47 会長の妄想

 耐久レース。どこまでが現実なのだろうか? なぜか、あまり腹が膨れている気がしない。二日目の昼になると、それぞれのポテンシャルが判明してきた。未来みらいは小食のくせに、食うわ食うわのきりきり舞だった。

「フィーチャーちゃん、よく食べるねえ。隠れ大食いファイター?」

Futureフューチャーだし。本当に未来をなくしたくないだけ」

 反面、富士彦ふじひこにいたっては、意思を持たない人形が、食事の意味も理解せずに咀嚼そしゃくえんげ下を繰り返しているようだった。彼は壊れる寸前である。だからまだ壊れない。人が人ではなくなる境界線を想像し、愛佳は胸を膨らませた。


 だが、その狂気は愛佳にも迫っていた。

 親子三人でレストランに行った休日や、夕飯を作る母の後姿や、小さな遊園地でレジャーシートを広げた青天井の下など、思いがけない追想が脳裏をよぎり、そのたびに嫌悪を催してしまう。

 愛佳はイスに座ったまま上体をのけ反らせ、眼前が黒や赤や黄が混じった紗で覆われた。天井の端っこを向いたまま、うっすら見える調理場がぐるぐる回っている。

 正常な色が戻ってきた矢先、視界の隅で黒い影が動いた。それは女性の輪郭を象っており、表情は憎悪に満ちた怨霊の影――のように見えた。

 つまり見間違い。それが幽霊の正体だ。

「部屋の隅に人の顔が見えた!」

 不意に少年をからかいたい衝動に駆られ、

「愛佳、そういうの信じてないだろ?」

 煩わしそうな半眼を向けられた。

「ノリ悪いなあ。フジさん、いつの間にお化け平気になったの?」

 そのまま、富士彦に視線を固定する。誰よりも知性と理性があった少年には、達観の境地が窺える。

「幽霊より怖い人間がここにふたりも居るから。あ、そうだ……幽霊と言えば、未来さんが安藤邸で見た少年って結局なんだったんだ?」

 その流れで、富士彦が数日前の一件を口にした。まだ解けていない謎への好奇心を満たそうとする、そんな軽い発声だった。

「あんな話、もはや『見間違い』で良いでしょ」

 対して未来は、安藤邸での出来事を拒否するように、繊細な意見で話を取り繕うとしていた。ふたりとも大事なピースが足りずに、真実を見失っている様子だ。

「あのさ? 話すタイミング失ってたんだけど、わたしが持ってる情報教えよっか」

 そこで愛佳は、思いきって真相に辿り着くための欠片を提示しようと思った。黙秘もできたが、ここまできた以上――


 自然とふたりの視線が集中する。

「ひとつ。実はわたしも、安藤杏の弟には会ったことないんだ。正確には、安藤あざみという弟役のイマジナリーフレンドと一緒に、三人で遊んでただけ」

 愛佳が言い放った真実を前に、富士彦は訝しげにしながら黙っている。当然、未来もそれに倣って目を細めてしまった。

「ふたつ。ちょっと前に、採食同好会のこと先生たちに聞いて回ってたの。そしたらさ、何年か前に存在したって言われたよ。みんな隠そうとしてなかったな」

 愛佳は矢継ぎ早に、知っている情報をまくし立てていった。それを遮ろうとする者はやはり居なかった。

「みっつ。この学校に関する過去の資料を約二十年分あさったんだけど、第二調理室で人が死んだという史実は残ってなかった。隠蔽されたか、そもそも嘘か」

 愛佳が提供した情報によって、富士彦の頭の中でこんがらがっていた糸がばっさりと裁断されたのだろう。糸くずがはらはらと、記憶の渦へと落ちてゆくような納得の面持ちで立ち尽くしている。

「わたしみたいな余所者よそモンでも、ちょっと調べりゃ簡単に入手できる情報だったの。初めから、嘘に踊らされていたと解釈すれば悩む必要なんてなかったんだよ」

「……それ聞いて、最も恐ろしい可能性が浮かんできた」

「あ、フジさんも? わたしも自分で語りながらひとつの可能性を見出したよ」

 一拍。

「……すべてが会長の妄想だった。会長の妄想の上で、俺らは踊らされてた? 弟の存在。弟の死。食材を捌く民間資格。採食同好会。郷土料理――」

 愛佳が抱いた可能性とまったく同じ答えを富士彦が口にした。どこまでが本当で、どこまでが虚偽なのか。死人に口なしとは、よく言ったものだ。

「そして……みぃちゃんとの過去も? なんてね、それはあり得ないか」

 決して未来を法螺吹き呼ばわりするつもりはなかった。が、透明人間に会ったとか、漂う空気を見たとか、霞を食っているとか、もはや安藤杏の存在すら、幻だったと感じてしまう。

 愛佳は冗談交じりに笑ってみせると、

「ほら、無駄話はやめてこの場を切り抜けるよ。四人で一緒に」

「さ、三人だろ?」

 たった一言。未来は取り合ってもくれず、手の動きを再開してしまった。

 その没頭っぷりに愛佳は適切な反応を失い、富士彦の腕を力強く握ることで、抑えきれない不安をやり過ごした。

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