17 飴玉フィーバー

「会長、お疲れさまです」

 小さな背中に声をかけると、綺麗にそろった襟足えりあしが柔らかくほつれながら翻り、ふたたび黒いミニボブにまとまった。

 振り返り様、見上げてくる視線が富士彦ふじひこを認識すると、その最上級生は表情を和らげた。可愛らしい容姿なのに、相変わらず威圧感カリスマはげしい。


 安藤あんどうあん

 採食同好会の長は、この時季はトレードマークの桜色パーカーは着ておらず、腕まくりしたワイシャツと、リボンを外したクールビズスタイルが特徴的だ。

「やあ麩谷ふたに君。今から帰りかい?」

 見た目からは想像できない低めの声が少年の心身を鷲掴みし、その場に束縛してくる。この先輩は、呪術でも使っているのだろうか?

「その予定だったんですけど、この有様。で、彼らとどうするかを会議中でして」

 富士彦は灰色の世界をちらっと睨んだあと、クラスメイトに目を配った。

「これはみんな濡れるな。私は是非とも、君と濡れ濡れになりたいものだけれど」

 杏は黒目がちの大きな明眸めいぼうを細め、口元に意地悪そうな角度を加えてきた。相変わらずの、人をからかうような肉感的な発声。雨が一層いかめしくなった折、

「ねえねえ麩谷君? ちょーっとばかり頼まれてほしいことがあるんだ」

 感情の定かではない申し出を口にしてきたのだ。

 富士彦は考える仕草を見せながら一樹いつきの顔を覗くと、掌を上に向けて『どうぞどうぞ』と煽っていた。一方、隣の若葉わかばは眉をしかめて、どこか不服そうにしている。どちらにせよ、判断は富士彦に任せるということだ。


「先約があった君たちには悪いんだけれど、麩谷君を譲ってくれないかな? あぁ、もちろんタダとは言わないよ」

 富士彦の返答の隙を縫うように、杏はクラスメイトたちとの距離を一瞬で詰めると微笑を浮かべ、スカートの左右のポケットに手を突っこみ、大量のお菓子を取り出したではないか。

 手品師かコイツは? いや、先輩にコイツなんて言ってはいけない。

 とにかく出るわ出るわ、確変もビックリの飴玉フィーバーである。一樹は両手に収まりきらないそれを受け止め、口をあんぐり開けたまま制止している。飴玉以外にはビスケット、スナック、チョコレート――小袋がぼろぼろと廊下に落ちてゆく様が、あまりにも非現実的で滑稽こっけいだ。

 咄嗟に若葉が真下に手を添え、一樹の手には収まりきらないお菓子たちに救済を施そうとした。が、そのファインプレーも虚しく、小さな両手からも溢れてしまった。

 杏のポケットは、どうやら四次元のようだ。

「おや、まだまだあるよ? 遠慮しないで受け取っておくれよ」

「も、もうダイジョブっす安藤先輩! あと、フジならご自由にお使いください!」

「えぇ? 生駒いこまくん、だって……アタシたちのが先約で――」

「良いから……! 脇野わきのは下駄箱へ走れ、早く! じゃフジ、あとは頼んだ!」

「そ、そんな……麩谷くん生きてまた会おうね! アタシの傘、大事に使ってね!」

 若葉は、こぼれたお菓子をバッグにしまいながらその場から走り去り、それに続いて一樹も背を向けた。変な先輩には関わらないというのは、賢い選択である。ふたりが持ち帰った賄賂わいろは、残暑と体温でベタベタになっているだろうが。

「彼らは、私をなんだと思っているんだ……」

「というか俺の人権、あちこちで度外視されがちなんですが」

「気のせい気のせい。ささっ、調理室へゴーゴー!」

 ワイシャツの裾を、親指と人差し指でつままれた富士彦は、さながらペンチで力一杯に挟まれているのと同じ気分を味わっていた。


 全国は未だに熱気が消えないが、第二調理室に面する廊下は冷たい空気が漂っている。未来みらいからは、『空気が冷たいところには幽霊が出る』なんて脅かされたが、月二で通っているうちに恐怖は和らいでいた。同時に、幽霊なんて恐怖による錯覚に過ぎないと自身で証明することになった。

「それで会長、なにをすれば?」

 開錠かいじょうした杏に続いて、通い慣れた調理室特有の匂いを吸いこみ、ショルダーバッグを丸椅子の上に置くと、富士彦は指示を仰いだ。

「あすの準備さ。食器はもちろん、調理台も窓も床も、なるたけ綺麗にしておきたくてね。なにより食事を作り、食べる場所なんだから」

 富士彦は不覚にも、自信に満ちあふれた杏の言動に感銘を受けた。公式でもない活動に余暇よかを注ぐなど、感心の一言に尽きる。情が移ったわけではないが、精一杯の手助けをしてあげたいという気持ちになった。

「会長の鏡ですね」

「そう言われると嬉しいね。そういや、いつものふたりは一緒じゃあないのかい?」

 ――富士彦はクラスメイトを思い浮かべ、

「ガールズトークがあるとかで帰りました。居りゃあ効率良かったですけど」

「いやあ。私としては、ふたりきりの方が都合が良いんだけどな」

 先輩の言葉を、『意味深長』という形で一考してしまった。

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