37 渋柿をかじった時(疑惑)

  15


 ぐるりと一周。富士彦ふじひこは第二調理室を見回した。

 この時間を永遠に欲するかのような安藤あんどうあん

 体中の痛み、状況の悪さに顔を歪める光田みつだ未来みらい

 色のない目で、物憂げに呼吸する鮎川あゆかわ愛佳あいか

 三者三様。

 少女たちの辻褄つじつまを合わせるには、富士彦が与えられた情報は少なすぎた。


「改めて聞きます。会長の裏で手薬煉てぐすねいて待ってる人って誰なんですか?」

 真実へ近づこうとする富士彦の目つきが鋭くなった。それでも、決して杏を責めようとする目ではなかった。

「……それがわかれば、私だってこんなに躍起にならないよ」

 杏は水道を止め、重量の増したスクイザーを吐物とぶつの近くに置くと、そこにモップを突っこんだ。そんな態度は、かつてないほどに弱気な吐息をはらんでいた。心のどこかに『富士彦君ならあるいは』という冀望きぼうが生まれていたのだ。

「大方、安藤家の事件を知っていて、それを隠蔽できる人物。満喫町まんきつちょうのオピニオンリーダーなどではなく、もっと権力がある――」

「私は家族に迷惑をかけたんだよ! だから――! あぁ、すまない……その償いという意味でも、今さら逃げ出す気はないよ。どういう理由があろうとも」

 杏が『人としての理性』を忘れないためにも、悔恨かいこんが必要だった。

 いや、違う。

 己を肯定するためには、悔恨という念が尤も都合が良かっただけかもしれない。

「逃げたら良いじゃないですか」

「え?」

「償った結果がこれなら、今度は逃げてみるんです。会長がリスクテイクに怯えてるなら、俺が少しでも力になりますから」

 杏の感情をひっくり返したのは、ただただ本気の眼差しだった。どこまでも真摯な一言だった。ついさっきまで反目していた富士彦から愚直な言葉をかけられると、もう歯がゆさを通りこして小憎たらしかった。笑いが漏れてしまいそうなほど。

「君は、私たち……いや、私なんかに関わっちゃあダメだよ」

 だからこそ、反目を続ける意志を見せつつ、

「老人ども……か。満喫町は、もはやベッドタウンではないからね。何ヶ月もこの町に通っている君ならわかると思うが、高齢者が目に余っただろう?」

 富士彦との会話の延長へと舵を切っていた。なぜだか彼とは、永遠に話せなくなってしまう予感がし、その優しさに縋りついてしまったのだ。

「えぇ。初めは都心にアクセスしやすい、治安の良い町だと思ってました。けど実際は、余所者にとって暗黒世界ディストピア的な町だった」

「むしろ若年層ジモティーにとってのディストピアさ。ここも高齢化が進み、過疎化した挙句、若い人は都心に移る。そんなの目に見えているだろう。人食いを謳って、誰が移り住んでくるんだい? ふふっ」

「じゃあ結局この町も、老人から票を集める浮世ってことですか」

「もしそうなら、やっていることは国全体と同じということだね。この国に住む限り、どこに逃げても無駄なのさ」

「元も子もない結論ですね。会長はメタバースに逃げるしかないってことか」

「そこはせめて、海外って言ってくれよ……。さてさて、もっと満喫町の話を掘り下げたいのならば、あとはうちの両親にでも聞いてくれないかな? もっとも、今どこに居るかなんて知らないけれど」

 その結果、富士彦から仮想現実への逃避を促され、杏は返答に窮してしまった。であれば、どこかで生きているであろう両親へエスカレーションするのが最適な終結の方法だと思った。



  16


 深呼吸。

 杏は気持ちを切り替えて愛佳を見据えると、

「鮎川さん、食われる前に片づけないとね」

 天井を向くモップの柄から手を離した。

「その話って続いてんの? めんどくさ……フジさんとの会話で終結モードだったじゃん。だったら、会長さんを始末しても良いってことですよね? わたし、みすみす食われる気ないし」

