29 決着

 富士彦ふじひこの第二ターン。

 左手から軽く放った一投目は2と4、二投目に2と6を出すと、

「うーん……これで、やめときます」

「おや、臆病風に吹かれたかい?」

 今回は、早々に下りてしまった。これで合計54である。


 精一杯の煽り文句を放ちながら、あんの第二ターン。

 一投目を4と4、二投目を2と5、三投目を振ると――

「げっ。1、6かよ」

「会長、運なさすぎでは?」

「ぐっ……な、なんだ『では?』って。ちゃんと、『ではないでしょうか?』まで言うんだよ! まったく若い子は、変な言葉ばかり使って!」

「そこ怒るポイントですか? これが若年性老害じゃくねんせいろうがいの実態」

 この少年の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを見ていると、やはり調子が狂う。決して他人には見せない感情や大声が誘発されてしまうのだ。


 富士彦の第三ターン。

 一投目、ひとつ目のダイスが4で止まってすぐ、吸いつくように片割れのダイスが真横で止まり、嫌らしいが天井を向いた。

「1、4なんて誰も得をしない出目だねえ。ふふっ」

「麻雀で積み込みした人くらいでしょうね」

「今どこも全自動卓だから」

 富士彦が謎知識を漏らし、合計54のままターン終了。


 杏の第三ターン。

 一投目――2と6、二投目――4と6、三投目――3と3が出たところで、

「まあ、ターンエンドかな」

 と、手堅く合計24でターンを終えた。


 富士彦の第四ターン。

 彼としては、ここで一気に引き離したかっただろうが、一投目に1、3を出してしまい早々にターンを終了してしまった。

「おやおやー? ちょっと運の暴落が早いんじゃない?」

「うーん、乱数調整しないとダメかも」

「ら、ら……乱数、とは?」

 合計54から動かず、富士彦は小さな溜息をついていた。


 妙な言葉を口走る少年を横目に、杏の第四ターン。

 一投目――3と5、二投目――5と6、

 三投目――2と5、四投目――3と3、

「あらまあ。富士彦君を追い越しちゃったね、ふふっ」

「だいぶ煽りますね。俺、未来さんじゃないんですけど」

「彼女だったら、『身長は一生追い越せないけどな』って返してくるよ」

「あぁ……言うわ」

 富士彦が目を逸らしながら苦笑する中、杏は合計56でターンを終えた。


 逆転されても焦った様子のない富士彦の第五ターン。

 一投目に2、3を出すと腕を組んで小さくうなり、

「やめときます」

「なにか考えでもあるのかい?」

 本来なら攻めに転じる場面で、早々にダイスを引っこめてしまった。

 幾度と自分の掌で二個のダイスを転がしながら、合計59でターン終了。


 杏の第五ターン。

 一投目――3と3、二投目――2と3、

 三、四投目と続けて4と6を出し、合計87でターンを終了した。

「ふふっ、もう勝負ありかな?」

「とりあえず最後までやりましょう」


 富士彦の第六ターン。

 一投目は3と5を出した。

 続けて二投目――4と5、三投目――2と2で手を止め、左手の中のダイスを、何度か軽く握った。

「今、俺が80か。会長、次で決めますよね?」

「そりゃあね。私が後攻だから、100を超えた時点で君の負けだよ」

「そっか。じゃあターンエンドで」

「なんでやねん!」


 ――心を落ち着かせ、杏の第六ターン。

 どうやら富士彦は、杏が1を出すと踏んでいるようだ。

「調子狂うなあ。でもあと13で終わりだよ? 二回も振れば、もう私の勝ちさ」

 運は自分で引き寄せるものである。人の運は、その人の心持で決まる。要するに、おのが強運をどれだけ自覚するかだ。

 例えば、『あなたは運が良いですか?』と聞かれた時に、『当然!』と即答できる剛直ごうちょくさが大事なのである。

