30 キックアウト

 あんは「さて」と一拍置くと、

「今から語る、満喫町まんきつちょうについての内容。どう解釈するかは君次第さ。それほど都市伝説めいて、それほど突飛な内容だからね」

 富士彦ふじひこからの要望の入口を探った。

 ゆっくりと頷いた彼は、「お願いします」と決意の目を向けてきた。同じように、二度三度と首を動かした杏は、

「満喫町は有史以来、人食いの文化があってね。一部、今でも続いているとかいないとか。うちは旧家だから、そういった資料も数多く残っているし、その文化に手を出していたのも事実なんだ」

 満喫町を語るには欠かせない触りの部分を聞かせると、富士彦が感情を抑えこむように、あからさまに目を細めた。

「ま、私がやったかどうかは別として、その文化は念頭に置いてほしいな」

「つまり、この町の法でもある【五大の罪】を犯し続けた者は、食材の対象になってしまうと? この……現代で?」

 不思議と動揺はしていない様子だ。もう、知っていた?

 あるいは、陰謀論を妄信してしまうに対する、侮蔑ぶべつの目線だったのか。

「含んだ聞き方をするね。誰かしらに格別な報酬インセンティブがあるとでも?」

「というより、その行為カニバリズム自体が『モチベーション』なんじゃないですか?」

「ふふっ、この現代で?」

 オウム返しのように、同じ言葉を向けてやると、富士彦は少し悔しそうに目を逸らした。小気味良い。

「忠告しておくけれど、知らないほうが良いこともあるんだよ? でも詳しく聞きたければ、またうちにおいで。もっともっとねんごろに、手取り足取り教えてあげる」

「手取り足取りって、それ食われますよね?」

「ふふっ、相変わらずツッコミが鋭いなあ」

 特殊な文化と捉えるか、カルト教団の一端いったんと捉えるか。

 どちらにせよ、彼を牽制けんせいするには充分すぎる破壊力はあったようだ。平静は装っているが、その挙動は先ほどよりも小刻みになっていた。

「……今、少しだけ疑念が浮かびました」

「どうぞ」

「この勝負は、初めから俺が勝つように仕向けられてた?」

「さすがに買い被りすぎだよ」


  『何色のダイスを選ぶかバレていた?』

  『クリアダイスを使用し、イカサマの疑いようをなくさせた?』

  『初めから満喫町の真実を伝えるために、仕組まれた勝負だった?』

  『自ら満喫町の秘密に迫ったことを後悔させるのが目的だった?』


 なまじ賢い彼は、あることないこと巡らせているはずだ。それで良し。富士彦に満喫町の事実を突きつけて惑乱させることが、杏の目的のひとつでもあったのだから。

「ここは寒いね。もう帰ろうよ?」

 杏はさりげなく、裏地がカシミヤの皮手袋をはめると、

「しかし残念。コレも使いたかったのになあ」

 鞘に収まったペティナイフをポケットから取り出し、富士彦へ放った。キラーパスにも関わらず、しっかりキャッチする辺りが男の子である。

「って、要りませんから」

 てっきり投げ返してくるかと思ったが、富士彦は呆れながら杏に優しく手渡してきた。どこまでも――憎らしい。

「あ……あぁ、すまないね。さ、帰ろ帰ろ」

 彼は勝負に勝ったというのに、随分と大人しくなった。ただ彼の心は、愛佳あいか未来みらいと違って、最も読めない。用心するに越したことはないだろう。


 戻った本館では、人声がちらほら耳に入ってくる。

 杏は富士彦のブレザーをつまみながら、誘導するように廊下を歩きつつ、生徒の居ない一角で雑談を持ちかけた。

「ところで、鮎川あゆかわさんも光田みつださんも私と過去に付き合いがあった。そんな中、君だけぽつんと配置されているのはおかしいと思わないかい?」

「お言葉ですが俺は都会生まれ、都会育ちですよ」

「富士彦君っておうちどこ? 松濤しょうとう?」

「いやいや。だとしたら別の学校に通ってます」

