1 牛刀でごっそり削ぎ取られた気分

『足りないの。わたしはだから』



 愛佳あいかは一日の始まりに、その日なにを食べるかを考える。

 中学時代、『痩せの大食いクイーン』の称号を授かって以来、肥満児の自虐ネタさながらに、アイデンティティを『食欲』であると自覚した。反面、劣等めいたセールスポイントは、その痩身そうしんを肯定するのに都合が良かった。

「……あれ、なんも思いつかん」

 もちろん例外もある。

 昨日まで、ベランダの隅でつぼみ状態だったヒナソウの開花よりも早く目覚める日なんて、特に食欲がない。理由は単なる緊張である。数ヶ月前まで徒歩で中学に通っていた愛佳だが、本日からはダイヤグラムに一喜一憂しながら高校へ通うのだ。

 慌ただしく朝のタスクを終えると、玄関の鏡に映った上半身を見て「うーん……」と唸った。ほどなく自室へ戻り、ウッドチェストの上、雑に置かれた透明の収納ケースから適当なシュシュを取り、ブラウンに染めたロングをハイポニーテールに結ったあと、満足げに「よし」とつぶやいた。

 ふたたび玄関へ。下ろし立てのローファーを履き、改めて鏡と向かい合い、

「よしよし」

 と自慢げにつぶやく姿に、もう緊張は見られなかった。


 ――満喫町まんきつちょうという、こぢんまりとした町がある。

 郊外に位置し、町全体で食を大事にする、治安の良い地域である。

 桜色が蒼天そうてんえる本日、

「ご入学おめでとうございます」

 満喫町に位置するひら獅子じし高等学校の体育館でも、校長の長話オープニングトークが、整列する新入生たちの頭上を通りすぎてゆく。

 紺色のブレザー、ワイシャツ、チェックスカート、黒のクルーソックス――おおよそ同じ格好をした、様々な見てくれに囲まれ、ごわつく制服にムズムズしながら、愛佳はかねての望みを描いていた。

 というのも、都心に住みながらもラッシュアワーを逆流し、三十分以上も電車に揺られ、わざわざ郊外の学校へ入学した理由こそ、『採食さいしょく同好会』と呼ばれる集まりが水面下で活動している、という噂を聞いたからである。

 食事は三度の飯より好き、つまり三度の飯も好き。また、摂取した分だけ愛佳にとって、是が非でも入りたい同好会だった。

 ところが噂の入手元が、それはそれは曖昧あいまいなのだ。触れてはいけないアンタッチャブルな過去に手を伸ばし、無暗に模索している感覚で、今でも半信半疑だった。


 式はつつがなく進行され、新たなクラスでの自己紹介も終わった。翌日からはとっつきやすい性格を駆使して、学校生活に溶けこんだ。

 反面、入学式から一週間が経っても、職員室横の掲示板に掲載されたチラシには、採食同好会の『さ』の字すら見られなかった。――いや、サッカー部の『サ』ならあったかもしれないが。

 とにかく、活動拠点となりそうな調理室に足を運んでみても第一、第二、どちらとも出入口が施錠せじょうされていたし、生徒、教諭ともに、そのような単語を口にする者は居なかった。いよいよ、非公式の線が濃厚になり、入会はおろかアポイントメントの取りつけすら困難になった。完全に袋小路ふくろこうじである。

 愛佳は調理室から掲示板へ戻り、ぼうっとチラシの文字を眺めた。望んでいた高校生活の一部が、牛刀でごっそり削ぎ取られた気分だった。片隅には『調理同好会』というチラシが貼付ちょうふされているが――


  調理に興味がある? 食べるのが好き?

  そんな生徒にお薦めの同好会です!

  普段はお菓子や創作料理を作り、文化祭では販売も行います!

  料理初心者の子にも優しく教えるから、安心してね。

  詳しく知りたい方は、三年三組の前田までヨロシク!


 目を通してすぐ、愛佳が求めている活動内容ではないと感じた。ここにアポを取っても、メインデッシュの添物そえもののような塩味えんみしか得られないだろう。

 ガッカリである。愛佳は肩を落とし、自分を納得させるかのように、

「はぁ、帰っかな」

 徒労感を吐き捨てた。一歩、また一歩――下駄箱へ向けて足を踏み出した時、

「あれ、鮎川さん?」

 出し抜けに名を呼ばれ、目をキョロキョロさせてしまった。振り向いてすぐ認識したのは、「部活でも入るの?」と会話を続けてきた男子生徒だった。

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