってしまうのか?
みんなで『仲良く狂う』ことに、どれだけの意味があるのか?
過食と嘔吐を繰り返し、その過程で、時には非常な思考に苛まれることもあった。幻覚のごとく、人肉を思い浮かべることもあった。この寝転がったモノに興味がないと言えば、それはそれで嘘になるのだ。キッカケが舞いこんできた――と責任を転嫁すれば、禁忌を犯しても正当化される気がした。
「ねえ、富士彦」
不意に未来が、息が届く距離まで富士彦に顔を近づけていた。が、返事はない。うつむいたまま、いやいやと子供のように首を振るだけである。
「あとは好きなように動いて。通報でも絶縁でも……キミの自由だよ」
彼の意に介せず続けた言葉は、つくづく中途半端な物言いだった。突き離さず、自分の思いのままに動かそうともしない。言葉の上では優しいと勘違いする輩も居るだろうが、未来は最も相手を傷つける表現をしていた。
「そうだね。フジさんは帰って良いよ」
反面、愛佳は淡白な物言いで富士彦を突き放そうとした。それでも彼は、ゼンマイが止まったブリキのオモチャのように突っ立っている。
未来の目線はもう富士彦にはなく、今際の際の
「みぃちゃん、コレ運ぶ? てか引っかかれた? せっかくのモチ肌なのに」
「大丈夫。トイレの奥に調理場があるらしいから、運ぶならそこに」
おもむろに未来が死体の両脇を持つと、愛佳も率先して運搬を手伝おうとしたが、
「オッケ……よいっしょ! って……小柄とは言え、人間は重いやね」
女子ふたりで、えっさほいさ――仏さんを、体重四十キロ未満の小柄な少女と甘く見ていたが、やはり自立しない人間は『お荷物』である。
「だぁ……女子ふたりじゃ厳しいな。フジさーん、やっぱ手伝って? ほら早く」
愛佳は力仕事が嫌で、すかさず富士彦に声をかけた。途端、顔をしかめていたのは未来だった。それだけ無茶苦茶な要請だったのだ。愛佳は構わず、死体の側まで富士彦を引っ張ると、「足持って」と言い放った。
富士彦に両足を持たせ、両脇と胴体を持った女子ふたり。三点を支えながら教室を出て、えっさほいさ――
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