2 食べ慣れた白米のような存在

 愛佳あいかに声をかけてきた少年には、見覚えがあった。

 現在のクラスメイトであり、数少ない同郷どうきょうで、名を確か――

「あー。麩谷ふたにくん? 同じ中学だったよね」

「クラスは三年間違ったけどね。でも『痩せの大食いクイーン』っていう称号は中学校全体にとどろいてたから、俺はよく知ってたよ」

 そう、麩谷富士彦ふたにふじひこである。

 茶髪の愛佳とは違って、黒髪を揺らす真面目な風貌。トップにはパーマをかけている少年で、こうして面と向かって会話した記憶はなく、緊張や懐かしさは感じなかった。が、一方ではほっとし、食べ慣れた白米のような存在とさえ表現しかけた。


「変な雅号がごうがはびこってる……。いやね、同好会を探しててさ」

「もしかして、その調理同好会? 食べるの好きだし」

「うっ……」

 会話の途中、入会しようとしているコンテンツも、その動機も、ほとんど読まれてしまい、愛佳は恥ずかしさから「麩谷くんはなんか入るの?」と話の矛先を変えた。

「俺は甘い物が好きだから、その調理同好会に少しばかり興味を」

「あらあら、スイーツ男子か。良いねえ、太らん男子は」

「いや、それはそちらのほうが」

 会話の流れで、富士彦の視線が、あからさまに愛佳の下肢かし全体に向けられいた。身長一五五センチ、体重〇〇キロの愛佳は、明かな痩身――BMIはどこから見ても平均未満である。愛佳は慌てて、「エッチ」とコミカルに返答した。

「はい、すいません。じゃあ鮎川あゆかわさんは、ほかに目当ての同好会が?」

 そうして、愛佳が入部および入会しようとしている活動内容に話が切り替わった。隠しても仕方がないと、愛佳はゆっくりと口を開いた。

「つーかね、噂を聞いたの。美食にありつける、『採食同好会』ってのがあるって。でもま、しょせん噂だったのかな? あー、ガッカリ」

「俺も聞いたことないな。んじゃあ、一緒に探そうか?」

「あんがと。んでも……諦める。それよりも、こうして同郷と話せたことが、わたしにとってなによりの収穫だと思う。ま、これからはクラスでもヨロシクね」

 愛佳はお礼も早々に、顔の横に置いた掌を、数回ひらひらと振った。


「じゃあ、またあした」

 一歩、二歩と後ずさりし、愛佳は背を向けようとした。

「あっ、うしろうしろ!」

 ところが富士彦の注意に被さるように、愛佳の背中に軽い衝撃が走った。どうやら衝突しに行ってしまったようだ。後方不注意では、とても弁解のしようがない。

「ご、ごめんなさい!」

 愛佳は接触した相手を認識しないまま、頭を下げた。

 目に入ったのは掃除のき届いていない廊下と、わずかに薄汚れた緑色の上履きだった。三年生である。

「いや、気にしないで。そっちは大丈夫かい?」

 温和で、落ち着きのある低い女声を聞き、愛佳は安堵しながら、ゆっくりと顔を上げた。すると、低めの声からは想像もできない、小さな少女が愛佳を見上げていたのだ。一目でわかる一五〇に届かない背丈や、愛佳よりも幼い顔つき。

 ただでさえ小さいのに、桜色パーカーの裾がブレザーより長かったり、あご丈で揃えた内巻きの黒いボブが小顔を強調していたりと、その容姿はまるで中学生だった。

 けれど、語らずとも真意を伝えるかのような黒目がちの明眸めいぼうには力強さがあり、記憶の奥底をまさぐられる錯覚を覚えた。 


 愛佳が返答に詰まっていると、

「そうだ。ついでに聞きたいことがあるんだ」

 パーカーの上級生が疑問を展開してきた。

「なんでしょう」

 愛佳が受身の態勢を取ると、上級生は襟を正すように一点を質してきた。

「君たちのクラスに、光田未来みつだみらいって子は居ないかな」

 と、真一文字の視線で。

 みつだみらい? 愛佳は富士彦と目を合わせ、ばらばらに頷いたあと、

「あぁ、あの静かな子なら俺の席の側です。出席番号近いし」

 わずかに歩を進めながら、富士彦が会話に加入してきた。

「そうかそうか。では、もうひとつ」

 小さな上級生の言動は、本題を接続するための演技に見えた。わずかな呼気と微笑を混和させ、その場に沈黙を作ると、愛佳と富士彦を見比べ、

「鮎川愛佳さんと、麩谷富士彦くんって生徒を知らないかい?」

 自信に満ちた眼光を向けてきたのだ。

 咄嗟に愛佳は――もとい富士彦共々、名乗りを躊躇ちゅうちょしてしまった。

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