50 それぞれの妄想

 安藤あんどう明夫あきおは話の要点を語ったあと、

「ひとまず、ここを出ようか」

 鉄扉を開けて、退室を促してきた。

 その背中を追って第二調理室へ戻ると、愛佳は目を疑った。室内のあちこちには、使われなくなった教材や資料、机やイスなどが散乱しており、とても調理ができる空間ではなかったからだ。

「なに? これ……だって、あたしたち、ここで料理を……」

 ただの物置と化したそこでは、いつも使用している調理台にホコリが積もり、教壇にまでも大量の机がひしめき、その上には古びた段ボールがいくつも乗せられて傾いている。見事なまでの過積載だ。

 いつの落書きだろう、現代では化石同然となった黒板に、相合傘や教諭の悪口が並び、こびりついた石灰が経年を物語っていた。

「待って? 待って……待って! え……どっから? いつから?」

 未来はすぐ、右腕の袖をまくって絆創膏をはがしてみせたが、そこにはステープルを打ちこまれた痕なんてなかった。それどころか、杏が死に際につけた引っかき傷すら存在していなかったのだ。未来は涙目になって首を横に振り続けた。

「いや、俺にはデータが……エビデンスがある」

 富士彦も必死に、肯定の材料を探していた。端末を取り出してクラウドにアクセスし、メガネ型のカメラで撮った映像を確認したようだが、

「動画がない……なんでだよ」

 震える声は、目当ての拡張子が存在しないことを認めてしまった。横から覗いた画面には、ネコの画像とか、ネコの動画とか、ネコをいた姉らしき人物とか、どこまでも微笑ましいデータしか見受けられなかった。

「じゃあ……俺はあの時、誰と争ってたんだ? 俺は……ナイフを持ってたから、生徒指導室に連行されただけなのか?」

 平静を失った友人たちを傍観し、愛佳は現況を整理した。

 安藤あんどうあんが十一月以降の数十日間、もう学校に存在していなかったとすると、まったく辻褄が合わないのだ。


 一年生の教室に突入してきた人物。

 富士彦とサイコロを振り合って、合計100を目指した人物。

 未来に絞め殺された人物。

 そして調理場で口にし続けたモノ。


 三人が見ていた杏の姿は、情念や死霊の類だったのだろうか。あるいは――

「……違う。もしかすると、ずっと妄想をしてたのは俺たちのほうだったのかも」

 富士彦の言葉を受けた未来の顔は青ざめてゆく。けれど、愛佳は妙に納得してしまった。幻想を打ち消す言葉を使用し、思考の合理化に努めるよりも、自分たちがおかしかったと認めるほうが、よほど現実味があった。

「学校から会長が忽然と消え、その関係がポーズした。けれど濃厚に関わりすぎた俺たちは、その事実を感情に落としこめず、架空の生活を作り出してた……」

 幸か不幸か、杏の存在が強烈すぎたため、三人がそれぞれの妄想をもって、今日こんにちにいたったのだと。

「あの子の存在は、夢や妄想ではない。君たちと一緒に、確実に存在したのだよ。あの子は死期をある程度は悟っていた。だから、自ら同好会を作って仲間を集めた。あの子が、どんな風にみんなを言いくるめていたかは、私にはわからないが」

「なんで杏の奴、自分の病気を隠してたんだ……」

「おそらく、君たちには知られたくなかったんじゃないかな。であれば、全校生徒をを騙すほうが楽だったのだと思うよ」

「会長は――杏さんは以前、遊び相手がほしいって言ってた。結果……杏さんの存在は、なににでも形を変えた」


 愛佳にとっては、満喫町を思い出すキッカケになった。

 未来にとっては、忘れたくても忘れられない敵手になった。

 富士彦にとっては、頼れる先輩になった。

 三人の記憶こそ、彼女の生きた証なのだ。


「明夫さんはどうしてここを知っていたんです? なぜ俺たちがここに居ると」

「ありきたりな言葉になってしまうけれど、杏が夢枕に立ったのさ。ある三名の生徒が、檻に閉じこもったまま出られないでいると」

「そうですか」

 富士彦が苦笑し、明夫も同じように笑った。その真意はわからなかった。

「あの、明夫さん? ひとつ……変なこと聞いても良いですか?」

 富士彦が改まった。おそらく、を言及するに違いない。

「なにかな」

「満喫町って、昔……その、人間を食べるような、変わった風習なんて……なかったですよね? なんてね、ハハハ……」

 けれど富士彦もかなり気を遣ったのか、へりくだって質問に及んでいた。一方、明夫は軽く頷いたあと、「不思議なことを聞くね」とクッションを挟んだ。

「この町に限らず、大飢饉があった時代ではゼロではなかったと認識しているよ。その時に建てられた、犠牲者の無縁墓地を『食の神』と呼んだり、【五大の罪】などという言葉で戒めたほうが、来世に対してていが良いだろう? わかるかな?」

「時代の汚穢おわいであり、決して語り継がれることのない史実ですか。いえ、今の時代は、SNSでのが当たり前ですがね」

 明夫の説明は、すんなりと心に浸透してきた。また、富士彦の返答には安堵が垣間見終えた。ようやく己を認められたような、はたまた解放されたような笑みだった。


「わたしたち、言わばあの調理場でかすみを食ってただけだったんだね」

「最期の最期まで食えない先輩だったな」

「杏が仕掛けた壮大な釣りに引っかかった気分……」

 結果として、三人の言動は杏に食われたということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る