「さあ! 行くよ!」

 いざ、一投目――! これで富士彦を叩き潰す! グラス内の出目は――

「あ、ピンゾロ」

「なんでだよ!」

 圧倒的な気迫の末、見事な1のゾロ目を出したため、杏は合計87から変動せずにターンを終えてしまった。とんだお笑いぐさである。


 笑いをこらえている富士彦の第七ターン。

「会長って見た目に反して芸人ですよね。さて、一気に終わらせましょう」

 と、確信めいてうそぶいた一投目――2と2、

 無反応のまま続けて振った二投目――4と4、

 三投目――富士彦はコップを傾け、ダイスを手の中に戻すと、目を瞑って薄笑いを浮かべていた。呼吸は止めている様子だ。

 ほどなく開眼し、ダイスたちがその手を離れた。ガラスを跳ね返り、互いが取っ組み合いのように力を誇示すると、一秒弱で片方が力尽きた。グラス内、1を示す寂しいぽっちを認識し、勝った――! と杏は内心で叫んだ。刹那せつなに、その感情を上書きしたのは小さな動悸だった。

 片割れのダイスが猛烈に回転しながらコップ内の斜面を上ると、ほどなく力をなくして滑り落ち、平らな底部ていぶでフェーズを終えたはずの『1』へ、側面から悪質タックルをぶちかましたのだ。

 よもや、動くことはあるまい――そう思っていたダイスが弾かれ、最後さいごっ《ぺ》屁のような作用によってふたつのキューブが5のゾロ目を示した。

「あっぶな……ターン終了で」

 富士彦もヒヤリとしたようで、合計が102になったところで、当然の選択を己へ言い渡した。追加を稼ごうとして1を出せば、今度こそジ・エンドなのだ。

「ふうん……」

 彼の得点が100を超えたところまでは理解できた。

 けれど杏にとって不可解だったのは、彼がすべてゾロ目を出してきたことである。それどころか、前の最終ターンでも2のゾロ目を出しているので、四投連続で出したということだ。決してゾロ目を出すゲームではないし、それが彼の運と言ってしまえばそれまでなのだが、すんなりと納得できるものではない。

 ――そんな芸当を、最後の最後でかましてくる相手に勝てるのだろうか?


 モヤモヤしたまま、杏の最終ターン。

 あと16加算すれば、合計が103になり、逆転サヨナラ勝ちだ。

 唾を飲みこみ一投目――からんからんと勝敗を弄ぶ耳障りな音色が止まり、ふたつのダイスは4と5を示した。これで、現在の合計は96である。

 運命の二投目。

 ――難しいことではない。1を出さず、合計を7以上にすれば良いだけだ。

 その組み合わせは、

『2、5』『2、6』

『3、4』『3、5』『3、6』

『4、4』『4、5』『4、6』

『5、5』『5、6』

『6、6』

 十一通り。

 できれば6以下は出したくない。三投目に持ちこんで生き永らえても、そのあとのプレッシャーで、ダイスを放る勇気が雲散してしまいそうだった。杏は言い聞かせるように、「勝てる」とつぶやき、親指、人差し指、中指でふたつの正方形をつまみ、なんの変哲もない安物のグラスへ、決着の調和を注いだ。

 強烈な回転が加わりながら小さく一回、二回、三回――バウンドしたダイス、その変化は不意に訪れた。最も恐れていた事態、として。

 片方のダイスの角度が変わると、コップの壁を二度三度と跳ね返り、たちまち飲み口の高さを超え、悠々と場外へと放り出されてしまったのだ。

 コップに残ったダイスは5、調理室の床に落ちたダイスは――

「あらら、まさか決着がションベンなんて」

「最後の合計が7とは皮肉だな……。これで私はトランプ、プチシューときて三連敗か。とういか、調理室でションベンなんて言わないで!」

 杏は2の面が出たダイスを拾い、残ったダイスも一緒にバッグへしまった。勝利こそもぎ取れなかったものの、奮闘はしたほうだろう。

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