 愛佳は怯える様子をこれっぽちも見せず、溜息を宙に吐き捨てた。そうして絞ったモップを槍のように構えると、なにも語らず杏に向けて一歩踏み出し、薙ぎ払うように横に振るった。

「だ、あぶっ……!」

 モーションが遅かったので、杏は余裕を持って回避したつもりだった。が、愛佳は勢いを殺さないまま、振り上げたモップを袈裟に振るった。その先端は調理台へヒットし、暴力的なノイズとともに塗装がどこかに飛んでいった。

 普段から気さくで、万人から好かれる鮎川愛佳が本気で襲ってきたのだと認識すると、一瞬で杏の背筋が寒くなった。

「あ、鮎川さんが一番危険だな……それはただの殺人だぞ!」

 杏は一時的に、反撃する気力を失った。その間、愛佳は富士彦にアイコンタクトを送った。相手よりもイカれてしまうのが最も手っ取り早いという意思表示である。

「会長の基準モノサシが、やっぱりわかりません。確かに俺は会長の力になりたい。けれど、このふたりを傷つける意志が変わらないなら、もう……」

 富士彦はそれに乗りかかるように、声を唸らせながら拳を握り、杏に対峙した。

「え? 待って、おいおい……ふたりで殴り倒す気かい? ちょっと光田さん、なにか言ってやってくれ! このままじゃあ、君も信用を失ったままだぞ!」

 たった一瞬で危険に晒された杏は、目を剥いて後方に下がった。これ以上、満喫町の真実を語ったところで、ふたりが聞く耳を持たないのは明瞭としている。

「もう遅い」

 しばらく黙っていた未来の発言は、シンプルだった。

「おい……。なんだ、君たちは理不尽だなあ? ぼ、暴行罪だ!」

 渋柿をかじった時のように、いびつに曲がる眉。黒目がちというよりも、もはや黒目しか残っていない眼力。どこか可愛らしさを漂わせていた『先輩』としての容姿をかなぐり捨てた杏は、ふと視界に入った手作りクッキーの袋を手に取り、右腕を振りかざし床に叩きつけた。軽快で不快な音が響き、何枚ものクッキーが飛び散る、そんな憤怒の光景を見て、未来は無性に悲しくなった。

「……こんなこと許されるわけがない。なあ君たち……いっそ、誰が食材になるか勝負しないか? ほら、平等に解決したいだろ? なあに、簡単なゲームさ。くじで当たりを引いた者が主役になるんだよ」

 杏は状況の悪さを察し、考えを一変させた。態度こそ冷静だが、それは単なる逃げ口だった。

「だから、誰のための食材なんですか。そこをまずハッキリ――」

「もう仕方ないなあ、それしか道がないならそれで良いです――」

「お前が当たりを引いたとして、その死体処理どうしろって?」

 三人の返答が次々に重なっていった。

「ははっ、人目に晒さなければどうにでもなるだろう? 腐る前にさ」

 そんな中で、杏は最後の質問にだけ答えた。最も非効率的な隠蔽方法として。


「おい、愛佳?」

 富士彦は、ちらっと横目を使った。

「よく考えてみ? ハズレは四分の一」

 その視線をもらった愛佳の思惑は、はっきりしていた。

「まあ、強運のフジさんは引かないとして三分の一。ね、悪くない数字じゃん」

 自分が助かればトゥルーエンド、その先も人生が続いてゆくだけである。困憊した虚ろな目には、あすへの道筋しか見えていなかった。

「俺の運を勝手に確立に盛りこむなって。大体――」

 富士彦が言及するよりも早く、

「あのふたりのどちらが引いたとしても、わたしらには無関係。違うかな?」

 愛佳のドライすぎる思考は、無慈悲なディシジョンに拍車をかけているようで、乾いた笑いすら生まれなかった。

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