「いやね、さっきも言ったように昔の記憶が曖昧なんだ。だから君のことを教えてくれないかな? メガネも悪くないけれど、素顔を見せてほしいな」

 そうして杏は背伸びしながら、左手を富士彦の背中に、右手を首筋に回すと、息が触れ合う距離まで顔を近づけた。

「なにを言って……」

「スキンシップさ。しばらく会えなくなるんだから」

 杏に圧倒された少年は、咄嗟に壁を背にしていた。状況の悪さは理解しているようで、逃げ出そうと横へ移動するが、その行動は予測済だった。杏は邀撃ようげきのごとく、彼の側面からメガネのツルへと猛獣のように噛みつくと、それを咥えたまま口から右手へ、右手からブレザーのポケットへと、流れる動作で奪い取った。

「あ、ちょっとそれ!」

 彼の明らかな動揺と、首筋の匂いに陶酔とうすいしそうになる。さて、畳みかける頃合いである。杏はペティナイフを鞘から抜き、富士彦の目線の高さまで持ってゆくと、

「では、本来の目的に移ろうか」

 普段よりも声を低くして、その言動を圧倒した。

「俺をここで痛めつけたって……会長が不利になるだけだ。銃刀法――」

「違うよ」

 圧倒的な否定。杏はゆらりとパーカーのファスナーを下げ、ワイシャツの白を露にすると、自分の体に切先を向け、

「会長? え、まさか……!」

「いくよ? せーの!」

 彼の胸へ、抱きつくように飛びこんだ。富士彦の感触も体温も匂いも、この瞬間のすべてが官能的だった。ひとつ、脇腹の激痛を除いて。

「いっぐ……! っ、はは……」

 深くえぐったつもりはないのに、無視できないフラストレーションが次から次へと押し寄せてくる。強く強く歯を食いしばり、下腹部に目を落とすと、ワイシャツにはじんわりと赤が広がり始めていた。

「い、痛くなさそうな……脇腹、突き刺したんだけど……そんなわけなかった……」 

 自ら皮を裂いて、自ら筋肉をかき分け、演技できないほどに呼吸が震えた。とはいえ、泣言の時間なんて用意されていない。叫ぶなら、アドレナリンが分泌されている今しかないのだ。


「い……痛いっ! 麩谷君、なにするんだ! いやっ、血が出てる! 助けて!」

 杏が声音を使った途端、

「そうか。寒いフリをして手袋をしたのも、ナイフを俺に触らせたのも……」

 富士彦は、吐き捨てるように先ほどの言動を再生していた。どこまでも察しの良い少年であるが、気づくのが少しばかり遅かったようだ。

「この手袋、割と高かったのに……血まみれ……。まあこれ、で君は……しばらく、出歩けない。わる、いけど……少し、退場してもらうよ? なに……君の無実は……あ、とから、証明したげるっ……ふふっ、いて……ホントに痛い、あぁ……」

 富士彦の目にはあからさまな怒りが宿っていた。が、杏が塗りつけてやった鮮血に目を落とし観念の吐息をつくと、あたかも次の一手を考えるかのような達観の目を別のほうへと向けていた。

 堪えているのは火を見るより明らかだ。彼は誠実性が高いゆえ、目の前で女子の体に刃物が挿入される様を見れば、あることないこと責任を感じるのは必至である。

 杏は勝ち誇ろうとしたが、出血は思った以上にひどく、次第に立っていられなくなり、膝をついてうずくまった。そのうち、付近の生徒がキャーキャーと黄色い声を上げ、しばらく現場は騒然としていた。

 教育者が飛んでくると、富士彦は屈強な大人たちに連れていかれた。杏は抱えられて保健室まで移動し、応急処置を受けながら救急車が到着するのを待った。

 彼には少し悪いことをしただろうか? いや、彼のスペックが高いのがいけないのだ。『普通の子』であれば、ここまでする必要なんてなかったのだから。


 救急車で病院に搬送される途中、杏はストレッチャーの上で静かにほくそ笑んだ。

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