48 パスタをフォークで巻き取るかのよう
十五時、おやつタイムも苦しかった。やはり現実味がなくなってゆく。
そこで一時間のインターバルを設けた。けれど誰も喜んではおらず、思い思いの一挙一動が、二昔前のパソコンの動作くらい重かった。
しばらく横になっていた愛佳は、床と触れ合う髪のべとつきが気になった。パスタをフォークで巻き取るかのように、
「お風呂入りたい……」
外はもう茜が町を食い尽くそうとしている。あの色は人を不安にさせる。もしあの色が部屋に入ってきたら、非日常と日常が融合し、たちまち正気を失う。
茜が沈むと、浮世は胃の中と同じく真っ黒に染まってしまう。あの黒は、人を丸呑みにする。もしあの黒が部屋に入ってきたら、皆が暗視スコープをつけて食事しなくてはいけないし、眉も読めなくなってしまう。
いつだって他人が持つ『信頼』の二文字は、自分が抱く『不安』の二文字に押し潰される。
『ほら、早く吐き出せ。なにをしてる鮎川愛佳、吐き出すのだ』
たまに出しゃばってくる過食の性を受け流すのは、一苦労だった。そのたびに意識を、『抑制』に切り替えなくてはならない。根本的な思考の砂時計に、エンジョイというワードは含まれていない。
そもそも食事は、生きるために必要な行為であり、イベントでもある。食材を選ぶ
十九時。
富士彦が壁に向かってぶつぶつと念仏を唱えている。限界は近そうだ。
未来は皿の上に舌を這わせていた。ぴちゃぴちゃと音を立て、舌の動きを止めようとはしない。彼女こそ限界を迎えているのかもしれない。
一方、愛佳はここが自宅だと錯覚していた。果たして誰が限界なのだろうか?
そんな室内では、とうにコミュニケーションが尽きていたのだが、愛佳は寝言のように、「ねえね」とふたりの注目を集めた。反応はなかったが、
「食物を粗末にするって、どういうこと?」
と、素朴な話題を部屋へ投下した。
「例えば神仏へお供え物は、人間の口には入らないから無駄になるよな」
話を聞いていないようで、やはり少年が真っ先に返答してくれる。その答えも愛佳と似通っていて安堵を覚えた。
「それには『意味』があるから良いの。食品ロスを出しまくる社会とは違う」
対して未来は、クールそうな見た目とは裏腹に、相変わらずスピリチュアルな一面を見せてきた。
「意味って……。それは、マジで神仏を信じちゃってる奴らへのビジネスが成り立ってるだけだろ。どうせ食わないなら、確実に食を無駄にはしてるぞ」
すると富士彦は、珍しく反論に移った。いつもは未来に対して、なあなあな反応を取って場を和ませる役目なのだが、日常と非日常とでは、精神の在り方がまったく異なっているようだ。
「いや。このご時世、墓地でのお供え物は原則持ち帰る決まりになってるし。家で親族が食べるから、無駄にはならないの」
「じゃあ結局、人間の糧になってるじゃん。神を敬って腐らせるくらいなら、人間が食ったほうが良いって認めてるだろ。それにスーパーやコンビニだって、廃棄と言いつつ裏では従業員がこっそり持ち帰ってんだよ」
「じゃあ初めから、売りきれないほど発注しなきゃ良い」
「それは気候や天候、付近の店との競合だって売上に影響するからなんとも……。あとは、売場の見た目とかも考えて発注してると思うぞ。未来さんの言葉を借りれば、食品ロスにさえ『意味』があるんだよ」
富士彦と未来の意見は当然のように食い違い、ヒートアップしていった。愛佳は元から富士彦寄りの意見を持っているので、ここは公平を保つために、静かに見守ろうと思った。
「それじゃ、未来さんの無駄ってなんだ? 例えば食べ物を踏みつけたら、それは明らかに無駄になるだろ?」
「いや、女の子が素足で踏みつけた食べ物を喜んで食べる紳士も居る。その紳士が美味しくいただけば無駄じゃないし、その工程を『調理』とも呼べる。そうだ富士彦、あたしが両足で『調理』してあげようか? 紳士の気持ちを味わってみな」
「あ……お疲れさまでした。俺の負けで良いです」
――終幕は突然に。
理詰めは感情に負ける、という典型を見せられた気がした。誰よりも肉感的に生きている未来が力技でねじ伏せ、不意に訪れるいつもの治安は心地良くなかった。
愛佳はクッション代わりの溜息をついた。富士彦の不憫さを慰めるための溜息でもあったが。
「フジさん、それで良いの?」
「良いも悪いも、最初から未来さんは経済が動けば無駄じゃないって言ってるし」
富士彦と未来は、生息するコミュニティが違うというだけだ。多様性というのは、他人と他人を区別するひとつの規範に過ぎない。
「でも、みぃちゃんの知識を鵜呑みにすれば、わたしが嘔吐してる映像をネットに流せば、それには意味があるし、経済も動くんだよね?」
「もう良いって! 気持ちわりーよ!」
「はい、すいません……」
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